メッセージ080210                小 石  泉

実のなる季節でなくとも


翌日、彼らがベタニヤを出たとき、イエスは空腹を覚えられた。葉の茂ったいちじくの木が遠くに見えたので、それに何かありはしないかと見に行かれたが、そこに来ると、葉のほかは何もないのに気づかれた。いちじくのなる季節ではなかったからである。イエスは、その木に向かって言われた。「今後、いつまでも、だれもおまえの実を食べることのないように。」弟子たちはこれを聞いていた。 (中略)夕方になると、イエスとその弟子たちは、いつも都から外に出た。朝早く、通りがかりに見ると、いちじくの木が根まで枯れていた。ペテロは思い出して、イエスに言った。「先生。ご覧なさい。あなたののろわれたいちじくの木が枯れました。」イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。(後略)」マルコ11:12〜25

 若いころここを読んだときに、変だなあと思いました。空腹になられたイエス様は(これは良いですね。神の御子が空腹になられたなんて)イチジクの木に行ったところが、実がなっていなかったので、木を呪ったのです。すると木は枯れてしまいました。
 マルコは「いちじくのなる季節ではなかったからである」と書いています。ええ!何で? 私は考え込んでしまいました。何でイエス様はこんな理不尽なことをされたのだろう? もし私がイチジクの木なら「イエス様それはないですよ、私だって季節ならちゃんと実を実らせます」というでしょう。しかし、イエス様はこの木を枯らしてしまったのです。
 その内に、ここでイエス様が教えたかったのは「信仰」についてだと気がつきました。
「この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。」

 季節に実を実らせることは自然なことです、信仰は要りません。しかし、季節でなくとも実を実らせるのが信仰です。「そんな無茶な」と思うでしょう、では他にどんな説明が出来ますか? 初めから可能なことならそれは常識や経験や能力でやることが出来ます。信仰とは不可能から始まるのです。イエス様が求めておられるのはこのような信仰です。
イエスは答えて言われた、「ああ、なんという不信仰な、曲った時代であろう。いつまで、わたしはあなたがたと一緒におられようか。いつまであなたがたに我慢ができようか。その子をここに、わたしのところに連れてきなさい」。
マタイ17:17

 これはてんかんの子を直すことが出来なかった弟子たちへの、イエス様には珍しいいらだちと怒りの言葉です。信仰がないというのがその理由でした。

まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行なうわざを行ない、またそれよりもさらに大きなわざを行ないます。わたしが父のもとに行くからです。またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。ヨハネ14:12〜14

 イエス様は私たちがイエス様より大きなわざができると約束されています。では、なぜあまりそういうことが起きないのでしょうか。それは私たちに、そのために必要な勇気と品性が足りないからだと私は思います。

あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。15:16

 これ以上の約束があるでしょうか。私たちが主イエスを選んだのでは無く、主が私たちを選んでくださったのです。そして求めるものは何でも父なる神が与えてくださると約束されました。圧倒されますね。そして私たちの信仰の貧しさを思います。

あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。16:24

 私は神学校を出て津田沼に開拓伝道に来ました。会堂も信徒もサポートも無い状態で何とか数名の出席者が与えられましたが、自分の不足を感じて、一旦教会を閉鎖して福生の教会に行き、二年間学びました。そして再び津田沼に帰ってきました。もう一度ゼロからの出発でした。合気道場を借りての不自由な礼拝でしたが幾人かの若い青年たちが集うようになりました。津田沼は集会場になる建物が無く苦労しました。やがて芝山に土地を借り、飯場のプレハブをもらってきて会堂にし、住まいにもプレハブを建てて住みました。そこで何とかして会堂を建てたいと祈りました。お金は全くありませんでした。
 あるとき、森の中の開けたところで祈っていると白鷺が飛んでいきました。ちょうど私は5000万円与えてくださいと祈っていたのですが、神様が「あの白鷺を一羽作るのにいくら掛かると思うか」と聞かれたような気がしました。「5000万円でも無理です」「そうだ、私にとって5000万円は白鷺一羽にも当たらない」。
 勇気百倍です、それからは猫を見ても犬を見ても5000万、5000万。そして、また祈りに行っての帰り道、ふと見ると“アドナイエレ”という看板が目に入りました。それは美容院の看板でした。アブラハムがイサクを捧げようとして、代わりにヤギが藪に引っかかっていたときの言葉で、「主の山に備えあり」という意味です。また、勇気が与えられました。私たちは4間に6間の建物を建てようと土台のための溝を掘って待ちました。しかし、5000万円は空から降ってきませんでした。
 その年の年末に私は夢を見ました。それは古い建物をもらった夢でした。そして、翌年の正月3日、私たちは当ても無く建物を探しに行きました。自衛隊ならあるかもしれない。館山に行こう。しかし、初詣の車で渋滞し、木更津に着いたときにはもう日は西の空に傾いていました。木更津の高い橋に上って下を見ると自衛隊のヘリコプター基地がありました。あそこに行ってみようと行くと、そこにはまだ未整備の公園がありました。その公園で休んでいると、ぼろぼろの建物がありました。中に入ってみるとそれはポンプ小屋で柱の合掌はまだしっかりとしていました。測ってみるとそれは4間に6間の建物でした。 「あれだよ、あれだよ」帰りの車の中で私たちは黙ってうなずいていました。
 その建物は木更津市のものでした。私は市役所に行って払い下げを願い出ました。長い忍耐の末に、それは払い下げられました。その書類には「廃棄処分」と書いてありました。ちょうど高校生が卒業し、私たちは7人でその建物の解体に取り掛かりました。約1ヶ月の後に、その建物は解体され、船橋の芝山の地に運ばれました。その運搬にも奇跡がありました。そのポンプ小屋には大きなポンプやモーターがあったのですが、それも廃棄するということで私たちはそれを道の途中で見つけた鉄屑屋さんに売りました。それは7万円になりました。その鉄屑屋さんは韓国人でクリスチャンでした。
 その建物の合掌は7メートルもあって、ばらすと組み立てるのに大変でした。私たちはなるべくそのまま運びたかったのですが、そんな大きなものを8本も運んだことが無かったのです。ところがその鉄屑屋さんが「先生これどうするんですか」と聞きます。「いやどうして良いか困っているんです」と言うと「私のところにクレーンつきの大型トラックがあるから運んであげますよ」と、いとも気軽に言うのです。私たちはその大きなものがトラックに乗せられて運ばれる後ろを走りながら、こみ上げてくる笑いをこらえることが出来ませんでした。やがて古いコンパネを建設会社からもらって屋根を葺き、その会社の助けを頂いて美しい会堂が出来ました。若い女性たちもその建設には加わりました。今その写真が見つからないのが残念です。こうして船橋の教会ができたのです。その後、貸してくれるはずの土地を買ってくれといわれて苦労しましたが、その土地が今の千葉の会堂の土地になったのです。
 私たちが何も無かったときに、会堂を建てるんだというと信徒の親戚の人には笑う人がいました。しかし、神様は不可能を可能にしてくださいました。全く何も無い私たちが、会堂を建てたのです。信仰だけがその資源でした。