ホームページ・メッセージ080622            小 石  泉

エレミヤ


 聖書の預言者の中で特にイザヤ、エレミヤ、エゼキエルの三人は大預言者として知られています。イザヤは炎にペンを浸し、エレミヤは涙にペンを浸したと言われています。エゼキエルは非常に神秘的で神の御座の光景や終末の予言を書いています。
 私は若いころイザヤが好きでした。美しく大胆で力強い文章です。一方、エレミヤは預言者の苦悩をにじませた、悲しみに満ちた文章です。ところが最近、私はエレミヤ書が痛切に判ります。 エレミヤは若いころ神様から預言者としての召命を受けました。

主の言葉がわたしに臨んで言う、「わたしはあなたをまだ母の胎につくらないさきに、あなたを知り、あなたがまだ生れないさきに、あなたを聖別し、あなたを立てて万国の預言者とした」。その時わたしは言った、「ああ、主なる神よ、わたしはただ若者にすぎず、どのように語ってよいか知りません」。しかし主はわたしに言われた、「あなたはただ若者にすぎないと言ってはならない。だれにでも、すべてわたしがつかわす人へ行き、あなたに命じることをみな語らなければならない。彼らを恐れてはならない、わたしがあなたと共にいて、あなたを救うからである」と主は仰せられる。そして主はみ手を伸べて、わたしの口につけ、主はわたしに言われた、「見よ、わたしの言葉をあなたの口に入れた。見よ、わたしはきょう、あなたを万民の上と、万国の上に立て、あなたに、あるいは抜き、あるいはこわし、あるいは滅ぼし、あるいは倒し、あるいは建て、あるいは植えさせる」。1:4〜10

 エレミヤに与えられた使命は途方もないものでした。「あなたを万民の上と、万国の上に立て、あなたに、あるいは抜き、あるいはこわし、あるいは滅ぼし、あるいは倒し、あるいは建て、あるいは植えさせる」とは何と恐るべき権力でしょうか。彼は世界のどんな王よりも権威権勢を与えられたのです。しかし、これがどれほど、彼個人にとっては悲しい地位となったかは、後に判ります。
 エレミヤも他の預言者のようにユダの罪と背信と冒涜を責めました。しかし、彼が国民全てから憎まれたのは、当時、世界を征服しつつあったバビロンの王ネブカドネザルに降伏することを勧めたからです。これは預言者にあるまじき態度に見えたことでしょう。

「ユダの王アモンの子ヨシヤの十三年から今日にいたるまで二十三年の間、主の言葉がわたしに臨んだ。わたしはたゆまずにそれをあなたがたに語ってきたが、あなたがたは聞かなかった。 主はたゆまず、そのしもべである預言者を、あなたがたにつかわされたが、あなたがたは聞かずまた耳を傾けて聞こうともしなかった。彼らは言った、『あなたがたはおのおの今その悪の道と悪い行いを捨てなさい。そうすれば主が昔からあなたがたと先祖たちとに与えられた地に永遠に住むことができる。あなたがたは、ほかの神に従って、それに仕え、それを拝んではならない。あなたがたの手で作ったものをもって、わたしを怒らせてはならない。このようなことをしないなら、わたしはあなたがたをそこなうことはない』と。しかしあなたがたはわたしに聞き従わず、あなたがたの手で作った物をもって、わたしを怒らせて自ら害を招いたと、主は言われる。それゆえ万軍の主はこう仰せられる、あなたがたがわたしの言葉に聞き従わないゆえ、見よ、わたしは北の方のすべての種族と、わたしのしもべであるバビロンの王ネブカデレザルを呼び寄せて、この地とその民と、そのまわりの国々を攻め滅ぼさせ、これを忌みきらわれるものとし、人の笑いものとし、永遠のはずかしめとすると、主は言われる。またわたしは喜びの声、楽しみの声、花婿の声、花嫁の声、ひきうすの音、ともしびの光を彼らの中に絶えさせる。この地はみな滅ぼされて荒れ地となる。そしてその国々は七十年の間バビロンの王に仕える。25:3〜11

 預言者は自国の利益の為に預言するものです。しかし、当時の人々にとってエレミヤの預言は強い敵におもねって、戦うことも勧めず、初めから敗北し、国を売る卑劣な態度に見えたのです。ですから祭司階級や預言者たち、また民衆は彼を捕え殺そうとしました。しかし、政治的な指導者や民衆の別の人々は彼を殺すなと言いました。

エレミヤが主に命じられたすべての言葉を民に告げ終った時、祭司と預言者および民はみな彼を捕えて言った、「あなたは死ななければならない。なぜあなたは主の名によって預言し、この宮はシロのようになり、この町は荒されて住む人もなくなるであろうと言ったのか」と。民はみな主の宮に集まってエレミヤを取り囲んだ。ユダのつかさたちはこの事を聞いて王の宮殿を出て主の宮に上り、主の宮の「新しい門」の入口に座した。 祭司と預言者らは、つかさたちとすべての民に訴えて言った、「この人は死刑に処すべき者です。あなたがたが自分の耳で聞かれたように、この町に逆らう預言をしたのです」。その時エレミヤは、つかさたちとすべての民に言った、「主はわたしをつかわし、この宮とこの町にむかって、預言をさせられたので、そのすべての言葉をあなたがたは聞いた。それで、あなたがたは今、あなたがたの道と行いを改め、あなたがたの神、主の声に聞き従いなさい。そうするならば主はあなたがたに災を下そうとしたことを思いなおされる。見よ、わたしはあなたがたの手の中にある。あなたがたの目に、良いと見え、正しいと思うことをわたしに行うがよい。ただ明らかにこのことを知っておきなさい。もしあなたがたがわたしを殺すならば、罪なき者の血はあなたがたの身と、この町と、その住民とに帰する。まことに主がわたしをつかわして、このすべての言葉をあなたがたの耳に、告げさせられたからである」。 つかさたちと、すべての民とは、祭司と預言者に言った、「この人は死刑に処すべき者ではない。われわれの神、主の名によってわれわれに語ったのである」。26:8〜16

