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創世記 アブラハム]

 イラスト 渡辺 百合
21:1 主は、約束されたとおり、サラを顧みて、仰せられたとおりに主はサラになさった。 21:2 サラはみごもり、そして神がアブラハムに言われたその時期に、年老いたアブラハムに男の子を産んだ。 21:3 アブラハムは、自分に生まれた子、サラが自分に産んだ子をイサクと名づけた。 21:4 そしてアブラハムは、神が彼に命じられたとおり、八日目になった自分の子イサクに割礼を施した。 21:5 アブラハムは、その子イサクが生まれたときは百歳であった。 21:6 サラは言った。「神は私を笑われました。聞く者はみな、私に向かって笑うでしょう。」 21:7 また彼女は言った。「だれがアブラハムに、『サラが子どもに乳を飲ませる。』と告げたでしょう。ところが私は、あの年寄りに子を産みました。」 21:8 その子は育って乳離れした。アブラハムはイサクの乳離れの日に、盛大な宴会を催した。

 何と奇妙な物語でしょうか。100歳の人に子供が生まれた。もう一度、創世記の初めのことを考えると、神様は無から有を創造されました。そして、ここでは無きに等しい者から世界を支配する民族の祖先を生み出されました。そして、それは乙女マリヤから主イエスが生まれることのForeshadow(未来に起こることの前影。日本語には無い表現)でした。ちなみにアイザックとかイツアークという欧米人の名前はこのイサクの発音違いです。
 神様は何度も何度も、御自分が創造主であることを人に教えておられるのです。また、これは信仰というものの本質を表しています。信仰とは神の前でへりくだることです。

しかしわたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝える。このキリストは、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものであるが、召された者自身にとっては、ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神の力、神の知恵たるキリストなのである。神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからである。兄弟たちよ。あなたがたが召された時のことを考えてみるがよい。人間的には、知恵のある者が多くはなく、権力のある者も多くはなく、身分の高い者も多くはいない。 それだのに神は、知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。それは、どんな人間でも、神のみまえに誇ることがないためである。Tコリント1:23〜29(口語訳)

 「無きに等しい者」それが自分だと理解できる人が、信仰の判った人です。しかし、何と私たちは、クリスチャンとなった後でも、自分の正しさや価値を求めることでしょうか。自分が本当に罪人であり、全く無価値であることを認めることは非常に難しいことです。主イエスの十字架の隣に並んで、同じように十字架に掛かっていた強盗の一人は、自分の正しさも価値も認めることは出来ませんでした。それで主イエスに「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」と言い、主イエスは「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」と言われたのです。十字架に掛からなければ! ここまでへりくだることはなかなか出来ないものです。私たちはいつも自分の価値を認めて欲しいし、自分でも認めたいのです。

主は言われる、「虫にひとしいヤコブよ、イスラエルの人々よ、恐れてはならない。わたしはあなたを助ける。あなたをあがなう者はイスラエルの聖者である。イザヤ41:14(口語訳)

 「虫に等しい!」ヤコブはそのように言われました。その子孫であるユダヤ人はそのようにへりくだったでしょうか。それなら主イエスを十字架につけることは無かったでしょう。しかし、これはユダヤ人だけではありません、人間はみんな同じように高慢なのです。ルシファーがサタンになった理由が高慢だったことを思い出してください。高慢は最も恐ろしい罪なのです。その反対が、柔和でへりくだっていることです。それが主イエスの御性質でした。それはまた、神の御性質です。
わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。マタイ11:29(口語訳)
 私たちがへりくだることを学ばないなら、いつまでたっても信仰は成長しないでしょう。私はこのことをしつこく警告したいのです。特に、最近のキリスト教の傾向はそこから目をそらせ、遠ざけることに向かっているからです。

21:9 そのとき、サラは、エジプトの女ハガルがアブラハムに産んだ子が、自分の子イサクをからかっているのを見た。21:10 それでアブラハムに言った。「このはしためを、その子といっしょに追い出してください。このはしための子は、私の子イサクといっしょに跡取りになるべきではありません。」 21:11 このことは、自分の子に関することなので、アブラハムは、非常に悩んだ。 21:12 すると、神はアブラハムに仰せられた。「その少年と、あなたのはしためのことで、悩んではならない。サラがあなたに言うことはみな、言うとおりに聞き入れなさい。イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれるからだ。 21:13 しかしはしための子も、わたしは一つの国民としよう。彼もあなたの子だから。」

 あえて説明を要しないところです。アブラハムの悩みが判りますね。辛い決定だったことでしょう。アブラハムは彼女とイシマエルを去らせるのですが、相当の財産分与を行ったはずです。ここにはパンと水だけしか書いてありませんが。

