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Bible Land museum
バイブルランド博物館
創世記 ヨセフ[
47:13 ききんが非常に激しかったので、全地に食物がなく、エジプトの地もカナンの地もききんのために衰え果てた。 47:14 それで、ヨセフはエジプトの地とカナンの地にあったすべての銀を集めた。それは人々が買った穀物の代金であるが、ヨセフはその銀をパロの家に納めた。 47:15 エジプトの地とカナンの地に銀が尽きたとき、エジプト人がみなヨセフのところに来て言った。「私たちに食物を下さい。銀が尽きたからといって、どうして私たちがあなたさまの前に死んでよいでしょう。」 47:16 ヨセフは言った。「あなたがたの家畜をよこしなさい。銀が尽きたのなら、家畜と引き替えに与えよう。」 47:17 彼らがヨセフのところに家畜を引いて来たので、ヨセフは馬、羊の群れ、牛の群れ、およびろばと引き替えに、食物を彼らに与えた。こうして彼はその年、すべての家畜と引き替えた食物で彼らを切り抜けさせた。
47:18 やがてその年も終わり、次の年、人々はまたヨセフのところに来て言った。「私たちはあなたさまに何も隠しません。私たちの銀も尽き、家畜の群れもあなたさまのものになったので、私たちのからだと農地のほかには、あなたさまの前に何も残っていません。
47:19 私たちはどうして農地といっしょにあなたさまの前で死んでよいでしょう。食物と引き替えに私たちと私たちの農地とを買い取ってください。私たちは農地といっしょにパロの奴隷となりましょう。どうか種を下さい。そうすれば私たちは生きて、死なないでしょう。そして、土地も荒れないでしょう。」
47:20 それでヨセフはエジプトの全農地を、パロのために買い取った。ききんがエジプト人にきびしかったので、彼らがみな、その畑地を売ったからである。こうしてその土地はパロのものとなった。
47:21 彼は民を、エジプトの領土の端から端まで町々に移動させた。 47:22 ただ祭司たちの土地は買い取らなかった。祭司たちにはパロからの給与があって、彼らはパロが与える給与によって生活していたので、その土地を売らなかったからである。
47:23 ヨセフは民に言った。「私は、今、あなたがたとあなたがたの土地を買い取って、パロのものとしたのだから。さあ、ここにあなたがたへの種がある。これを地に蒔かなければならない。
47:24 収穫の時になったら、その五分の一はパロに納め、五分の四はあなたがたのものとし、畑の種のため、またあなたがたの食糧のため、またあなたがたの家族の者のため、またあなたがたの幼い子どもたちの食糧としなければならない。」
47:25 すると彼らは言った。「あなたさまは私たちを生かしてくださいました。私たちは、あなたのお恵みをいただいてパロの奴隷となりましょう。」
47:26 ヨセフはエジプトの土地について、五分の一はパロのものとしなくてはならないとの一つのおきてを定めた。これは今日に及んでいる。ただし祭司の土地だけはパロのものとならなかった。

この物語には書かれていない歴史的背景があります。当時、エジプトは15王朝時代で、セム系異民族ヒクソスが支配していました。しかし、彼らは必ずしも全エジプトを安定的に支配していたのではなく、エジプト人そのものの反抗や反撃もあったと考えられます。しかし、ヨセフの賢明な経済統制によってヒクソス王朝は莫大な穀物を備蓄し、それによってまず金銀、次に家畜、次に土地と言う風に支配を固めることが出来たのです。土地を穀物の代わりに買い上げた後に、収穫の20%を献納させたのですが、これはかなり寛大な政策だったと思われます。この時も祭司集団は土地も富も失うことはありませんでした。エジプトの宗教祭司団の権力は時にはファラオを超えるものでした。
ヒクソスはエジプト第2中間期と呼ばれる時代に古代エジプトに登場した人々。彼らは一般にシリア・パレスチナ地方に起源を持つ雑多な人々の集団であったと考えられている。ヒクソスと言う呼称は「異国の支配者達」を意味する古代エジプト語、「ヘカ・カスウト」のギリシア語形に由来する。ヘカ・カスウトはしばしば「羊飼いの王達」とも訳されていたが、現在では誤訳であるとされている。トリノ王名表によれば6人のヒクソス王が108年間在位したと伝えられている。マネトの記録によれば第15王朝の王も6人とされており、一般に「ヒクソス」、「ヒクソス政権」などと表現した場合、第15王朝を指す。また、第15王朝を大ヒクソス、第16王朝を小ヒクソスと呼ぶ場合もある。なお、エジプト第17王朝はナイル上流に同時に存在したらしい。
47:27 さて、イスラエルはエジプトの国でゴシェンの地に住んだ。彼らはそこに所有地を得、多くの子を生み、非常にふえた。 47:28 ヤコブはエジプトの地で十七年生きながらえたので、ヤコブの一生の年は百四十七年であった。 47:29 イスラエルに死ぬべき日が近づいたとき、その子ヨセフを呼び寄せて言った。「もしあなたの心にかなうなら、どうかあなたの手を私のももの下に入れ、私に愛と真実を尽くしてくれ。どうか私をエジプトの地に葬らないでくれ。 47:30 私が先祖たちとともに眠りについたなら、私をエジプトから運び出して、先祖たちの墓に葬ってくれ。」するとヨセフは言った。「私はきっと、あなたの言われたとおりにいたします。」 47:31 それでイスラエルは言った。「私に誓ってくれ。」そこでヨセフは彼に誓った。イスラエルは床に寝たまま、おじぎをした。
