ホームページ・メッセージ081228            小 石  泉

キリストはいつ生まれたのか


 クリスマスも終わったのに、今さら何をと思われるかもしれませんが、最近になってこのことがはっきり分かってきましたので、この際、明確に残しておきたいと思います。
 世界の大多数の国々では歴史を、キリストを中心とする二つの時間に分けています。キリスト以前をBC、以後をADと呼びます。(日本では紀元前と紀元)BCは英語でBefore ChristですがADはラテン語でAnno Dominiです。これは「我が主の統治」と言う意味で、日本でいう昭和とか平成などの“元号”に当たる言葉です。これを記憶してください。
 さて、聖書の中で主イエスの誕生の時期を明確に記しているのはルカです。

そのころ、全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た。これは、クレニオがシリヤの総督であった時に行われた最初の人口調査であった。ルカ2:1〜2

 ここに聖書学者たちを困惑させている問題があります。クレニオ(プブリウス・スルピキウス・クィリニウス)が総督としてシリアに赴任したのはローマの記録によればAD3〜9でイエス様の誕生の時とは考えられません。ただ、近年の研究ではクレニオは二度シリアの総督になったらしいと言うことが分かって来ました。その知られざる紀元前の総督就任のときのことでしょう。当時シリアは中東全体の中心でした。
 ところで預言者ダニエルはメシヤの登場を明確な時間で示しています。

あなたの民と、あなたの聖なる町については、七十週が定められています。これはとがを終らせ、罪に終りを告げ、不義をあがない、永遠の義をもたらし、幻と預言者を封じ、いと聖なる者に油を注ぐためです。それゆえ、エルサレムを建て直せという命令が出てから、メシヤなるひとりの君が来るまで、七週と六十二週あることを知り、かつ悟りなさい。その間に、しかも不安な時代に、エルサレムは広場と街路とをもって、建て直されるでしょう。その六十二週の後にメシヤは断たれるでしょう。ただし自分のためにではありません。またきたるべき君の民は、町と聖所とを滅ぼすでしょう。その終りは洪水のように臨むでしょう。そしてその終りまで戦争が続き、荒廃は定められています。彼は一週の間多くの者と、堅く契約を結ぶでしょう。そして彼はその週の半ばに、犠牲と供え物とを廃するでしょう。また荒す者が憎むべき者の翼に乗って来るでしょう。こうしてついにその定まった終りが、その荒す者の上に注がれるのです」。ダニエル9:24〜27

 ここにメシヤが来るのは「エルサレムを建て直せ」と言う命令が出てから7週と62週すなわち69週目だとあります。
 BC1000年ごろサウル、ダビデ、ソロモンと言う偉大な王たちによって繁栄したイスラエルはソロモンの後に分裂しサマリヤを首都とする北朝イスラエル、とエルサレムを首都とする南朝ユダに分かれました。北はエフライム、マナセなどの10部族、南はユダとベニヤミンの2部族でした。(人口構成はほぼ同数です)ところが両者は共に神様への従順を忘れ、偶像を拝み、忌まわしい礼拝をしました。特に北のイスラエルは南のユダよりもひどかったので、神様はBC 721 年にアッシリアによって滅ぼし、多くの有力な人々は捕囚となってアッシリアに連れてゆかれました。一方、南のユダも次第に不信仰と反逆を深めたのでBC 586 年にバビロンによって滅ぼされました。そして同じように有力な人々はバビロンに捕囚として連れてゆかれました。この中にダニエルがいました。ダニエルはバビロンのネブカデネザル、ベルシャツァルに仕えました。その後、バビロンはメドペルシャによって滅ぼされダニエルたちはメデアに連れてゆかれメデアの王ダリヨス、ペルシャの王クロスに仕えました。
 BC 536 年ペルシャの王クロスはエルサレムの「神殿を建て直す」許可を下し、ダビデの家系であったゼルバベルを指導者として約42000人がエルサレムに帰還しました。しかし、中々工事ははかどらず次第に人々は疲れて最初の意志を忘れかけました。ところがBC 457年にペルシャの王アルタシャスタ(アルタクセルクセス)はエズラという祭司に「エルサレムを建て直せ」と言う命令を下しました。そこでエズラは約1500人と共に行きエルサレムの城壁を再建しました。エズラは祭司、律法学者としてゼルバベルのとき帰還した人々の信仰を復活させたのです。
 さて、ダニエルはメシヤが来るのは「エルサレムを建て直せ」と言う命令が出てから69週目だと書きました。それから約80年後のBC457年にアルタシャスタ王は「エルサレムを建て直せ」と言う命令をエズラに命じました。
 ここで69週は483日です。この一日を一年と考えて見ましょう。聖書は、