21:14 翌朝早く、アブラハムは、パンと水の皮袋を取ってハガルに与え、それを彼女の肩に載せ、その子とともに彼女を送り出した。それで彼女はベエル・シェバの荒野をさまよい歩いた。 21:15 皮袋の水が尽きたとき、彼女はその子を一本の潅木の下に投げ出し、 21:16 自分は、矢の届くほど離れた向こうに行ってすわった。それは彼女が「私は子どもの死ぬのを見たくない。」と思ったからである。それで、離れてすわったのである。そうして彼女は声をあげて泣いた。 21:17 神は少年の声を聞かれ、神の使いは天からハガルを呼んで、言った。「ハガルよ。どうしたのか。恐れてはいけない。神があそこにいる少年の声を聞かれたからだ。 21:18 行ってあの少年を起こし、彼を力づけなさい。わたしはあの子を大いなる国民とするからだ。」 21:19 神がハガルの目を開かれたので、彼女は井戸を見つけた。それで行って皮袋に水を満たし、少年に飲ませた。 21:20 神が少年とともにおられたので、彼は成長し、荒野に住んで、弓を射る者となった。21:21 こうして彼はパランの荒野に住みついた。彼の母はエジプトの国から彼のために妻を迎えた。

 このハガルの子イシマエルが今日のアラブ人の先祖の一部と考えられますが、現在のアラブ人はかなり混血していて正確にどれだと特定することは難しいようです。

25:12 これはサラの女奴隷エジプト人ハガルがアブラハムに産んだアブラハムの子イシュマエルの歴史である。 25:13 すなわちイシュマエルの子の名は、その生まれた順の名によれば、イシュマエルの長子ネバヨテ、ケダル、アデベエル、ミブサム、 25:14 ミシュマ、ドマ、マサ、 25:15 ハダデ、テマ、エトル、ナフィシュ、ケデマである。 25:16 これらがイシュマエルの子孫で、それらは彼らの村落と宿営につけられた名であって、十二人の、それぞれの氏族の長である。 25:17 以上はイシュマエルの生涯で、百三十七年であった。彼は息絶えて死に、その民に加えられた。 25:18 イシュマエルの子孫は、ハビラから、エジプトに近い、アシュルへの道にあるシュルにわたって、住みつき、それぞれ自分のすべての兄弟たちに敵対して住んだ。

 これは25章の記事ですが、イシマエルの子孫も立派な民族となりました。「わたしはあの子を大いなる国民とするからだ」とある通りです。彼らの住んでいた地域は現在のサウジアラビアに近いと思われます。現在、神様はイサクの子孫イスラエル・ユダヤ人には名声を与え、イシマエルの子孫には石油を与えたように思われてなりません。

21:22 そのころ、アビメレクとその将軍ピコルとがアブラハムに告げて言った。「あなたが何をしても、神はあなたとともにおられる。 21:23 それで今、ここで神によって私に誓ってください。私も、私の親類縁者たちをも裏切らないと。そして私があなたに尽くした真実にふさわしく、あなたは私にも、またあなたが滞在しているこの土地にも真実を尽くしてください。」 21:24 するとアブラハムは、「私は誓います。」と言った。 21:25 また、アブラハムは、アビメレクのしもべどもが奪い取った井戸のことでアビメレクに抗議した。 21:26 アビメレクは答えた。「だれがそのようなことをしたのか知りませんでした。それにあなたもまた、私に告げなかったし、私もまたきょうまで聞いたことがなかったのです。」 21:27 そこでアブラハムは羊と牛を取って、アビメレクに与え、ふたりは契約を結んだ。 21:28 アブラハムは羊の群れから、七頭の雌の子羊をより分けた。 21:29 するとアビメレクは、「今あなたがより分けたこの七頭の雌の子羊は、いったいどういうわけですか。」とアブラハムに尋ねた。 21:30 アブラハムは、「私がこの井戸を掘ったという証拠となるために、七頭の雌の子羊を私の手から受け取ってください。」と答えた。 21:31 それゆえ、その場所はベエル・シェバと呼ばれた。その所で彼らふたりが誓ったからである。 21:32 彼らがベエル・シェバで契約を結んでから、アビメレクとその将軍ピコルとは立って、ペリシテ人の地に帰った。 21:33 アブラハムはベエル・シェバに一本の柳の木を植え、その所で永遠の神、主の御名によって祈った。 21:34 アブラハムは長い間ペリシテ人の地に滞在した。

アビメレクは当時その地方ではかなり強大な国を築いていたペリシテ民族の王だったようです。クレテ島からの移民とも考えられ、かなり文化的に進んだ民族で、この地方で最初に鉄を使用したことがTサムエル記13章に書かれています。
 このような民族の只中で生活するということはかなり困難なことだったはずです。しかし、「あなたが何をしても、神はあなたとともにおられる。」というアビメレクの言葉にあるとおり、アブラハムは信ずる神によって守られ、尊敬されていたようです。しかし、アブラハムの僕の掘った井戸をアビメレクの部下たちが奪ったことから、ちょっとした緊張状態が起こりました。アブラハムもかなり充実した軍事力を持っていたので、アビメレクは和議に訪れたのです。彼らは互いに和解しました。そのしるしにアブラハムは七頭の雌の子羊をアビメレクに贈りました。「ベエル・シェバ」とは“誓いの井戸”という意味ですが、ベエルが井戸、シェバは7という数字、または誓いという意味です。この土地はその後、有名になりました。しかし、今、行くとかなり暑い砂漠地帯です。