ホームページ・メッセージ090215            小 石  泉

今、黙示録を学ぶ-Y


12:1 また、大いなるしるしが天に現れた。ひとりの女が太陽を着て、足の下に月を踏み、その頭に十二の星の冠をかぶっていた。 12:2 この女は子を宿しており、産みの苦しみと悩みとのために、泣き叫んでいた。 12:3 また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、大きな、赤い龍がいた。それに七つの頭と十の角とがあり、その頭に七つの冠をかぶっていた。 12:4 その尾は天の星の三分の一を掃き寄せ、それらを地に投げ落した。龍は子を産もうとしている女の前に立ち、生れたなら、その子を食い尽そうとかまえていた。 12:5 女は男の子を産んだが、彼は鉄のつえをもってすべての国民を治めるべき者である。この子は、神のみもとに、その御座のところに、引き上げられた。 12:6 女は荒野へ逃げて行った。そこには、彼女が千二百六十日のあいだ養われるように、神の用意された場所があった。

この箇所は黙示録の中でも難解中の難解な場所です。ここは歴史をさかのぼってキリストの誕生を言っているのでしょうか。一般にはそう考えられているようです。しかし、私はやはり終末と関連して考えたいのです。ここに言う女とは当然、神の正しい教会を表すのでしょう。大きな赤い龍とはサタンのことに違いありません。七つの頭と十の角はサタンに従う国と指導者を指すのでしょう。また、天の星の三分の一とはサタンに従った堕落天使を指すのでしょう。これはユダヤ人の伝承によってそういわれている数です。ここに生まれてくる男の子とは一人の人ではなく(教会が一人の女でないように)教会から生まれてくる特別な人々と考えられます。彼らはその後、千年王国のときに世界を支配するのでしょうか。女すなわち教会が荒野に逃げて行ったとは、教会が患難時代に守られることを意味しているのでしょうか。1260日とありますから、3年半で数は合います。そこは荒野のように、決して心地よい場所ではないようですが、安全ではあるのでしょう。

12:7 さて、天では戦いが起った。ミカエルとその御使たちとが、龍と戦ったのである。龍もその使たちも応戦したが、 12:8 勝てなかった。そして、もはや天には彼らのおる所がなくなった。 12:9 この巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは、地に投げ落され、その使たちも、もろともに投げ落された。

 ここでは終末のある時期、サタンとその軍勢が地上に投げ落とされると考えられます。年を経たへびとはサタンのことです。地上は悪霊で一杯になります。もうそうなっているのかもしれません。もっとも、ここで言う天とは霊界のことです。

12:10 その時わたしは、大きな声が天でこう言うのを聞いた、「今や、われらの神の救と力と国と、神のキリストの権威とは、現れた。われらの兄弟らを訴える者、夜昼われらの神のみまえで彼らを訴える者は、投げ落された。 12:11 兄弟たちは、小羊の血と彼らのあかしの言葉とによって、彼にうち勝ち、死に至るまでもそのいのちを惜しまなかった。 12:12 それゆえに、天とその中に住む者たちよ、大いに喜べ。しかし、地と海よ、おまえたちはわざわいである。悪魔が、自分の時が短いのを知り、激しい怒りをもって、おまえたちのところに下ってきたからである」。

 現在、霊界では激しい戦いがあります。キリスト教会も今や霊的な混迷の中にあります。何が真実で正しいのか。何が神の御旨に沿うのかしっかりと見極める必要があります。今はこれまで以上に慎重に霊的な識別力を働かせるときです。悪魔が「激しい怒りをもって」下ってきたからです。「死に至るまで」忠実でありましょう。ちなみにサタンとは「訴える者」と言う意味です。

12:13 龍は、自分が地上に投げ落されたと知ると、男子を産んだ女を追いかけた。 12:14 しかし、女は自分の場所である荒野に飛んで行くために、大きなわしの二つの翼を与えられた。そしてそこでへびからのがれて、一年、二年、また、半年の間、養われることになっていた。 12:15 へびは女の後に水を川のように、口から吐き出して、女をおし流そうとした。 12:16 しかし、地は女を助けた。すなわち、地はその口を開いて、龍が口から吐き出した川を飲みほした。 12:17 龍は、女に対して怒りを発し、女の残りの子ら、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを持っている者たちに対して、戦いをいどむために、出て行った。 12:18 そして、海の砂の上に立った。

この時期、教会は、ある国では守られ、ある国では迫害されると言うことが起こるでしょう。わしの翼と言うのは何を表すのでしょうか。航空機でしょうか? 実は現在のイスラエルには、核戦争になったとき政府の機構を南米のパタゴニア地方に移転させる計画があるそうです。そのように、ある国のクリスチャンたちが辺境の地に避難するという事が起こるのかもしれません。ちょっと想像力がたくましすぎるかもしれませんが。そして、そんな具体的な事ではないとは思いますが。

