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Bible Land museum
バイブルランド博物館
創世記 ヤコブX 帰郷‐2
31:43 ラバンは答えてヤコブに言った。「娘たちは私の娘、子どもたちは私の子ども、群れは私の群れ、すべてあなたが見るものは私のもの。この私の娘たちのために、または娘たちが産んだ子どもたちのために、きょう、私は何ができよう。
31:44 さあ、今、私とあなたと契約を結び、それを私とあなたとの間の証拠としよう。」
31:45 そこで、ヤコブは石を取り、これを立てて石の柱とした。 31:46 ヤコブは自分の一族に言った。「石を集めなさい。」そこで彼らは石を取り、石塚を作った。こうして彼らは石塚のそばで食事をした。
31:47 ラバンはそれをエガル・サハドタと名づけたが、ヤコブはこれをガルエデと名づけた。
31:48 そしてラバンは言った。「この石塚は、きょう私とあなたとの間の証拠である。」それゆえ、その名はガルエデと呼ばれた。
31:49 またそれはミツパとも呼ばれた。彼がこう言ったからである。「われわれが互いに目が届かない所にいるとき、主が私とあなたとの間の見張りをされるように。
31:50 もしあなたが私の娘たちをひどいめに会わせたり、もし娘たちのほかに妻をめとったりするなら、われわれのところにだれもいなくても、神が私とあなたとの間の証人であることをわきまえていなさい。」
31:51 ラバンはまたヤコブに言った。「ご覧、この石塚を。そしてご覧、私があなたと私との間に立てたこの石の柱を。
31:52 この石塚が証拠であり、この石の柱が証拠である。敵意をもって、この石塚を越えてあなたのところに行くことはない。あなたもまた、この石塚やこの石の柱を越えて私のところに来てはならない。
31:53 どうかアブラハムの神、ナホルの神――彼らの父祖の神――が、われわれの間をさばかれますように。」ヤコブも父イサクの恐れる方にかけて誓った。
31:54 そうしてヤコブは山でいけにえをささげ、一族を招いて食事を共にした。食事をしてから彼らは山で一夜を明かした。
31:55 翌朝早く、ラバンは子どもたちと娘たちに口づけして、彼らを祝福した。それからラバンは去って、自分の家へ帰った。
ヤコブとラバンの緊迫した様子が伺えます。日本で言えば戦国時代の武将の対決のような場面と考えればいいでしょう。エガル・サハドタ、ガルエデなどの言葉はわかりませんが、ミツパは「監視塔」と言う意味です。位置な正確にはわかりません。とにかく何とか戦いは避けられました。その後の言葉は、ラバンの娘たちへの愛情が感じられますね。
32:1 さてヤコブが旅を続けていると、神の使いたちが彼に現われた。 32:2 ヤコブは彼らを見たとき、「ここは神の陣営だ。」と言って、その所の名をマハナイムと呼んだ。
32:3 ヤコブはセイルの地、エドムの野にいる兄のエサウに、前もって使者を送った。
32:4 そして彼らに命じてこう言った。「あなたがたは私の主人エサウにこう伝えなさい。『あなたのしもべヤコブはこう申しました。私はラバンのもとに寄留し、今までとどまっていました。
32:5 私は牛、ろば、羊、男女の奴隷を持っています。それでご主人にお知らせして、あなたのご好意を得ようと使いを送ったのです。』」
32:6 使者はヤコブのもとに帰って言った。「私たちはあなたの兄上エサウのもとに行って来ました。あの方も、あなたを迎えに四百人を引き連れてやって来られます。」
32:7 そこでヤコブは非常に恐れ、心配した。それで彼はいっしょにいる人々や、羊や牛やらくだを二つの宿営に分けて、32:8
「たといエサウが来て、一つの宿営を打っても、残りの一つの宿営はのがれられよう。」と言った。
ヤコブは故郷のカナンに帰りたいのですが、そこには兄エソウがいます。兄は今でも怒っているだろうか、不安です。ヤコブはびくびくしながら兄に使者を送りました。すると使者が言うには、兄が400人も連れて迎えに来るというのです! ああ、万事休す。ヤコブは陣営を二つに分けて、たとえ一つが破られても一つは残るかもしれないと淡い期待をもってのことでした。自業自得とはいえ何とも哀れなヤコブ。結局、彼の長子の簒奪はちっとも良いことを産みませんでした。ただ、彼の神への真実だけは不滅でした。
