ホームページ・メッセージ090322           小 石  泉

今、黙示録を学ぶ-]T


21:1 また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。21:2 私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。 21:3 そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、 21:4 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」 21:5 すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」 21:6 また言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。わたしは、渇く者には、いのちの水の泉から、価なしに飲ませる。 21:7 勝利を得る者は、これらのものを相続する。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。 21:8 しかし、おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行なう者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。」

 新しい天と地。それは新しい宇宙と地球なのでしょうか。天とは宇宙なのでしょうか。それとも大気圏なのでしょうか。地と海が別々に書かれているのは特に意味は無いのでしょうか。全く分かりません。そう言う他ありません。パスカルはその瞑想録(パンセ)でこう言っています。
「全ての言葉、聖書の分からない箇所も、選らばれた人々には幸いに変わる。彼らは神聖な光のゆえにそれらの不明な箇所を尊重するからである。しかし、他の人々には不幸に変わる。彼らは自分で理解できない不明な箇所のゆえに、それらの光を冒涜するからである。」
 また、アウグスチヌスもこう言っています。
「選ばれた人々を照らすには十分な光があり、彼らをへり下させるには十分な暗さがある。見捨てられた人々を盲目にするには十分な暗さがあり、彼らを罪に定め、言い逃れさせないためには十分な光がある。」
 「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」何と慰めに満ちた言葉でしょうか。このためにこそクリスチャンたちは迫害、拷問、死、苦難に耐えてきたのです。
 神はアルファでありオメガです。ΑとΩはギリシャ語のアルファベットの最初と最後です。救われた者と、そうでない者との格差の大きさに唖然としますね。前者は命の水の泉から命を飲み、後者は火と硫黄の燃えている池に投げ込まれます。その条件を厳粛に受け止めるべきです。「おくびょうな者、信じない者、忌むべき者、人殺し、姦淫を行う者、まじないをする者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者」。どれか一つ位は自分に当てはまると思いませんか。しかし、キリストの十字架の血によって贖われた者は不起訴処分になります。あまりにも虫がいいと思われるでしょう。しかし、神の御子の代償はそのような力を持つのです。キリストの血によって許されない罪はありません。自分の花嫁を裁く花婿はありません。

21:9 また、最後の七つの災害の満ちているあの七つの鉢を持っていた七人の御使いのひとりが来た。彼は私に話して、こう言った。「ここに来なさい。私はあなたに、小羊の妻である花嫁を見せましょう。」 21:10 そして、御使いは御霊によって私を大きな高い山に連れて行って、聖なる都エルサレムが神のみもとを出て、天から下って来るのを見せた。 21:11 都には神の栄光があった。その輝きは高価な宝石に似ており、透き通った碧玉のようであった。 21:12 都には大きな高い城壁と十二の門があって、それらの門には十二人の御使いがおり、イスラエルの子らの十二部族の名が書いてあった。 21:13 東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、西に三つの門があった。 21:14 また、都の城壁には十二の土台石があり、それには、小羊の十二使徒の十二の名が書いてあった。 21:15 また、私と話していた者は都とその門とその城壁とを測る金の測りざおを持っていた。 21:16 都は四角で、その長さと幅は同じである。彼がそのさおで都を測ると、一万二千スタディオンあった。長さも幅も高さも同じである。 21:17 また、彼がその城壁を測ると、人間の尺度で百四十四ペーキュスあった。これが御使いの尺度でもあった。

ここに現れる新しい都は非常に不思議なもので、物質的であり霊的です。この都は、大きさがあり、それはちゃんと数字で表されています。12000スタディオンは約2000キロですから日本列島ぐらいの正方形で出来ています。城壁の高さは約200メートルです。(前に調べた数字ですが、今回確認できませんでした)最後の言葉は口語訳聖書では「これは人間の、すなわち御使の尺度によるのである。」とあり、天使と人間は同じ大きさだと思われます。
この後で、この都は「小羊の妻なる花嫁」と呼ばれていますから、救われた聖徒たち全体を現しています。黙示録以外でも聖書は教会をキリストの妻と表現しています。

妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。なぜなら、キリストは教会のかしらであって、ご自身がそのからだの救い主であられるように、夫は妻のかしらであるからです。教会がキリストに従うように、妻も、すべてのことにおいて、夫に従うべきです。夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。 キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。そのように、夫も自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません。自分の妻を愛する者は自分を愛しているのです。だれも自分の身を憎んだ者はいません。かえって、これを養い育てます。それはキリストが教会をそうされたのと同じです。 私たちはキリストのからだの部分だからです。「それゆえ、人はその父と母を離れ、妻と結ばれ、ふたりは一心同体となる。」この奥義は偉大です。私は、キリストと教会とをさして言っているのです。 それはそうとして、あなたがたも、おのおの自分の妻を自分と同様に愛しなさい。妻もまた自分の夫を敬いなさい。エペソ5:22〜33

 何度も言うように、教会全体がキリストの一人の花嫁なのであって、クリスチャンの個人々々が花嫁ではありません。カトリックのシスターたちは自分たちがキリストの花嫁だということで、ウエデングドレスを着ていますが(汚れるので普段は灰色ですが正式には純白)これは全くひどい勘違いです。
 小羊の妻なる花嫁。それは天から下って来るエルサレムとして現れます。その都は碧玉(ジャスパー)のように輝き、透き通った純金で造られています。驚くのはその門がイスラエルの十二部族の名前がついていることです。主イエスの十二使徒の名は城壁の土台に付けられています。このことからキリストの花嫁なる教会は旧約の聖徒たちと新約のクリスチャンの両方を含むことが分かります。えー!と思われるかもしれませんが、旧約の聖徒たちはこれから来るキリストによって救われ、新約のクリスチャンはすでにやってきたキリストによって救われたのです。何という幸いなことでしょうか。

21:18 その城壁は碧玉で造られ、都は混じりけのないガラスに似た純金でできていた。 21:19 都の城壁の土台石はあらゆる宝石で飾られていた。第一の土台石は碧玉、第二はサファイヤ、第三は玉髄、第四は緑玉、 21:20 第五は赤縞めのう、第六は赤めのう、第七は貴かんらん石、第八は緑柱石、第九は黄玉、第十は緑玉髄、第十一は青玉、第十二は紫水晶であった。 21:21 また、十二の門は十二の真珠であった。どの門もそれぞれ一つの真珠からできていた。都の大通りは、透き通ったガラスのような純金であった。

 この都は幻のようなものではなく現実の物質でもあるようです。その土台石は宝石で出来ています。この宝石は恐らくモーセの幕屋で使えた大祭司の胸当てであるエポデにあった12の宝石と同じものを表すのでしょう。

あなたはさばきの胸当てを、巧みな細工で作る。それをエポデの細工と同じように作らなければならない。すなわち、金色や、青色、紫色、緋色の撚り糸、それに撚り糸で織った亜麻布で作らなければならない。 それは、四角形で、二重にし、長さは一あたり、幅は一あたりとしなければならない。 その中に、宝石をはめ込み、宝石を四列にする。すなわち、第一列は赤めのう、トパーズ、エメラルド。第二列はトルコ玉、サファイヤ、ダイヤモンド。 第三列はヒヤシンス石、めのう、紫水晶、 第四列は緑柱石、しまめのう、碧玉。これらを金のわくにはめ込まなければならない。この宝石はイスラエルの子らの名によるもので、彼らの名にしたがい十二個でなければならない。十二部族のために、その印の彫り物が一つの名につき一つずつ、なければならない。出エジプト28:15〜:21

 これらの宝石は神の美しさと貴さを表すのでしょう。門が真珠であるのは、真珠は最も価値ある宝石とされていたからです。相当大きな真珠ですね。本当にこのような都があるのでしょうか、それともキリストの体であり花嫁である教会を表す象徴でしょうか。これも実現してみなければ分からないことです。

21:22 私は、この都の中に神殿を見なかった。それは、万物の支配者である、神であられる主と、小羊とが都の神殿だからである。 21:23 都には、これを照らす太陽も月もいらない。というのは、神の栄光が都を照らし、小羊が都のあかりだからである。 21:24 諸国の民が、都の光によって歩み、地の王たちはその栄光を携えて都に来る。 21:25 都の門は一日中決して閉じることがない。そこには夜がないからである。 21:26 こうして、人々は諸国の民の栄光と誉れとを、そこに携えて来る。 21:27 しかし、すべて汚れた者や、憎むべきことと偽りとを行なう者は、決して都にはいれない。小羊のいのちの書に名が書いてある者だけが、入る事ができる。

 何の説明も要りません。そのままで、静かに頭をたれて、感謝と賛美を捧げましょう。