13:1 わたしはまた、一匹の獣が海から上って来るのを見た。それには角が十本、頭が七つあり、それらの角には十の冠があって、頭には神を汚す名がついていた。 13:2 わたしの見たこの獣はひょうに似ており、その足はくまの足のようで、その口はししの口のようであった。龍は自分の力と位と大いなる権威とを、この獣に与えた。 13:3 その頭の一つが、死ぬほどの傷を受けたが、その致命的な傷もなおってしまった。そこで、全地の人々は驚きおそれて、その獣に従い、 13:4 また、龍がその権威を獣に与えたので、人々は龍を拝み、さらに、その獣を拝んで言った、「だれが、この獣に匹敵し得ようか。だれが、これと戦うことができようか」。 13:5 この獣には、また、大言を吐き汚しごとを語る口が与えられ、四十二か月のあいだ活動する権威が与えられた。 13:6 そこで、彼は口を開いて神を汚し、神の御名と、その幕屋、すなわち、天に住む者たちとを汚した。 13:7 そして彼は、聖徒に戦いをいどんでこれに勝つことを許され、さらに、すべての部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた。 13:8 地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、その名を世の初めからしるされていない者はみな、この獣を拝むであろう。 13:9 耳のある者は、聞くがよい。 13:10 とりこになるべき者は、とりこになっていく。つるぎで殺す者は、自らもつるぎで殺されねばならない。ここに、聖徒たちの忍耐と信仰とがある。

いよいよ、サタンのひとり子、反キリストと言われる人物が登場します。この人物は10の国家(黙示録が書かれた時代の区分での)と7人の有力な指導者によって送り出されるでしょう。私は、これは現在のEUだと思います。EU議会には679の議席があり、その666番目は現在空席だと言います。間もなくそこに全世界の期待をになって座る人物が現れるでしょう。そして、一度暗殺の危機に遭遇します。しかし、奇跡的に癒されます。これはキリストの復活を模倣するものです。彼は神とキリスト教会とクリスチャンを罵倒し、一時的に勝ち誇ります。これはすでに共産圏の国々で実証済みです。世界中がこの人物を喜んで崇めるでしょう。しかし、それは42ヶ月すなわち3年半です。

13:11 わたしはまた、ほかの獣が地から上って来るのを見た。それには小羊のような角が二つあって、龍のように物を言った。 13:12 そして、先の獣の持つすべての権力をその前で働かせた。また、地と地に住む人々に、致命的な傷がいやされた先の獣を拝ませた。 13:13 また、大いなるしるしを行って、人々の前で火を天から地に降らせることさえした。 13:14 さらに、先の獣の前で行うのを許されたしるしで、地に住む人々を惑わし、かつ、つるぎの傷を受けてもなお生きている先の獣の像を造ることを、地に住む人々に命じた。 13:15 それから、その獣の像に息を吹き込んで、その獣の像が物を言うことさえできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。 13:16 また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ、 13:17 この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである。 13:18 ここに、知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は六百六十六である。

 ここにもう一人の人物が現れます。こうしてサタンは神の三位一体を模倣するのです。この人物は聖霊のように反キリストをサポートします。ヒトラーのゲッペルス宣伝相のように反キリストを雄弁に宣伝し、華々しく持ち上げるでしょう。世界中に反キリストの像を作らせ、拝ませます。この像は生きている者のように物を言います。あるいはロボットのようなものかもしれません。そして悪名高い刻印を右手または額に押させ、それが無いと物を買うことも売ることもできないようにします。
 これはすでに全ての商品にあるバーコードに準備されています。あの縦縞の両端と真ん中にある下に数字の書かれていない組み合わせは6です。バーコードは666と言う数字で管理されています。これで売る側の準備は整いました。後は買う側の準備だけです。スーパーマーケットのレジにあるスキャナーは今後買う側にも使われます。今後、貨幣は徐々に無くなっていくでしょう。全ては電子システムにより管理されます。買う側の準備の為に、クレジットカードの事故やテロが頻発するでしょう。
 ではどうしたらいいのでしょうか。聖書は「ここに、聖徒たちの忍耐と信仰とがある」と言っています。しかし、これは何も新しい危機ではありません。共産主義の国々ではすでに経験されたことです。それによってどれほどクリスチャンが清められ、聖なる者とされたことでしょう。ローマ書でパウロはこう言っています。

8:31 それでは、これらの事について、なんと言おうか。もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか。 8:32 ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか。 8:33 だれが、神の選ばれた者たちを訴えるのか。神は彼らを義とされるのである。 8:34 だれが、わたしたちを罪に定めるのか。キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである。 8:35 だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか。患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か。 8:36 「わたしたちはあなたのために終日、死に定められており、ほふられる羊のように見られている」と書いてあるとおりである。 8:37 しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある。 8:38 わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、 8:39 高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。

 ところで私は今回、改めて黙示録を勉強して非常に驚いたことがあります。それは黙示録には天国または霊的世界のことが事細かに書かれていることです。聖書のどこにも、これほどあざやかに神の臨在と天の情景が書かれている書はありません。ヨハネは天と地を縦横に見せられながら、限られた人間の言葉で書き表しているのです。そして新約聖書の聖徒たちだけではなく、旧約聖書の聖徒たちが神の御座近くいることにも感銘を受けました。世界はこれから恐るべき困難な時代に入って行きますが、神の御国はすぐそこにあります。感謝して進みましょう。