ホームページ・メッセージ080323             小 石  泉

なぜ泣いているのですか だれを捜しているのですか


 イスラエルのエルサレムに園の墓と呼ばれる洞窟があります。19世紀末、当時パレスチナを治めていたイギリスの将軍ゴードンがこの場所を発見して、こここそキリストの墓だと紹介したので有名になりました。ここはイギリス国教会が管理しているキリストの墓の候補地の一つです。他にもカトリック教会が主張する聖墳墓教会というのがあって、そこは都合よく十字架の跡、十字架から降ろされた主イエスを寝かせた跡、墓の跡などが並んでいて、ろうそくと捧げられた香水の匂いが充満しています。しかし、ゴードンの墓の方が説得力を持っています。そこは次の聖書の記述にぴったりの場所です。

そのあとで、イエスの弟子ではあったがユダヤ人を恐れてそのことを隠していたアリマタヤのヨセフが、イエスのからだを取りかたづけたいとピラトに願った。それで、ピラトは許可を与えた。そこで彼は来て、イエスのからだを取り降ろした。前に、夜イエスのところに来たニコデモも、没薬とアロエを混ぜ合わせたものをおよそ三十キログラムばかり持って、やって来た。そこで、彼らはイエスのからだを取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従って、それを香料といっしょに亜麻布で巻いた。 イエスが十字架につけられた場所に園があって、そこには、まだだれも葬られたことのない新しい墓があった。その日がユダヤ人の備え日であったため、墓が近かったので、彼らはイエスをそこに納めた。
ヨハネ19:38〜42

 ここに出てくるアリマタヤのヨセフとニコデモは共に当時のエリート階級の人で、ヨセフは豪商、ニコデモは国会議員でした。彼らは主イエスが生きているうちは彼らの地位のために自分たちがイエスを信じているとは言えなかったのですが、十字架に掛かられたのを見て、地位も名誉も富も捨てることを厭わずに、名乗り出て、イエスの埋葬を実行しました。もし彼らの行動がなかったら、イエスの死体はどうなっていたでしょうか。
 また、この墓は当時のエルサレムの城壁のすぐ外にあり、その前に庭園があったことが判っています。貯水槽やぶどう酒をしぼる酒舟の跡が出てきたからです。今、ここに行くと野生のシクラメンなどの花が咲き、鳥が鳴く、静かなところです。このような庭園とプライベイトな墓を持つことが出来る人はかなり裕福なアリマタヤのヨセフのものだったということが素直にうなづけます。
 今から約2000年前のある朝、一人の女性がこの墓の前に立っていました。

それで、弟子たちはまた自分のところに帰って行った。しかし、マリヤは外で墓のところにたたずんで泣いていた。そして、泣きながら、からだをかがめて墓の中をのぞき込んだ。すると、ふたりの御使いが、イエスのからだが置かれていた場所に、ひとりは頭のところに、ひとりは足のところに、白い衣をまとってすわっているのが見えた。彼らは彼女に言った。「なぜ泣いているのですか。」彼女は言った。「だれかが私の主を取って行きました。どこに置いたのか、私にはわからないのです。」彼女はこう言ってから、うしろを振り向いた。すると、イエスが立っておられるのを見た。しかし、彼女にはイエスであることがわからなかった。イエスは彼女に言われた。「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」彼女は、それを園の管理人だと思って言った。「あなたが、あの方を運んだのでしたら、どこに置いたのか言ってください。そうすれば私が引き取ります。」イエスは彼女に言われた。「マリヤ。」彼女は振り向いて、ヘブル語で、「ラボニ(すなわち、先生)。」とイエスに言った。イエスは彼女に言われた。「わたしにすがりついていてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないからです。わたしの兄弟たちのところに行って、彼らに『わたしは、わたしの父またあなたがたの父、わたしの神またあなたがたの神のもとに上る。』と告げなさい。」マグダラのマリヤは、行って、「私は主にお目にかかりました。」と言い、また、主が彼女にこれらのことを話されたと弟子たちに告げた。ヨハネ20:10〜18

 実はこの女性マグダラのマリヤは他の女性たちとまだ暗いうちにこの墓にやってきたのでした。それはイエス様が十字架に掛かって息を引き取られてから、安息日の始まる日没まで時間がなかったので通常の埋葬が出来ず、あわただしく仮の埋葬しか出来なかったので、ちゃんとした埋葬をするために墓の番人に頼もうとやってきたのです。