愛する者たちよ。この一事を忘れてはならない。主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。Uペテロ3:8 

とあるように数字的な変換が可能です。そうすると457年から483年目はAD26年です。この年に何が起こったでしょうか。正確には言えませんが、恐らくイエス様が洗礼を受けてメシヤとしての歩み始められた年にほぼ間違いありません。主イエスが洗礼を受けたのは30歳のときでした。すると主イエスはBC4年に生まれた事になります。西暦の起点が主イエスの誕生であるとすると、それは4年もずれていたのです。
 ところで私たち日本人は元号と言う歴史の数え方を使っています。明治、大正、昭和、平成と天皇の代毎に時代の呼び名と数が変わります。そして、それは天皇の誕生ではなく、前の天皇が死んで代替わりをした時から数えます。つまり統治の初めから数えるのです。
 それでは、西暦が主イエスの元号であるなら、主イエスの誕生を起点とするのは正しいでしょうか。それは誕生ではなくメシヤとしての戴冠式、すなわち洗礼から始めるべきではないでしょうか。そうです西暦(AD Anno Domini)はAD26年を起点とすべきだったのです。そうすると今年は2008年ではなく1982年です。
 私たちがまだ若かったころ、宣教師や牧師たちは盛んにAD2000年に再臨が起こると言っていたものです。しかし、起こりませんでした。ノストラダムスという怪しい預言者も、この西暦の間違いを基にして1999年を特別な年にしていました。しかし、何も起こりませんでした。元々、始まりが間違っているのですから、当たるわけがありません。
 もっとも再臨が主イエスの登場から2000年後に起こるとは聖書は言っていません。

その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。マタイ24:36

 とあるように誰も知らなくていいと主は言われました。
 私は主の再臨の時間を決めているのではありません。ただ、西暦の数え方は間違っている、それは主イエスの誕生ではなく、即位すなわち洗礼を起点とすべきであると主張しているのです。そして、主のご生涯は33年6ヶ月でしたから、主の十字架はおそらくAD29年の3〜4月でしょう。そうすると主のご誕生、本当のクリスマスはBC4年の9〜10月ごろでしょう。これがほぼ正確な年です。
 ところで、メシヤとイスラエルについては全部で70週が定められているとありました。「あなたの民と、あなたの聖なる町については、七十週が定められています。」では、あと1週間はどこに行ったのでしょう?「その終りは洪水のように臨むでしょう。そしてその終りまで戦争が続き、荒廃は定められています。彼は一週の間多くの者と、堅く契約を結ぶでしょう。」
 それはまだ来ていません。これは世の終わりの最後の7年間のことです。反キリストが世界を統一して支配する患難時代と呼ばれている時のことです。世界はその統一に向けて着々と準備されています。そのために世界経済を破壊して、新しい統一経済にするでしょう。今、起こっていることはそのための一歩でしょう。しかし、その後に、主イエスが再臨されます。しばらくの患難と悩みで、世界は究極まで清められて、輝かしい神の御子が栄光の姿で来臨されます。その日が待ち遠しいですね。
 いずれにせよ、正しい西暦によれば、今年は1982年であると言うことは興味深いことですね。