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Bible Land museum
バイブルランド博物館
創世記 Vol.22 アブラハムX
イラスト 渡辺百合
17:1 アブラムが九十九歳になったとき主はアブラムに現われ、こう仰せられた。「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。
17:2 わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に立てる。わたしは、あなたをおびただしくふやそう。」
17:3 アブラムは、ひれ伏した。神は彼に告げて仰せられた。 17:4 「わたしは、この、わたしの契約をあなたと結ぶ。あなたは多くの国民の父となる。
17:5 あなたの名は、もう、アブラムと呼んではならない。あなたの名はアブラハムとなる。わたしが、あなたを多くの国民の父とするからである。
17:6 わたしは、あなたの子孫をおびただしくふやし、あなたを幾つかの国民とする。あなたから、王たちが出て来よう。
17:7 わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に、そしてあなたの後のあなたの子孫との間に、代々にわたる永遠の契約として立てる。わたしがあなたの神、あなたの後の子孫の神となるためである。
17:8 わたしは、あなたが滞在している地、すなわちカナンの全土を、あなたとあなたの後のあなたの子孫に永遠の所有として与える。わたしは、彼らの神となる。」
アブラムが99歳! になった時、神様はついに行動を起こされました。まだ、一人も子供もいないのに「あなたを多くの国民の父とする。」と言うのです。そしてアブラム(高貴な父)と言う名をアブラハム(多くの人の父)と変えるように命じられました。この約束がその後の世界を決定付けました。たった一人、神を敬う人から多くの国民、さらに王たちが出るという途方もない約束です。「わたしは、あなたの子孫をおびただしくふやし、あなたを幾つかの国民とする。あなたから、王たちが出て来よう。」
この約束の通りに、ユダヤ人、アラブ諸国の国民と王たちが出ました。しかし実は、この予言はまだ一部分は実現していないかもしれません。これから起こることかもしれません。また、もし霊的に考えるならキリスト教国も入るかもしれません。
17:9 ついで、神はアブラハムに仰せられた。「あなたは、あなたの後のあなたの子孫とともに、代々にわたり、わたしの契約を守らなければならない。 17:10 次のことが、わたしとあなたがたと、またあなたの後のあなたの子孫との間で、あなたがたが守るべきわたしの契約である。あなたがたの中のすべての男子は割礼を受けなさい。 17:11 あなたがたは、あなたがたの包皮の肉を切り捨てなさい。それが、わたしとあなたがたの間の契約のしるしである。 17:12 あなたがたの中の男子はみな、代々にわたり、生まれて八日目に、割礼を受けなければならない。家で生まれたしもべも、外国人から金で買い取られたあなたの子孫ではない者も。 17:13 あなたの家で生まれたしもべも、あなたが金で買い取った者も、必ず割礼を受けなければならない。わたしの契約は、永遠の契約として、あなたがたの肉の上にしるされなければならない。 17:14 包皮の肉を切り捨てられていない無割礼の男、そのような者は、その民から断ち切られなければならない。わたしの契約を破ったのである。」
神様はアブラハムの子孫のしるしとして、割礼を定められました。これは男性の性器の余分な皮を切り取る儀式、今で言う包茎手術です。ユダヤ人は皆、生まれて8日目にこの儀式を受けます。これは非常に痛い手術なのですが、生まれたばかりでは記憶にも残らないでしょう。