週の初めの日の明け方早く、女たちは、準備しておいた香料を持って墓に着いた。見ると、石が墓からわきにころがしてあった。はいって見ると、主イエスのからだはなかった。そのため女たちが途方にくれていると、見よ、まばゆいばかりの衣を着たふたりの人が、女たちの近くに来た。恐ろしくなって、地面に顔を伏せていると、その人たちはこう言った。「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず罪人らの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえらなければならない、と言われたでしょう。」女たちはイエスのみことばを思い出した。そして、墓から戻って、十一弟子とそのほかの人たち全部に、一部始終を報告した。 この女たちは、マグダラのマリヤとヨハンナとヤコブの母マリヤとであった。彼女たちといっしょにいたほかの女たちも、このことを使徒たちに話した。ルカ24:1〜10

 墓のふたをしていた直径4メートル厚さ60センチもの円形の石は鉄の楔で留められ、ローマの封印で封印されていました。しかし、それは強力な力で引きちぎられ投げ出されていました。(ロン・ワイアット氏による発見)
 弟子たちと女たちは驚き恐れて、急いでエルサレムの弟子たちのところに報告に行きました。しかし、マグダラのマリヤだけはそこに残っていました。彼女には行くべきところがなかったのです。罪の中から救われ、メシヤとして敬い、慕った方が、十字架に掛けられ死なれた。そればかりかその死体さえ無くなった! もはや彼女の頼るべきものは消え去りました。呆然と立ちすくむだけです。そのマリヤに主は語り掛けられました。

 なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。

 何と言う驚き! 何と言う喜び! マリヤは人類最初の人間として復活の主に出会ったのです。エバがサタンの誘惑によって人類に罪が入り込みました。しかし、それから4000年後に罪の女マリヤが、人類の罪をご自身の身に負い、地獄の底に捨ててこられた究極の救い主、エバの罪を帳消しにした主イエスに会ったのです! しかし、彼女はまだイエス様だとは気がつきません。「彼女は、それを園の管理人だと思って言った。『あなたが、あの方を運んだのでしたら、どこに置いたのか言ってください。そうすれば私が引き取ります。』イエスは彼女に言われた。『マリヤ。』彼女は振り向いて、ヘブル語で、『ラボニ(すなわち、先生)。』とイエスに言った。」懐かしい声です。聞きなれたあの方の声です。思わずマリヤは、いつものように答えました。「ラボニ」。全ての悩み、恐怖、困惑、絶望は消え去りました。あの方が居られるのですから。 
 イエス様はいつも真実を求め、困惑と絶望の中から、救いを求めて泣いている人のそばに立たれて語り掛けられます。「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」
 *最近、このマグダラのマリヤとイエス様が結婚していて、子供が出来ていたなどという愚劣で下品な説がもっともらしく書かれたり、映画になったりしています。実はこの話はかなり古くからサタニストの間に伝わっていて、その子孫と称する家系もあります。モルモン教のジョセフ・スミスが自分の宗教を“末日聖徒イエスキリスト教会”と呼んだのは、自分がその子孫だと信じていたからです。しかし、新約聖書の書かれたギリシャ語はこのような誤りを決して許さない原語なのです。マグダラのマリヤがイエスを愛した、という場合の「愛した」は男女の間の愛を表しません。男女間の愛を表す場合にはエロースという言葉を使いますが、この場合は、自分を犠牲にして罪びとの為に捧げる愛でアガペーと言う言葉が使われています。このような冒涜は主イエスが再臨されたとき、あるいはそれらの人物が死を迎える時、激しい後悔と恐怖に変わることでしょう。
*エルサレム旧市街の北側に位置するダマスコ門から北に300メ−トルほどの所に英国国教会が管理するたいへん美しい園があります。ここは「主の園」と呼ばれ、プロテスタント教会では、主イエス様が葬られた園と墓がある場所として、つまりもう一つのカリバルの丘と信じられているたいへん興味深い場所です。1883年、英国のゴ−ドン将軍がホテルの窓から眺めると向側の丘が、しゃれこうべの形をしているのに気づきました。そこで彼が、さっそく発掘調査をしたところ、地中から墓を発見しました。1891年から本格的な発掘作業が始められました。すると付近一帯がかつてはオリ−ブ畑やぶどう園であったことを証明するようなため池や酒船が多く発掘され、この墓が園の中にあったことがはっきりしました。聖書の記述によれば、イエス様の遺体はアリマタヤのヨセフの庭園内の墓に葬られました。ところが聖墳墓教会付近は岩山ですから、庭園という記述にそぐわないとも言われてきました。またカルバリの丘はエルサレムの都の外に位置するはずであるとも指摘されており、イエス様の埋葬の場所は、この園の墓だと主張する人も多くいます。この園の中にある墓は主の墓にふさわしい雰囲気をかもしだしています。