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出エジプト記  No.1
 
 出エジプト記を学ぼうと思っていたのですが、時代の設定に悩みました。実はあの有名な出エジプトはいつなのか、はっきりしないのです。主に二説あってどちらなのか、分かりません。しかし、インターネットから日本基督教団 河内天美教会の指方 周一先生の書かれていることが大変説得力がありましたので、以下に無断転載!させていただきます。

 第十八王朝(BC.1580年頃-BC.1320年頃)は、わたしたちもよくその名を聞く、トトメス一世から四世、ハトシェプスト女王、ツタンカーメンたちが活躍した時代でした。その主都はナイル中流域のテーベ現在のルクソールで、第十八王朝のファラオたちはみなテーベで生活しました。 
 第十九王朝(BC.1320年頃-BC.1200年頃)初代のラメセス一世から王位を継承したセティ一世は、都をテーベからナイルデルタ地帯の東へ遷都し、都を父に因んでペル・ラメセス(またはピ・ラメセス 「ラメセスの家」の意)と名付けました。一章十一節でイスラエルの人々がラメセスの町を建設するために、重労働に課せられたという事に合致します。そこは現在タニスと呼ばれる町のことだと思われます。町の遺跡からはラメセス二世の名を記した石材や、オベリスクの先端部分など多数が発掘されています。
 ラメセス二世(BC.1300頃-BC.1230年頃)は、エジプトの史上最強の王で、上・下エジプトを支配し、単独で六十七年という歴代のファラオ中、最長期間王位にありました。上エジプトに位置するアスワンやテーベに巨大な神殿を奉献し、神殿の門には砂岩や花崗岩を彫刻して自分の像を配し、柱にも壁にも自分の業績を刻み、戦勝記念碑を建てました。下エジプトでは、父セティ一世が着手した首都移転事業を完成させるべく、全力を尽くしました。
 イスラエルの下役らがファラオの元へ行って訴え(5:15)エジプトに対する十の災いでは頑迷なファラオとモーセが再々交渉していますし(7:8-10)、ファラオは夜の間にモーセとアロンを王宮に呼び出しています(12:31)。 こうした記録から、王宮とイスラエルの民らが苦役を課せられた労働現場とは、近距離だったことが容易に想像できます。つまり王宮が、ゴシェンの地から六百キロメートルも南に離れたテーベに置かれていた第十八王朝期・いわゆる前期説は覆される訳です。
 
 このことから、それは第十九王朝のラメセス二世とその後継者メルエンプタハがやはり最もそれらしく思われます。今後さらに研究が進むことでしょう。
 さて、私たちは聖書本分に従って学ぶことにしましょう。

1:1 さて、ヤコブといっしょに、それぞれ自分の家族を連れて、エジプトへ行ったイスラエルの子たちの名は次のとおりである。 1:2 ルベン、シメオン、レビ、ユダ。 1:3 イッサカル、ゼブルンと、ベニヤミン。 1:4 ダンとナフタリ。ガドとアシェル。 1:5 ヤコブから生まれた者の総数は七十人であった。ヨセフはすでにエジプトにいた。 1:6 そしてヨセフもその兄弟たちも、またその時代の人々もみな死んだ。 1:7 イスラエル人は多産だったので、おびただしくふえ、すこぶる強くなり、その地は彼らで満ちた。 1:8 さて、ヨセフのことを知らない新しい王がエジプトに起こった。 1:9 彼は民に言った。「見よ。イスラエルの民は、われわれよりも多く、また強い。 1:10 さあ、彼らを賢く取り扱おう。彼らが多くなり、いざ戦いというときに、敵側についてわれわれと戦い、この地から出て行くといけないから。」 1:11 そこで、彼らを苦役で苦しめるために、彼らの上に労務の係長を置き、パロのために倉庫の町ピトムとラメセスを建てた。 1:12 しかし苦しめれば苦しめるほど、この民はますますふえ広がったので、人々はイスラエル人を恐れた。 1:13 それでエジプトはイスラエル人に過酷な労働を課し、 1:14 粘土やれんがの激しい労働や、畑のあらゆる労働など、すべて、彼らに課する過酷な労働で、彼らの生活を苦しめた。

 「さて、ヨセフのことを知らない新しい王がエジプトに起こった」ということはそれまでエジプトの地中海沿岸のデルタ地帯、下エジプトを支配していたヒクソス王朝が追い払われてエジプト人の第十八王朝になったことを意味しています。この王朝はそれまでのナイル川上流のテーベからナイルデルタに都を移しました。イスラエル人はゴセンの地、すなわちナイルデルタに住んでいましたから、彼らは圧迫され奴隷としてこき使われることになりました。イスラエル人は今までののんびりした農耕生活から一転して、ラメセス二世らの首都建設の為に過酷な労働を課せられることになりました。全エジプトを支配したヨセフの話は遠い昔話になっていたのです。エジプト人はハム系でイスラエルはセム系の民族です。パレスチナのセム系の民族との戦いはエジプトの歴史に数多く現れますから、エジプト人がイスラエル人を恐れたのも分かります。れんがというのはわらを短く切って土に入れ、練って日に干したもの「日干し煉瓦」でした。

