ホームページ・メッセージ090222 小 石 泉
今、黙示録を学ぶ-Z
14:1 なお、わたしが見ていると、見よ、小羊がシオンの山に立っていた。また、十四万四千の人々が小羊と共におり、その額に小羊の名とその父の名とが書かれていた。 14:2 またわたしは、大水のとどろきのような、激しい雷鳴のような声が、天から出るのを聞いた。わたしの聞いたその声は、琴をひく人が立琴をひく音のようでもあった。 14:3 彼らは、御座の前、四つの生き物と長老たちとの前で、新しい歌を歌った。この歌は、地からあがなわれた十四万四千人のほかは、だれも学ぶことができなかった。 14:4 彼らは、女にふれたことのない者である。彼らは、純潔な者である。そして、小羊の行く所へは、どこへでもついて行く。彼らは、神と小羊とにささげられる初穂として、人間の中からあがなわれた者である。 14:5 彼らの口には偽りがなく、彼らは傷のない者であった。
謎の多い黙示録の中でもこの144,000人は大きな謎です。この人々は7章で説明したように、文字通り受け取るならイスラエル・ユダヤ人であるはずです。彼らはキリストの最も御そばで仕えるために特別に選ばれた清い若い男性です。彼らの特徴は人間の初穂であること。女にふれたことがない童貞であること。真実な心の持ち主であることです。
これは文字通り受け取るべきなのか、何らかの象徴であるのか、難しいところですが、私は文字通り受け取るべきだと思います。もし象徴とするなら、色々勝手な解釈が数百、数千通り出来るでしょう。もし象徴なら“女”はここまでは教会を表していましたから、そのスケールをそのまま使うなら、この人々は既成の教会には関わらなかったという風に受け取れます。ですから、彼らはイスラエル・ユダヤ人でキリストをメシヤと信じた人々の中から選ばれた最も清い青年たちだと言うことになります。しかし、私はこの“女”は文字通り女性を指すのではないかと思います。そして“霊的な童貞”なんてほとんど冗談に過ぎませんから、本当に童貞なのだと思います。彼らは人間の中からキリストに捧げられた清い美しい集団です。不思議ですね。
14:6 わたしは、もうひとりの御使が中空を飛ぶのを見た。彼は地に住む者、すなわち、あらゆる国民、部族、国語、民族に宣べ伝えるために、永遠の福音をたずさえてきて、 14:7 大声で言った、「神をおそれ、神に栄光を帰せよ。神のさばきの時がきたからである。天と地と海と水の源とを造られたかたを、伏し拝め」。
ここはどうしてもテレビ・ラジオなどの電波を使った福音の伝道のように思えてなりません。終末の混乱と災害の中でも福音は伝えられるのでしょう。その時、本当に正しい信仰を語る人々がいるのでしょうか。
14:8 また、ほかの第二の御使が、続いてきて言った、「倒れた、大いなるバビロンは倒れた。その不品行に対する激しい怒りのぶどう酒を、あらゆる国民に飲ませた者」。 14:9 ほかの第三の御使が彼らに続いてきて、大声で言った、「おおよそ、獣とその像とを拝み、額や手に刻印を受ける者は、 14:10 神の怒りの杯に混ぜものなしに盛られた、神の激しい怒りのぶどう酒を飲み、聖なる御使たちと小羊との前で、火と硫黄とで苦しめられる。 14:11 その苦しみの煙は世々限りなく立ちのぼり、そして、獣とその像とを拝む者、また、だれでもその名の刻印を受けている者は、昼も夜も休みが得られない。 14:12 ここに、神の戒めを守り、イエスを信じる信仰を持ちつづける聖徒の忍耐がある」。
ここにはバビロンと獣が同時に呪われています。それはこの二つが密接に関連していることを示しています。特に獣の像を拝んだり、刻印を受けたものには恐るべき裁きがあります。「ここに、神の戒めを守り、イエスを信じる信仰を持ちつづける聖徒の忍耐がある」とありますが、どれほどの忍耐が必要なのか緊張します。しかし、すでに共産主義の国々ではほぼこれと同じことが起こったのです。次の御言葉が慰めとなります。
あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。Tコリント10:13
神様は私たちを無用な苦しみには会わせられません。いじめて楽しむわけではありません。そして、私たちにとって、それは必要なことなのです。きっと私たちが清められて美しい信仰者となるのでしょう。
不思議なことに、人間の脳は非常な苦痛や困難に出会うと、麻薬と同じホルモンを分泌します。それによって苦痛が大幅に緩和されるのです。その一つの例は、マラソン選手がよく言うように、ある時点を越えると走ることが苦痛でなくなり、楽しくなることです。人間自身がモルヒネのような麻薬を生産するなんて、何と不思議なことでしょう。神様の創造の不思議がもう一度思わされますね。
14:13 またわたしは、天からの声がこう言うのを聞いた、「書きしるせ、『今から後、主にあって死ぬ死人はさいわいである』」。御霊も言う、「しかり、彼らはその労苦を解かれて休み、そのわざは彼らについていく」。
