ホームページ・メッセージ080629        小 石  泉

輪廻転生と十字架


 私は最近びっくり仰天したことがあります。それは非常に信頼していた神奈川県のある牧師が、何と!輪廻転生を信じていたのです! その先生の北海道の支部を管理する女性の指導者が、自分の前世はマリー・アントワネットだと言っているということを、その集会に出席していた人々から聞いたのです。さらにその牧師も自分はムー大陸の神官だったと言っていたそうです! この方はかなり有名な指導者です。
 私は驚いてその先生に事の真偽を確かめようと電話しました。すると、彼は盛んに「証明は出来ませんがね」と言うのです。証明できない? 「ということは信じているのですか?」と聞くと「いや信じていません」と答えます。しかし、どうも歯切れが悪いのです。そして、聖書にも、エリヤの生まれ変わりとしてバプテスマのヨハネが居た。使徒後時代のオリゲネスが言っていたと言います。
 私はクリスチャンになって50年になります。父の代からだと100年近くの間、輪廻転生を信じている教会にもクリスチャンにも一度も会ったことはありませんでした。私はそんなことがあるとは思っても見ませんでした。それで非常に驚きました。輪廻転生はキリスト教と最も対極にある思想です。これは死んで無くなってしまうことへの慰めとして考え出された仏教的な発想でしょう。
 聖書は人が生まれ変わるということを教えていません。それは聖書に書き添える必要も無いほど明白なことです。人が人に生まれ変わったり、他の動物に生まれ変わることはありません。

神は、その種類にしたがって野の獣、その種類にしたがって家畜、その種類にしたがって地のすべてのはうものを造られた。神は見て、それをよしとされた。そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。創世記1:25 〜27

 神様は動物を種類にしたがって創造されました。ですから人が他の動物に生まれ変わることはありません。人は人、ゴキブリはゴキブリ、ライオンはライオンです。そして、人間は尊い「神のかたち」に創造されたのです。神のかたちが、死んだら別のものになるはずはありません。さらに、人は一度だけ生まれ、一度だけ死ぬのです。

あなたは、身ごもった女の胎の中で、どうして霊が骨にはいるかを知らない。そのようにあなたは、すべての事をなされる神のわざを知らない。伝道の書11:5

そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。ヘブル書9:27〜28(口語訳)

 人は一度だけ生まれて死ぬのです。二度も三度も死ぬことはありません。マリー・アントワネットはマリー・アントワネットです。彼女は死に、もう一度北海道の女性に生まれることはありません。それにしても世界にマリー・アントワネットの生まれ変わりを自称する人は何人居るのでしょうか? 馬鹿もほどほどにしなさい。

あなたは人をちりに帰らせて言われます、「人の子よ、帰れ」と。詩篇90:3(口語訳)

ちりは、もとのように土に帰り、霊はこれを授けた神に帰る。伝道の書12:7(口語訳)

 人は一度死に、霊は神に帰ります。輪廻転生は人間の生命に対する神の主権を否定するものです。さらにキリストの十字架の贖いを考えると、一層、奇怪です。

しかしキリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、手で造った物でない、言い替えれば、この造られた物とは違った、さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所にはいり、永遠の贖いを成し遂げられたのです。ヘブル9:11〜12

キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。9:28

 キリストは一度だけ永遠の贖いをなさいました。それでは、その姉妹や牧師が、キリストを信じ救われているとすると、マリー・アントワネットであり、ムー大陸の神官であった者は救われているのでしょうか? さらにマリー・アントワネットや神官の先の人格は救われたのでしょうか。その先の人格がもし人間ではなく獣や虫だったら、キリストの贖いはどうなるのでしょうか? これはものすごくナンセンスで、はなはだしい冒涜です。
 数年前に「葉っぱのフレデイー」という童話が話題になったことがあります。葉っぱが枯れて落ちて、腐って、その養分が次の葉っぱの肥料となるという話でした。高名な自称クリスチャンの老医師が賞賛していました。しかし、この話は輪廻転生の希望を述べたものだと私は思いました。人は死んで、無くなってしまうことが耐えられないのでしょう。
 数年前に小児癌の病棟を訪問していたことがあります。若い少年少女が確実に迫ってくる死と毎日向き合っていました。昨日まで元気なサッカー少年が、足の痛みを訴え、病院に来ると骨肉腫。若い肉体では癌の進行は早く、一週間後には片足が切り取られ、一ヵ月後にはベッドは空になります。直ったことになって。その後、少年のお母さんがお電話をくださいました。「いやです。自分が無くなってしまうなんて。」「いいえ、無くなりませんよ、私は彼に永遠の命のことを話しましたから。」しかし、お母さんは理解したかどうか。
 私はオリゲネスについては詳しく知りませんが、かなりギリシャ哲学を取り入れた人と聞いていますので輪廻転生の思想に近いものもあったのかもしれません。そして、西洋にも、例えば「人魚姫」の話のように輪廻転生に似た発想もあります。人魚姫は人間の王子様に恋をします。しかし、その恋が実らなかったとき、彼女は死に、その体は泡となって空中に漂い、新しい何かになるという話でした。また、最近流行のニューエイジは仏教やヒンズー教を取り入れていますから、輪廻転生も語られています。しかし、これらはキリスト教への反抗、反逆としてサタンの用いる手なのです。
 しかし、天地創造と十字架の贖いを考えるなら、輪廻転生はありえない思想です。それをクリスチャンや教会が信じるなんて!!! その牧師は、死後の救い、いわゆるセカンドチャンス、死者のための洗礼を語ります。そのいずれも聖書にはほとんど確実な教えとして成立していないものです。また、日本人ユダヤ人論や預言も語ります。その預言は自己中心で幼稚極まりないものです。どうしてあの堅実な信仰の人がこんなに変わってしまったのか。私は不思議でなりません。

それは、私たちがもはや、子どもではなくて、人の悪巧みや、人を欺く悪賢い策略により、教えの風に吹き回されたり、波にもてあそばれたりすることがなく、エペソ4:14

愛する者たち。私はあなたがたに新しい命令を書いているのではありません。むしろ、これはあなたがたが初めから持っていた古い命令です。その古い命令とは、あなたがたがすでに聞いている、みことばのことです。 1ヨハネ2:7

 聖書だけで十分です。聖書以外に何かを求めるならそれは果てしない迷妄の世界に導くでしょう。あなたは永遠にあなたです。栄光の姿に変えられて、神と共に住むか、永遠に神から離れて闇の世界に住むかの違いはありますが。