1:15 また、エジプトの王は、ヘブル人の助産婦たちに言った。そのひとりの名はシフラ、もうひとりの名はプアであった。 1:16 彼は言った。「ヘブル人の女に分娩させるとき、産み台の上を見て、もしも男の子なら、それを殺さなければならない。女の子なら、生かしておくのだ。」 1:17 しかし、助産婦たちは神を恐れ、エジプトの王が命じたとおりにはせず、男の子を生かしておいた。 1:18 そこで、エジプトの王はその助産婦たちを呼び寄せて言った。「なぜこのようなことをして、男の子を生かしておいたのか。」 1:19 助産婦たちはパロに答えた。「ヘブル人の女はエジプト人の女と違って活力があるので、助産婦が行く前に産んでしまうのです。」 1:20 神はこの助産婦たちによくしてくださった。それで、イスラエルの民はふえ、非常に強くなった。 1:21 助産婦たちは神を恐れたので、神は彼女たちの家を栄えさせた。 1:22 また、パロは自分のすべての民に命じて言った。「生まれた男の子はみな、ナイルに投げ込まなければならない。女の子はみな、生かしておかなければならない。」        

 ここはとても面白いところです。出エジプトの時代のファラオは全くその名が出てこないのに、助産婦の名が出てくるのです。ファラオの名が書いてあれば時代の特定が出来るのに、その名は全く無視されています。聖書の記者たちは、自分たちを苦しめた王の名を書くことを嫌ったのでしょうか。ついにファラオは怒り男の子はナイル川に投げ込めと命じます。大変なことです。かわいい赤ちゃんが母の手から奪いさられて川に投げ込まれたのです。実際に多くの赤ちゃんがそういう運命をたどったのでしょう。
                                    ラメセスU世

2:1 さて、レビの家のひとりの人がレビ人の娘をめとった。 2:2 女はみごもって、男の子を産んだが、そのかわいいのを見て、三か月の間その子を隠しておいた。 2:3 しかしもう隠しきれなくなったので、パピルス製のかごを手に入れ、それに瀝青と樹脂とを塗って、その子を中に入れ、ナイルの岸の葦の茂みの中に置いた。 2:4 その子の姉が、その子がどうなるかを知ろうとして、遠く離れて立っていたとき、 2:5 パロの娘が水浴びをしようとナイルに降りて来た。彼女の侍女たちはナイルの川辺を歩いていた。彼女は葦の茂みにかごがあるのを見、はしためをやって、それを取って来させた。 2:6 それをあけると、子どもがいた。なんと、それは男の子で、泣いていた。彼女はその子をあわれに思い、「これはきっとヘブル人の子どもです。」と言った。 2:7 そのとき、その子の姉がパロの娘に言った。「あなたに代わって、その子に乳を飲ませるため、私が行って、ヘブル女のうばを呼んでまいりましょうか。」 2:8 パロの娘が「そうしておくれ。」と言ったので、おとめは行って、その子の母を呼んで来た。 2:9 パロの娘は彼女に言った。「この子を連れて行き、私に代わって乳を飲ませてください。私があなたの賃金を払いましょう。」それで、その女はその子を引き取って、乳を飲ませた。 2:10 その子が大きくなったとき、女はその子をパロの娘のもとに連れて行った。その子は王女の息子になった。彼女はその子をモーセと名づけた。彼女は、「水の中から、私がこの子を引き出したのです。」と言ったからである。

 何という悲劇と何という奇跡でしょうか。かわいらしい赤ちゃんを「瀝青と樹脂」コータールと松脂のようなもので防水したかごに入れたのです。川に流すときのお母さんヨケベデの心はどんなに切なく悲しかったことでしょう。目には涙、声を殺して泣いた事でしょう。パピルスと言うのは日本のかやつり草の大きなもので、エジプト人はこれで紙を作りました。そこから紙のことを英語でペイパーと言うようになったのです。
 かごは流れに沿って流れて、足の茂みの中に止まりました。そこにファラオの娘がやってきました。神様の計画が始まったのです。「赤ちゃんは泣いていた」胸がつぶれる思いですね。ファラオの娘は哀れに思って拾い上げました。
 そこに、それまでかごの行方を見届けていた赤ちゃんの姉ミリアムが来て、賢く進言します。「あなたに代わって乳を飲ませる乳母を連れてきましょうか。」そんなに上手く行くものでしょうか。神様が計画されているのですから、上手く行くのです。何と、結局、その赤ちゃんは実の母に育てられることになりました。
 赤ちゃんが育つ間も何度もファラオの娘は見に来たに違いありません。そして二、三歳になったとき王女の家に引き取られました。王女は彼にモーセ「引き出す」と名をつけました。ところがモーセと言うのはエジプトではよくある名前です。例えばトトメスというのはトートモーセス「冥府の王トトの子」、ラメセスはラーモーセス「太陽の神ラーの子」という意味です。子とは「父から出てきたもの」と言う意味です。そこから私は実際には何かエジプトの偶像の名がついていたのを、モーセが嫌って取ってしまったのではないかと思います。もちろん、エジプトからイスラエルを「引き出す」と言う意味があったので、本当にモーセだけだったのかもしれません。モーセと言うのはエジプトの名前で、それ以降、聖書にはモーセと言う名の人は一人も居ません。近年になって出てきますが。