ホームページ・メッセージ090405 小 石 泉
Bible Land museum
バイブルランド博物館
出エジプト記 No. 6 パロとの会見
5:1 その後、モーセとアロンはパロのところに行き、そして言った。「イスラエルの神、主がこう仰せられます。『わたしの民を行かせ、荒野でわたしのために祭りをさせよ。』」 5:2 パロは答えた。「主とはいったい何者か。私がその声を聞いてイスラエルを行かせなければならないというのは。私は主を知らない。イスラエルを行かせはしない。」 5:3 すると彼らは言った。「ヘブル人の神が私たちにお会いくださったのです。どうか今、私たちに荒野へ三日の道のりの旅をさせ、私たちの神、主にいけにえをささげさせてください。でないと、主は疫病か剣で、私たちを打たれるからです。」
「主とは何者か」。当時世界最大の帝国を率いる王であるファラオにとって、奴隷イスラエルの神など何の興味もなかったことでしょう。今も昔もこの世での成功、活躍はその国の神々が力を持っているからだと考えられています。ここでモーセは「在りて有る者」という意味の、神の正式なお名前ヤハウエを使っています。また、「三日の道のり」は後に非常に重要な時間設定であることが分かります。
5:4 エジプトの王は彼らに言った。「モーセとアロン。おまえたちは、なぜ民に仕事をやめさせようとするのか。おまえたちの苦役に戻れ。」
5:5 パロはまた言った。「見よ。今や彼らはこの地の人々よりも多くなっている。そしておまえたちは彼らの苦役を休ませようとしているのだ。」
5:6 その日、パロはこの民を使う監督と人夫がしらに命じて言った。 5:7 「おまえたちはれんがを作るわらを、これまでのようにこの民に与えてはならない。自分でわらを集めに行かせよ。
5:8 そしてこれまで作っていた量のれんがを作らせるのだ。それを減らしてはならない。彼らはなまけ者だ。だから、『私たちの神に、いけにえをささげに行かせてください。』と言って叫んでいるのだ。
5:9 あの者たちの労役を重くし、その仕事をさせなければならない。偽りのことばにかかわりを持たせてはいけない。」
何ともリアルな話ですね。これが3000年も前の会話だったなんて信じられますか? 恐らくほとんどこれに近い会話だったことでしょう。パロの反応も実にそのまま分かります。こういう意味でも聖書は驚くべき書物なのです。他には例を見ません。
5:10 そこで、この民を使う監督と人夫がしらたちは出て行って、民に告げて言った。「パロはこう言われる。『私はおまえたちにわらを与えない。 5:11 おまえたちは自分でどこへでも行ってわらを見つけて、取って来い。おまえたちの労役は少しも減らさないから。』」 5:12 そこで、民はエジプト全土に散って、わらの代わりに刈り株を集めた。 5:13 監督たちは彼らをせきたてて言った。「わらがあったときと同じように、おまえたちの仕事、おまえたちのその日その日の仕事を仕上げよ。」 5:14 パロの監督たちがこの民の上に立てたイスラエル人の人夫がしらたちは、打ちたたかれ、「なぜおまえたちは定められたれんがの分を、きのうもきょうも、これまでのように仕上げないのか。」と言われた。
19世紀から20世紀にかけて、ナヴィルとカイルという考古学者がピトムの遺跡から、一番下のレンガは良質のわらが沢山入ったもの。中間部はわらが少なく根などが入ったもの、一番上部はまったくわらの入っていないレンガで出来た建造物を発見しています。
5:15 そこで、イスラエル人の人夫がしらたちは、パロのところに行き、叫んで言った。「なぜあなたのしもべどもを、このように扱うのですか。 5:16 あなたのしもべどもには、わらが与えられていません。それでも、彼らは私たちに、『れんがを作れ。』と言っています。見てください。あなたのしもべどもは打たれています。しかし、いけないのはあなたの民なのです。」 5:17 パロは言った。「おまえたちはなまけ者だ。なまけ者なのだ。だから『私たちの主にいけにえをささげに行かせてください。』と言っているのだ。 5:18 さあ、すぐに行って働け。わらは与えないが、おまえたちは割り当てどおりれんがを納めるのだ。」
「おまえたちはなまけ者だ。なまけ者なのだ。」まるで監督の表情まで見えるような書き方ですね。思わず笑ってしまうほどリアルです。しかし、イスラエル人にとっては、とんでもない事態になったのです。この時代、多くの建造物が作られましたが、それはイスラエル人の優秀な能力を表しています。
5:19 イスラエル人の人夫がしらたちは、「おまえたちのれんがのその日その日の数を減らしてはならない。」と聞かされたとき、これは、悪いことになったと思った。 5:20 彼らはパロのところから出て来たとき、彼らを迎えに来ているモーセとアロンに出会った。 5:21 彼らはふたりに言った。「主があなたがたを見て、さばかれますように。あなたがたはパロやその家臣たちに私たちを憎ませ、私たちを殺すために彼らの手に剣を渡したのです。」 5:22 それでモーセは主のもとに戻り、そして申し上げた。「主よ。なぜあなたはこの民に害をお与えになるのですか。何のために、私を遣わされたのですか。 5:23 私がパロのところに行って、あなたの御名によって語ってからこのかた、彼はこの民に害を与えています。それなのにあなたは、あなたの民を少しも救い出そうとはなさいません。」
イスラエルの頭たちはモーセとアロンに噛み付きました。嫌味たっぷりです。モーセにしてみれば、まったく迷惑な話で、「神様、だから言ったでしょう、何でこんな目に会わなければならないのですか」と文句も言いたくなります。それにしても神様はどうして、こんな風に物事をわざわざこじらせるようになさるのでしょうか。さっさとやれば良いものを。そして、それは終末の時代のサタンの取り扱いにも言えます。神様は徹底的に、底の底までさらって、全く中途半端なことがないようになさるのです。