ヤコブの召される日が近づきました。彼は147歳まで生きたとありますが、これはこの当時でもかなり長寿な方です。彼はルベンでもなくユダでもなくヨセフに彼の葬りを頼みました。それはエジプトではなく、先祖の地、パレスチナのヘブロンです。アブラハム、イサクとともに葬られることを願ったのです。今でも多くのユダヤ人はイスラエルで葬られることを望んでいます。外国でスパイ活動をして殺されたような場合でも、イスラエル政府は何とかしてその遺骸をイスラエルに帰すように求めます。
48:1 これらのことの後、ヨセフに「あなたの父上は病気です。」と告げる者があったので、彼はそのふたりの子、マナセとエフライムを連れて行った。
48:2 ある人がヤコブに告げて、「あなたの子ヨセフがあなたのもとにおいでです。」と言ったので、イスラエルは力をふりしぼって床にすわった。
48:3 ヤコブはヨセフに言った。「全能の神がカナンの地ルズで私に現われ、私を祝福して、
48:4 私に仰せられた。『わたしはあなたに多くの子を与えよう。あなたをふやし、あなたを多くの民のつどいとし、またこの地をあなたの後の子孫に与え、永久の所有としよう。』
48:5 今、私がエジプトに来る前に、エジプトの地で生まれたあなたのふたりの子は、私の子となる。エフライムとマナセはルベンやシメオンと同じように私の子にする。
48:6 しかしあとからあなたに生まれる子どもたちはあなたのものになる。しかし、彼らが家を継ぐ場合、彼らは、彼らの兄たちの名を名のらなければならない。
48:7 私のことを言えば、私がパダンから帰って来たとき、その途上カナンの地で、悲しいことに、ラケルが死んだ。そこからエフラテに行くには、なお道のりがあったが、私はエフラテ、すなわちベツレヘムへの道のその場所に彼女を葬った。」
いよいよヤコブが死ぬとき、ヨセフは自分の子供たちをつれて来ました。ヤコブはここでヨセフの母ラケルについて話します。最も愛した妻のことを彼は忘れられなかったのでしょう。とりわけ不幸な女性だったので。しかし、こんなに愛されたと言うことは幸せなことですね。
48:8 イスラエルはヨセフの子らに気づいて言った。「これはだれか。」 48:9 ヨセフは父に答えた。「神がここで私に授けてくださった子どもです。」すると父は、「彼らを私のところに連れて来なさい。私は彼らを祝福しよう。」と言った。 48:10 イスラエルの目は老齢のためにかすんでいて、見ることができなかった。それでヨセフが彼らを父のところに近寄らせると、父は彼らに口づけし、彼らを抱いた。 48:11 イスラエルはヨセフに言った。「私はあなたの顔が見られようとは思わなかったのに、今こうして、神はあなたの子どもをも私に見させてくださった。」 48:12 ヨセフはヤコブのひざから彼らを引き寄せて、顔を地につけて、伏し拝んだ。 48:13 それからヨセフはふたりを、エフライムは自分の右手に取ってイスラエルの左手に向かわせ、マナセは自分の左手に取ってイスラエルの右手に向かわせて、彼に近寄らせた。 48:14 すると、イスラエルは、右手を伸ばして、弟であるエフライムの頭の上に置き、左手をマナセの頭の上に置いた。マナセが長子であるのに、彼は手を交差して置いたのである。 48:15 それから、ヨセフを祝福して言った。「私の先祖アブラハムとイサクが、その御前に歩んだ神。きょうのこの日まで、ずっと私の羊飼いであられた神。 48:16 すべてのわざわいから私を贖われた御使い。この子どもたちを祝福してください。私の名が先祖アブラハムとイサクの名とともに、彼らのうちにとなえ続けられますように。また彼らが地のまなかで、豊かにふえますように。」 48:17 ヨセフは父が右手をエフライムの頭の上に置いたのを見て、それはまちがっていると思い、父の手をつかんで、それをエフライムの頭からマナセの頭へ移そうとした。 48:18 ヨセフは父に言った。「父上。そうではありません。こちらが長子なのですから、あなたの右の手を、こちらの頭に置いてください。」 48:19 しかし、父は拒んで言った。「わかっている。わが子よ。私にはわかっている。彼もまた一つの民となり、また大いなる者となるであろう。しかし弟は彼よりも大きくなり、その子孫は国々を満たすほど多くなるであろう。」 48:20 そして彼はその日、彼らを祝福して言った。「あなたがたによって、イスラエルは祝福のことばを述べる。『神があなたをエフライムやマナセのようになさるように。』」こうして、彼はエフライムをマナセの先にした。 48:21 イスラエルはヨセフに言った。「私は今、死のうとしている。しかし、神はあなたがたとともにおられ、あなたがたをあなたがたの先祖の地に返してくださる。 48:22 私は、あなたの兄弟よりも、むしろあなたに、私が剣と弓とをもってエモリ人の手から取ったあのシェケムを与えよう。」
ここは非常に興味深いところです。ヨセフから子供を祝福することを求められたヤコブは兄のマナセと弟のエフライムをわざわざ手を交差して祝福したのです。本来なら兄のマナセに右手を弟のエフライムに左手を置くはずなのです。ヨセフはそれに気付いて父の手を戻そうとします。するとヤコブが言いました。「わかっている。わが子よ。私にはわかっている」。何だかジーンと来ますね。
兄の長子の特権を奪い、祝福を奪ったヤコブ。実際には家を離れ異国の地で苦労をする羽目になったヤコブ。彼はその思いをヨセフの子供を祝福する際に、後悔と悔い改めを込めて、弟を兄の上に置くことによって表したかったのでしょうか。それともやはり自分は正しかったのだと言いたかったのでしょうか。恐らく前者でしょう。
そして、その後の歴史において確かにエフライムはマナセに勝る部族となり、イスラエルが分裂したとき、北のイスラエルの指導者となったのはエフライム族でした。