ホームページ・メッセージ   071223           小 石  泉

クリスマス






















イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現われて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ、そして、子どもが生まれるまで彼女を知ることがなく、その子どもの名をイエスとつけた。マタイ1:18〜25

 キリストは処女から生まれた。これは歴史上最も笑いものにされた真理でしょう。私は会社に居たころ創価学会の同僚が含み笑いをしながら「小石君、マリヤが処女で子供を産んだんだって信じているの?」と言われたことを思い出します。実際、キリスト教は視点を変えれば、これほど馬鹿げた宗教は無いと言えます。(もっとも仏教でも釈迦は母親の脇の下から生まれたことになっていますが。)キリスト教は初めからつまづくように設計された宗教です。言わば、神は近づくものをふるい分けているのです。
 現代人にとって処女降誕は何の問題もないはずです。人間でさえ雌雄の交わり無しでクローンを作ることが出来るのですから。まして無から有を生み出した全能の神にとって、処女から子を産ませることは簡単なことです。もっともこの乙女と言う字は必ずしも処女と言う意味ではなく、「若い女」と言う意味ですが、マリヤが天使の訪問を受けたときに「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」と言っていることから処女であったことは間違いありません。

聖書に「最初の人アダムは生きた者となった。」と書いてありますが、最後のアダムは、生かす御霊となりました。1コリント15:45

(この「御霊」と言う訳は、聖書によって訳が違います。口語訳は“聖書に「最初の人アダムは生きたものとなった」と書いてあるとおりである。しかし最後のアダムは命を与える霊となった。”新共同訳は“「最初の人アダムは命のある生き物となった」と書いてありますが、最後のアダムは命を与える霊となったのです。”KJVは“ And so it is written, "The first man Adam became a living being." The last Adam became a life-giving spirit.” TEVは“ For the scripture says, "The first man, Adam, was created a living being"; but the last Adam is the life-giving Spirit.”とあります。つまり御霊と訳すかただ霊と訳すかによって微妙にニューアンスが違うのです。 これは新約聖書のギリシャ語の原語がプニューマというただ霊を表す言葉なので、どちらか判らないのです。聖なるというハギアイという言葉が使われていないことが多いので、その時その時で、翻訳者の考えで御霊とか霊とか訳されるのです。)
 パウロはイエス様を“最後のアダム”と呼んでいます。神様はアダムを土から創り、アダムから女を創り、最後のアダムを女の中に創りました。マリヤの胎の中に神の御子が宿られたのです。私はその際、マリヤの卵子を使われたのか、それとも全く関係なく新しい命が宿られたのか疑問を持っています。もし、マリヤの卵子を使われたとすると、アダム以来の罪のDNAがイエス様に入ってしまわなかっただろうかと思います。しかし、イエス様は全く罪の無いお方だったはずです。そうでなければ人類の身代わりにはなれません。私には医学的な知識が無いので、判らないのです。
 モーセの契約の箱をゴルゴタの丘の下の洞窟で発見したロン・ワイアットさんは、その契約の箱のふた(贖罪所)に落ちていた黒い塊を見つけ大学に分析を依頼しました。それは血で、しかも、母親の遺伝子だけを持った男性の血液だったと言っています。それは地震によって出来た亀裂によって、その洞窟の真上にあった十字架の穴から滴り落ちたものでした。しかし、もしそれが本当なら、イエス様はマリヤの遺伝子を受け取ったことになります。イエス様は神であり同時に人間でしたから、それもあったのかも知れませんが、そうだとすると、やはり無原罪の原則に問題があります。これは神学的にも大問題です。これは今後の研究に待つほかないし、最終的には神の国で回答が与えられる事でしょう。はっきりしていることはマリヤに現れた天使の言葉のように、御子は神の子でした。

御使いは答えて言った。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。ルカ1:35

 女性たちはお医者さんに行って、「おめでとうございます。赤ちゃんが与えられました」と言う言葉を聞きます。それはすばらしい瞬間でしょう。しかし、世界の歴史上、これほどすばらしい懐妊の宣言があったでしょうか。何度も読み返してみてください。そしてそれは次に言葉に続くのです。

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。ヨハネ3:16〜17

 あの日、地上に生まれた神の御子は、神に与えられた方です。それによって私たちは「永遠の命を持つ」ことが出来ます。このすばらしいニュースを福音(ギリシャ語でユーアンゲリオン=良き訪れ)と言います。クリスマスはこの喜びの日なのです。


* 1ページの絵について
受胎告知の絵は多くの人々が書いていますが、私はほとんど好きになれません。多くの場合、能面のようなマリヤ、敬虔さも気高さも無い羽根の生えたガブリエル、宮殿のような住宅、皆、うそばっかりです。事実は、貧しい家の、素朴で愛らしい少女(14〜15歳)です。そしてケルビムという特別な天使以外は天使には羽根はありません。聖書に出てくる天使は、ほとんど羽根をつけていたとは書かれていません。大体、大気圏を飛ぶ必要も無いのに何で羽根が必要なのか。その中で、この絵が唯一、事実に近いと思いました。もっとも天使には羽根があるし、後ろのガラス戸みたいのは変ですが。
尚、インターネットから取ったのですが、誰の絵なのか調べようとしたらもう無くなっていました。