6:1 それで主はモーセに仰せられた。「わたしがパロにしようとしていることは、今にあなたにわかる。すなわち強い手で、彼は彼らを出て行かせる。強い手で、彼はその国から彼らを追い出してしまう。」 6:2 神はモーセに告げて仰せられた。「わたしは主である。 6:3 わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに、全能の神として現われたが、主という名では、わたしを彼らに知らせなかった。 6:4 またわたしは、カナンの地、すなわち彼らがとどまった在住の地を彼らに与えるという契約を彼らに立てた。 6:5 今わたしは、エジプトが奴隷としているイスラエル人の嘆きを聞いて、わたしの契約を思い起こした。 6:6 それゆえ、イスラエル人に言え。わたしは主である。わたしはあなたがたをエジプトの苦役の下から連れ出し、労役から救い出す。伸ばした腕と大いなるさばきとによってあなたがたを贖う。 6:7 わたしはあなたがたを取ってわたしの民とし、わたしはあなたがたの神となる。あなたがたは、わたしがあなたがたの神、主であり、あなたがたをエジプトの苦役の下から連れ出す者であることを知るようになる。 6:8 わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに与えると誓ったその地に、あなたがたを連れて行き、それをあなたがたの所有として与える。わたしは主である。」 6:9 モーセはこのようにイスラエル人に話したが、彼らは落胆と激しい労役のためモーセに聞こうとはしなかった。6:10 主はモーセに告げて仰せられた。 6:11 「エジプトの王パロのところへ行って、彼がイスラエル人をその国から去らせるように告げよ。」 6:12 しかしモーセは主の前に訴えて言った。「ご覧ください。イスラエル人でさえ、私の言うことを聞こうとはしないのです。どうしてパロが私の言うことを聞くでしょう。私は口べたなのです。」 6:13 そこで主はモーセとアロンに語り、イスラエル人をエジプトから連れ出すため、イスラエル人とエジプトの王パロについて彼らに命令された。
人間とは弱い者です。シナイ山で神に出会ったモーセでも、実際にエジプトで大きな権威権勢を見ると、やはり臆する心が出てきたことでしょう。神様は再びモーセに使命を確認させます。それは「アブラハム、イサク、ヤコブに与えると誓ったその地に、あなたがたを連れて行き、それをあなたがたの所有として与える。」ためでした。しかし、そんなことは毎日の苦役に苦しむ人々には馬鹿げた御伽噺に聞こえたことでしょう。
こういう立場に立つのはつらいですね。神の僕は人間社会では孤独です。
6:14 彼らの父祖の家のかしらたちは次のとおりである。イスラエルの長子ルベンの子はエノク、パル、ヘツロン、カルミで、これらがルベン族である。 6:15 シメオンの子はエムエル、ヤミン、オハデ、ヤキン、ツォハル、およびカナン人の女の子サウルで、これらがシメオン族である。 6:16 レビの子の家系の名は、次のとおりである。ゲルション、ケハテ、メラリ。レビの一生は百三十七年であった。 6:17 ゲルションの子の諸氏族はリブニとシムイである。 6:18 ケハテの子はアムラム、イツハル、ヘブロン、ウジエルである。ケハテの一生は百三十三年であった。 6:19 メラリの子はマフリとムシである。これらはレビ人の諸氏族の家系である。 6:20 アムラムは父の妹ヨケベデを妻にめとり、彼女はアロンとモーセを産んだ。アムラムの一生は百三十七年であった。 6:21 イツハルの子はコラ、ネフェグ、ジクリである。 6:22 ウジエルの子はミシャエル、エルツァファン、シテリである。 6:23 アロンは、アミナダブの娘でナフションの妹であるエリシェバを妻にめとり、彼女はナダブとアビフ、エルアザルとイタマルを産んだ。 6:24 コラの子はアシル、エルカナ、アビアサフで、これらはコラ族である。 6:25 アロンの子エルアザルは、プティエルの娘のひとりを妻にめとり、彼女はピネハスを産んだ。これらはレビ人の諸氏族の一族のかしらたちである。 6:26 主が「イスラエル人を集団ごとにエジプトの地から連れ出せ。」と仰せられたのは、このアロンとモーセにである。 6:27 エジプトの王パロに向かって、イスラエル人をエジプトから連れ出すようにと言ったのは、このモーセとアロンであった。
ここに簡単に、モーセとアロンの系図が語られます。ここに初めてモーセの両親の名が出てきます。それはアムラム(高貴な人々)とヨケベデ(ヤハウエは光栄)です。ヨケベデはアムラムの父の妹とありますから、叔母さんに当たりますが、年齢は若かったのでしょう。
6:28 主がエジプトの地でモーセに告げられたときに、 6:29 主はモーセに告げて仰せられた。「わたしは主である。わたしがあなたに話すことを、みな、エジプトの王パロに告げよ。」
6:30 しかしモーセは主の前に申し上げた。「ご覧ください。私は口べたです。どうしてパロが私の言うことを聞くでしょう。」
ここで、もう一度、神様の命令があり、モーセがためらい、つぶやいています。モーセほどの事業を成した人は、通常自分の弱さや失敗を後に書き記すことはしませんが、モーセは執拗に自分の弱さ、無価値なことを書き残しています。それはこの大事業がモーセという偉大な人物の業ではなく、神ご自身の業であることを伝えたかったのです。
さて、モーセという人は、地上のだれにもまさって非常に謙遜であった。民数記12:3
モーセが神の器とされたのは、この謙遜と言う資質があったからでしょう。神の業をするとき、無くてならないのはこの資質です。今時の、自称リバイバリストたちに聞かせてやりたいですね。