32:9 そうしてヤコブは言った。「私の父アブラハムの神、私の父イサクの神よ。かつて私に『あなたの生まれ故郷に帰れ。わたしはあなたをしあわせにする。』と仰せられた主よ。 32:10 私はあなたがしもべに賜わったすべての恵みとまことを受けるに足りない者です。私は自分の杖一本だけを持って、このヨルダンを渡りましたが、今は、二つの宿営を持つようになったのです。 32:11 どうか私の兄、エサウの手から私を救い出してください。彼が来て、私をはじめ母や子どもたちまでも打ちはしないかと、私は彼を恐れているのです。 32:12 あなたはかつて『わたしは必ずあなたをしあわせにし、あなたの子孫を多くて数えきれない海の砂のようにする。』と仰せられました。」 32:13 その夜をそこで過ごしてから、彼は手もとの物から兄エサウへの贈り物を選んだ。 32:14 すなわち雌やぎ二百頭、雄やぎ二十頭、雌羊二百頭、雄羊二十頭、 32:15 乳らくだ三十頭とその子、雌牛四十頭、雄牛十頭、雌ろば二十頭、雄ろば十頭。 32:16 彼は、一群れずつをそれぞれしもべたちの手に渡し、しもべたちに言った。「私の先に進め。群れと群れとの間には距離をおけ。」 32:17 また先頭の者には次のように命じた。「もし私の兄エサウがあなたに会い、『あなたはだれのものか。どこへ行くのか。あなたの前のこれらのものはだれのものか。』と言って尋ねたら、 32:18 『あなたのしもべヤコブのものです。私のご主人エサウに贈る贈り物です。彼もまた、私たちのうしろにおります。』と答えなければならない。」 32:19 彼は第二の者にも、第三の者にも、また群れ群れについて行くすべての者にも命じて言った。「あなたがたがエサウに出会ったときには、これと同じことを告げ、 32:20 そしてまた、『あなたのしもべヤコブは、私たちのうしろにおります。』と言え。」ヤコブは、私より先に行く贈り物によって彼をなだめ、そうして後、彼の顔を見よう。もしや、彼は私を快く受け入れてくれるかもわからない、と思ったからである。
ヤコブは必死で考えました。とにかくエソウをなだめるために贈り物をしよう。このリストを見ると相当高価な贈り物です。マハナイムとは二つのキャンプと言う意味です。
32:21 それで贈り物は彼より先を通って行き、彼は宿営地でその夜を過ごした。 32:22 しかし、彼はその夜のうちに起きて、ふたりの妻と、ふたりの女奴隷と、十一人の子どもたちを連れて、ヤボクの渡しを渡った。 32:23 彼らを連れて流れを渡らせ、自分の持ち物も渡らせた。 32:24 ヤコブはひとりだけ、あとに残った。すると、ある人が夜明けまで彼と格闘した。 32:25 ところが、その人は、ヤコブに勝てないのを見てとって、ヤコブのもものつがいを打ったので、その人と格闘しているうちに、ヤコブのもものつがいがはずれた。 32:26 するとその人は言った。「わたしを去らせよ。夜が明けるから。」しかし、ヤコブは答えた。「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」 32:27 その人は言った。「あなたの名は何というのか。」彼は答えた。「ヤコブです。」 32:28 その人は言った。「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたは神と戦い、人と戦って、勝ったからだ。」 32:29 ヤコブが、「どうかあなたの名を教えてください。」と尋ねると、その人は、「いったい、なぜ、あなたはわたしの名を尋ねるのか。」と言って、その場で彼を祝福した。 32:30 そこでヤコブは、その所の名をペヌエルと呼んだ。「私は顔と顔とを合わせて神を見たのに、私のいのちは救われた。」という意味である。 32:31 彼がペヌエルを通り過ぎたころ、太陽は彼の上に上ったが、彼はそのもものためにびっこをひいていた。 32:32 それゆえ、イスラエル人は、今日まで、もものつがいの上の腰の筋肉を食べない。あの人がヤコブのもものつがい、腰の筋肉を打ったからである。
イラスト: 渡辺 百合

これは実に興味深いところです。神様が人と相撲を取ったのです。この場合「ある人」というのはヤコブが「神」がと言うのを遠慮して間接的な言い方で言ったのでしょう。そしてもちろんこの場合の「神」は人間に現れる神の御人格であるイエス様でしょう。
それにしても、まるで少年時代に友達と相撲や取っ組み合いをしたときのことを思い出しますね。主はヤコブとの接触を楽しんでいるかのようです。ヤコブは相当強かったのでしょう、何しろ全能の神に勝ったのですからね・・・・・・と言っても、もちろんそれは制限された力だったのでしょう。それから2000年後に地上に来られた主イエスも、ご自身の全能者としての力を封印されたように。
この時、ヤコブはもものつがいをはずされました。もう早く走って逃げることは出来ません。ヤコブは徹底的に無力なものとされたのです。
ヤコブにはこの人が主であることがわかっていました。だから祝福を得るまでは、必死にしがみついて離さないといったのです。自分の力に頼れないと言うことを完全に知った時、人は完全に神のものとなります。ゆだねきった心こそ神の最も喜ばれるものです。
主は言われる、「虫にひとしいヤコブよ、イスラエルの人々よ、恐れてはならない。わたしはあなたを助ける。あなたをあがなう者はイスラエルの聖者である。イザヤ41:14(口語訳)
あなたはまだまだ自分の力を頼りとしているでしょう。あんまり若い時から、悟りきったようなのも困りものですが、ある時から、正しく清く生きることは自分には無理なのだと悟る必要があります。
ヤボクの渡し