 同じころ、ウリヤという預言者がエレミヤと同じような預言をしました。しかし、彼は人々を恐れ、エジプトに逃げていったので捜索隊によって殺されてしまいました。神の預言者なのに神に保護を求めないで人間的に逃避したからです。

主の名によって預言した人がほかにもあった。すなわちキリアテ・ヤリムのシマヤの子ウリヤである。彼はエレミヤとおなじような言葉をもって、この町とこの地にむかって預言した。エホヤキム王と、そのすべての勇士と、すべてのつかさたちはその言葉を聞いた。そして王は彼を殺そうと思ったが、ウリヤはこれを聞いて恐れ、エジプトに逃げて行ったので、エホヤキム王は人をエジプトにつかわした。すなわちアクボルの子エルナタンと他の数名の人を、エジプトにつかわした。彼らはウリヤをエジプトから引き出し、エホヤキム王のもとに連れてきたので、王はつるぎをもって彼を殺し、その死体を共同墓地に捨てさせた。しかしシャパンの子アヒカムはエレミヤを助け、民の手に渡されて殺されることのないようにした。26:20〜24

 しかし、エレミヤも人の子です。全国民からののしられ、迫害されることに疲れてしまって、神様に愚痴を言うことも出来ないので母が産んでくれなかったらと嘆きます。

ああ、わたしはわざわいだ。わが母よ、あなたは、なぜ、わたしを産んだのか。全国の人はわたしと争い、わたしを攻める。わたしは人に貸したこともなく、人に借りたこともないのに、皆わたしをのろう。主よ、もしわたしが彼らの幸福をあなたに祈り求めず、また敵のため、その悩みのときと、災のときに、わたしがあなたにとりなしをしなかったのであれば、彼らののろいも、やむをえないでしょう。(中略)主よ、あなたは知っておられます。わたしを覚え、わたしを顧みてください。わたしを迫害する者に、あだを返し、あなたの寛容によって、わたしを取り去らないでください。わたしがあなたのために、はずかしめを受けるのを知ってください。 わたしはみ言葉を与えられて、それを食べました。み言葉は、わたしに喜びとなり、心の楽しみとなりました。万軍の神、主よ、わたしは、あなたの名をもってとなえられている者です。わたしは笑いさざめく人のつどいにすわることなく、また喜ぶことをせず、ただひとりですわっていました。あなたの手がわたしの上にあり、あなたが憤りをもってわたしを満たされたからです。どうしてわたしの痛みは止まらず、傷は重くて、なおらないのですか。あなたはわたしにとって、水がなくて人を欺く谷川のようになられるのですか。15:10〜18

 神様はエレミヤに答えられます。

「もしあなたが帰ってくるならば、もとのようにして、わたしの前に立たせよう。もしあなたが、つまらないことを言うのをやめて、貴重なことを言うならば、わたしの口のようになる。彼らはあなたの所に帰ってくる。しかしあなたが彼らの所に帰るのではない。わたしはあなたをこの民の前に、堅固な青銅の城壁にする。彼らがあなたを攻めても、あなたに勝つことはできない。わたしがあなたと共にいて、あなたを助け、あなたを救うからであると、主は言われる。わたしはあなたを悪人の手から救い、無慈悲な人の手からあがなう」。15:19〜21

そう言われても・・・生身の体には人々のあざけりは堪えます。やっぱり神様に愚痴も言いたくなります。

主よ、あなたがわたしを欺かれたので、わたしはその欺きに従いました。あなたはわたしよりも強いので、わたしを説き伏せられたのです。わたしは一日中、物笑いとなり、人はみなわたしをあざけります。それは、わたしが語り、呼ばわるごとに、「暴虐、滅亡」と叫ぶからです。主の言葉が一日中、わが身のはずかしめと、あざけりになるからです。20:7〜8

 しかし、もういやだ、やめようと思っても真実を知ってしまったら黙っていられません。

もしわたしが、「主のことは、重ねて言わない、このうえその名によって語る事はしない」と言えば、主の言葉がわたしの心にあって、燃える火のわが骨のうちに閉じこめられているようで、それを押えるのに疲れはてて、耐えることができません。20:9

 何時の時代でも、真実を語る人は社会からは受け入れられないものです。私はエレミヤのような預言者の油注ぎ(使命のための特別な能力を受けること)を受けたわけでもなく、神の御言葉を日々、預かっているわけでもありません。またエレミヤのように、清い器でもありません。しかし、たまたまサタンの、今現在、世界の中での具体的な働きを知ってしまって、それが一般の人の目には隠されているために、エレミヤとそっくりな苦しみを感じます。暴虐と滅亡があるから「暴虐と滅亡がある」というといつもそんなことばかり言うといわれます。世界的な神の器といわれる人が本当は偽りものだと言うと、お前がおかしいと言われます。C.S.ルイスは世界的なサタン礼拝の祭司団GOLDEN DAWN「黄金の夜明け」の最長老だったと言うと憎まれるのです。「ナルニア国物語」など、まるでオカルトの教科書みたいなのに。隠喩だとか比喩などを通り越して不気味だと思いませんか。
 私も出来ることなら、もっと人々に喜ばれる耳障りのいい話をしたい。しかし、知ってしまった以上、自分を偽ることは出来ません。エレミヤは生きているうちに彼の正しいことが証明されました。私の場合もそうなるでしょうか。案外、時は近いと思っています。