古代オリンピックは観衆も含めてすべて男性でした。そして競技者は全裸で競技しましたからユダヤ人はすぐに分かって大いにからかわれたと言います。しかし、この習慣は男性にとって衛生面などでとても良いことなのです。また、ローマ帝国は度重なるユダヤ人の反乱に業を煮やし、紀元120年ごろ、ハドリアヌス皇帝の時に、割礼を禁ずる法律を施行しました。これはユダヤ人にとって耐え難い苦しみだったことでしょう。この法律はその後も廃止されることはありませんでしたが、あまりにもユダヤ人の苦悩が大きかったために、次第に見て見ぬふりをするようになったそうです。最近、フィレンツにあるミケランジェロのダビデ像が割礼をしていないので、ユダヤ人の女性芸術家が「これはダビデではない」と言ったことは、面白い話でしたね。
17:15 また、神はアブラハムに仰せられた。「あなたの妻サライのことだが、その名をサライと呼んではならない。その名はサラとなるからだ。 17:16 わたしは彼女を祝福しよう。確かに、彼女によって、あなたにひとりの男の子を与えよう。わたしは彼女を祝福する。彼女は国々の母となり、国々の民の王たちが、彼女から出て来る。」 17:17 アブラハムはひれ伏し、そして笑ったが、心の中で言った。「百歳の者に子どもが生まれようか。サラにしても、九十歳の女が子を産むことができようか。」 17:18 そして、アブラハムは神に申し上げた。「どうかイシュマエルが、あなたの御前で生きながらえますように。」 17:19 すると神は仰せられた。「いや、あなたの妻サラが、あなたに男の子を産むのだ。あなたはその子をイサクと名づけなさい。わたしは彼とわたしの契約を立て、それを彼の後の子孫のために永遠の契約とする。
次に神様は妻のサラの名前も変えるように命じます。サライとは「ヤハウエは君」と言う意味ですが、サラは「王妃」と言う意味です。(ロバート・ヤングのコンコーダンスより)サライはもう90歳にもなっていましたから、アブラハムが思わず笑ったのも無理からぬことです。彼はやんわりと神様に訂正を申し立てます。「どうかイシュマエルが、あなたの御前で生きながらえますように。」しかし、神様は断固として嫡子がサラから生まれると言明されます。そして、その名前をイサクとつけるようにと言われました。イサクとは「笑う人」と言う意味ですから、皮肉と言うかユーモアと言うか、面白いですね。
17:20 イシュマエルについては、あなたの言うことを聞き入れた。確かに、わたしは彼を祝福し、彼の子孫をふやし、非常に多く増し加えよう。彼は十二人の族長たちを生む。わたしは彼を大いなる国民としよう。 17:21 しかしわたしは、来年の今ごろサラがあなたに産むイサクと、わたしの契約を立てる。」 17:22 神はアブラハムと語り終えられると、彼から離れて上られた。
神様は、アブラハムの言葉通りにイシュマエルも祝福すると約束されました。そして、「神はアブラハムと語り終えられると、彼から離れて上られた。」離れて上られたとは!神とアブラハムの距離の近さに驚きを感じますね。人と神はこんなにも身近に接することが出来るのですね。これと似た話はヨナさんの時にもあります。
17:23 そこでアブラハムは、その子イシュマエルと家で生まれたしもべ、また金で買い取った者、アブラハムの家の人々のうちのすべての男子を集め、神が彼にお告げになったとおり、その日のうちに、彼らの包皮の肉を切り捨てた。 17:24 アブラハムが包皮の肉を切り捨てられたときは、九十九歳であった。 17:25 その子イシュマエルが包皮の肉を切り捨てられたときは、十三歳であった。 17:26 アブラハムとその子イシュマエルは、その日のうちに割礼を受けた。 17:27 彼の家の男たち、すなわち、家で生まれた奴隷、外国人から金で買い取った者もみな、彼といっしょに割礼を受けた。
その日、アブラハムの家のものは、皆、割礼を受けました。と簡単に書いてありますが、聞くところでは、これは激痛を伴う手術で、後にイサクの孫シメオンとレビが近隣の部族長ハモルの息子シェケムが姉妹のディナを妻としようとしたので、割礼を受けなければならないと要求し、素直にそれを承諾して割礼を受けたその部族の男子が全員、苦痛にうめいていたとき、襲い掛かって皆殺しにした事件でも分かるように、大変なことだったのです。赤ちゃんのときならばともかく、彼らにとって身も震えるほどの忘れがたい経験となったことでしょう。神に従うとき、このような痛みもあるのです。それが神の民となる条件のこともあるのです。