ホームページ・メッセージ080601            小 石  泉

一番大切なこと


律法学者がひとり来て、その議論を聞いていたが、イエスがみごとに答えられたのを知って、イエスに尋ねた。「すべての命令の中で、どれが一番たいせつですか。」イエスは答えられた。「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにありません。そこで、この律法学者は、イエスに言った。「先生。そのとおりです。『主は唯一であって、そのほかに、主はない。』と言われたのは、まさにそのとおりです。また『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして主を愛し、また隣人をあなた自身のように愛する。』ことは、どんな全焼のいけにえや供え物よりも、ずっとすぐれています。」イエスは、彼が賢い返事をしたのを見て、言われた。「あなたは神の国から遠くない。」それから後は、だれもイエスにあえて尋ねる者がなかった。マルコ12:28〜34

 イスラエルのエルサレムに行くと、町に入る少し手前に高いポールが立っています。それは安息日(土曜日)に、それ以上先に行ってはいけないという目印です。また、安息日にカメラを構えると、どこからともなく人が来て写真を撮ってはいけないと忠告されます。シャッターを切ることは仕事をすることになるからです。事ほど左様に、ユダヤ人は律法に制約されています。モーセの十戒は何百倍もの禁止事項を生み出しました。律法学者という職業すら出来るほど詳細に厳重になったのです。
 ここにやってきた律法学者は少し違っていました。彼は主イエスのお話を聞いて、彼が長年抱いていた疑問を尋ねました。数多い律法の中で「どれが一番大切ですか?」。それに対して主は申命記の言葉から答えられました。

心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。申命記6:5

 もし、この人が普通の律法学者だったら、この答えに戸惑いを感じたでしょう。なぜなら律法とは「してはならない」という禁止事項が多いからです。しかし、この律法は「しなさい」という奨励事項だからです。それも、神を「愛しなさい」です。
 世界のどの宗教が自分の神を「愛しなさい」と教えるでしょうか。この戒めは、本来はユダヤ教のものでした。しかし、ユダヤ人たちがこれを正しく理解していたとは思えません。これを本当に理解し実践したのはキリスト教だったと言えるでしょう。ところがこの律法学者は理解していました。彼は「先生。そのとおりです。『主は唯一であって、そのほかに、主はない。』と言われたのは、まさにそのとおりです。また『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして主を愛し、また隣人をあなた自身のように愛する。』ことは、どんな全焼のいけにえや供え物よりも、ずっとすぐれています。」と喜びを持って答えました。だから主イエスも「あなたは神の国から遠くない。」と答えられたのです。この律法学者は神の御心、律法の真髄を把握していて、それを主イエスに確認して満足したのです。
 ところで、あなたは心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして神様を愛していますか? この宗教においては、神を信じるということは、神を愛することです。不思議な宗教ですね。多くの日本人に「あなたは、あなたの神を愛していますか?」と聞いたら「ええ?」と怪訝な顔をされるでしょう。神とは崇拝するもの、遠くから畏れかしこむものではあっても、愛するものではないと思っているでしょう。元々、日本の神々には人間のようなペルソナ(人格?)がないのですから、無理もありません。しかし、あなたは、あなたの神、主を愛してください。愛するとは好きになることです。
 次に、人に対する戒めが語られます。それはレビ記の引用です。

復讐してはならない。あなたの国の人々を恨んではならない。あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。わたしは主である。レビ19:18

 主イエスは自分自身のように、隣人を愛することを、戒めの第二と言われました。この御言葉はこれ以上ないほど気高く美しいですね。そのように出来たらどんなにすばらしいでしょうか。
 ところが私が思うに、人は自分自身を愛することが出来ない場合があります。特に日本人はそうです。あなたは自分自身を心から受け入れ、許し、認め、喜び、愛することが出来ますか? むしろ、その逆で、至らないところ、容貌、心の醜さ、失敗への後悔、愛の足りなさなどに悲しい思いを持っていませんか? 
 自己憐憫や自己満足や自己中心で自分を愛している人は、結局、無思慮で他人を傷つけ、周りを辟易させるものです。そうではなくて、バランスの取れた自己分析で、自分を受け入れ、愛し、認めることを学ぶ必要があります。自分に満ち足りていなければ、どうして他人を満ち足らせられるでしょうか。「与えなさいそうすれば与えられます」という御言葉もありますが、こればかりは無い袖は振れないのです。
 まず、あなたが神に愛されていることを認めましょう。あなたのために神の御子が十字架に掛かって死なれるほど、あなたは愛されているのです。

わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。イザヤ43:4

 次にあなたが生まれてきたことに感謝しましょう。生まれないほうが良かったと思うこともあるでしょうが、あなたがまず、この世に存在しなければ天国にも行けません。そしてあなたは世界で唯一の存在なのです。
 私はある女の子を忘れることが出来ません。その子は教団の夏の学生キャンプに他のグループから参加しました。彼女はみんなの前でこう証しました。「私は学校に行っていません。でも私は自分が大好きです。」なぜ、彼女が、自分が好きなのか分かりません。しかし、彼女はキラキラと輝いていました。そしていつも周りに子供たちが集まっていました。私はそれを見て、なるほど自分を愛さなければ人を愛することは出来ないのだと思いました。自分を正しく愛する人は自然に他人を愛することが出来るのだと。
 そうは言っても、自分を愛することは難しいものです。それなら、自分に言いましょう。「君を許します。君を受け入れます。君はすばらしい。君は美しい。私は君を喜びます。」そう思うか思わないかは関係なく、言うことです。言葉は力です。言葉は物事を変化させます。世界は神の「言葉」から出来たのです。
隣人を愛する前に、あなた自身を愛することを学びましょう。「私は私を愛します」と言い続けることです。