主にあって死ぬことは幸いなのです。永遠の休息と平安、栄冠が与えられるでしょう。
14:14 また見ていると、見よ、白い雲があって、その雲の上に人の子のような者が座しており、頭には金の冠をいただき、手には鋭いかまを持っていた。 14:15 すると、もうひとりの御使が聖所から出てきて、雲の上に座している者にむかって大声で叫んだ、「かまを入れて刈り取りなさい。地の穀物は全く実り、刈り取るべき時がきた」。 14:16 雲の上に座している者は、そのかまを地に投げ入れた。すると、地のものが刈り取られた。 14:17 また、もうひとりの御使が、天の聖所から出てきたが、彼もまた鋭いかまを持っていた。 14:18 さらに、もうひとりの御使で、火を支配する権威を持っている者が、祭壇から出てきて、鋭いかまを持つ御使にむかい、大声で言った、「その鋭いかまを地に入れて、地のぶどうのふさを刈り集めなさい。ぶどうの実がすでに熟しているから」。 14:19 そこで、御使はそのかまを地に投げ入れて、地のぶどうを刈り集め、神の激しい怒りの大きな酒ぶねに投げ込んだ。 14:20 そして、その酒ぶねが都の外で踏まれた。すると、血が酒ぶねから流れ出て、馬のくつわにとどくほどになり、一千六百丁にわたってひろがった。
ここはキリストと天使たちが地上に裁きを行い、悪しき人々に与えられる運命が予言されています。私はサタン礼拝者の事を知る機会がありました。それは驚くべきものでした。彼らは決して神を恐れる事がなく、嬉々としてサタンに仕え、悪を行い、神の聖徒たちを殺します。一般のクリスチャンが考える想像をはるかに超えています。ですからこのような神の怒りは当然だと思いました。その一部分は徳間文庫から出版されたリチャード・ウオンブランド先生の「マルクスとサタン」を紹介している、在田 実氏の著書「マルクスの超素顔」に書かれています。
15:1 またわたしは、天に大いなる驚くべきほかのしるしを見た。七人の御使が、最後の七つの災害を携えていた。これらの災害で神の激しい怒りがその頂点に達するのである。
七つの封印の最後の封印は七つのラッパとなり、七つのラッパの最後がここに書かれている災害、七つの鉢になります。いよいよ世界が創られてから、歴史のすべての神と人の清算が行われます。
15:2 またわたしは、火のまじったガラスの海のようなものを見た。そして、このガラスの海のそばに、獣とその像とその名の数字とにうち勝った人々が、神の立琴を手にして立っているのを見た。
15:3 彼らは、神の僕モーセの歌と小羊の歌とを歌って言った、「全能者にして主なる神よ。あなたのみわざは、大いなる、また驚くべきものであります。万民の王よ、あなたの道は正しく、かつ真実であります。 15:4 主よ、あなたをおそれず、御名をほめたたえない者が、ありましょうか。あなただけが聖なるかたであり、あらゆる国民はきて、あなたを伏し拝むでしょう。あなたの正しいさばきが、あらわれるに至ったからであります」。 15:5 その後、わたしが見ていると、天にある、あかしの幕屋の聖所が開かれ、 15:6 その聖所から、七つの災害を携えている七人の御使が、汚れのない、光り輝く亜麻布を身にまとい、金の帯を胸にしめて、出てきた。 15:7 そして、四つの生き物の一つが、世々限りなく生きておられる神の激しい怒りの満ちた七つの金の鉢を、七人の御使に渡した。 15:8 すると、聖所は神の栄光とその力とから立ちのぼる煙で満たされ、七人の御使の七つの災害が終ってしまうまでは、だれも聖所にはいることができなかった。
「火のまじったガラスの海のようなもの」とは何でしょうか。ヨハネは限られた人間の言語で神の国を書き表そうとしています。これはただ、そうなのかと思うしかありません。興味深いのは獣の像と数字に勝った人々が「神の僕モーセの歌と小羊の歌とを歌って」板というところです。モーセの歌というのは、確かに詩篇90編にありますが、それだけではないでしょう。ここは旧約聖書と新約聖書の律法と福音の完成された賛美でしょう。この人々の中に私たちも入っていたいものです。
七人の御使いの描写はこれまでになく詳細に書かれています。「汚れのない、光り輝く亜麻布を身にまとい、金の帯を胸にしめ」ています。何と美しい。しかし、キリストの血によって贖われたクリスチャンの着る衣装はもっとすばらしいのです。花嫁ですから。
ここに天にある幕屋が出てきます。モーセが作らせたテントの神殿、モーセの幕屋は此の天の幕屋をモデルにしています。そこから最後の災害を携えて、七人の御使いが出てきました。「神の激しい怒りの満ちた七つの金の鉢」とはどれほど恐ろしいものでしょうか。しかし、それは神に不従順で、神をあなどり、サタンに嬉々として従った、あつかましい不信仰者への裁きの災害です。