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バイブルランド博物館
創世記Vol.20 アブラハムV
15:1 これらの出来事の後、主のことばが幻のうちにアブラムに臨み、こう仰せられた。「アブラムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。」 15:2 そこでアブラムは申し上げた。「神、主よ。私に何をお与えになるのですか。私にはまだ子がありません。私の家の相続人は、あのダマスコのエリエゼルになるのでしょうか。」 15:3 さらに、アブラムは、「ご覧ください。あなたが子孫を私に下さらないので、私の家の奴隷が、私の跡取りになるでしょう。」と申し上げた。 15:4 すると、主のことばが彼に臨み、こう仰せられた。「その者があなたの跡を継いではならない。ただ、あなた自身から生まれ出て来る者が、あなたの跡を継がなければならない。」 15:5 そして、彼を外に連れ出して仰せられた。「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」さらに仰せられた。「あなたの子孫はこのようになる。」 15:6 彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。
アブラム、後のアブラハムは世界史の中でもっとも偉大な人物です。彼から今日のユダヤ教、キリスト教、イスラム教が生まれました。その根源の理由は、この数行にあるのですから驚くほかありません。アブラハムが現在の3大宗教の元となり、「神の友」と呼ばれるようになったのは、ただ、子供を与えるという神の言葉を信じたと言うことだけなのです! アブラムは高齢になるまで子供がありませんでした。それは妻のサライが不妊の女だったからです。そういう場合、普通は側女を娶って子供を設けるものでした。今の私たちには分かりませんが、子供がいないと言うことは当時の社会では極めて不幸で恥ずかしいことだったようです。
日本の江戸時代の大奥のことを考えれば分かるでしょう。しかし、アブラムは長年そういうことはしなかったようです。後にサライの勧めでエジプトの女を側女として子供を設けますが、これは厄介な問題となります。
そのため、神様が祝福の約束をされたとき、カナンに来る途中のダマスコで買った少年の奴隷エリエゼルが跡継ぎとなるでしょうと申し上げました。しかし、神様は違うと言います。「あなた自身から生まれ出て来る者が、あなたの跡を継がなければならない。」そして、言われました。「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。あなたの子孫はこのようになる。」
何だかひどく奇妙に感じるかもしれませんが“ありえない事をあると信じること”それが信仰です。可能なことを可能にするなら、信仰はいらないのです。アブラムはすでに80歳を超えていました。当時、人間はすでに今と同じような寿命でしたから、アブラムには子供を生む能力はありませんでした。サライも不妊に加えて高齢です。言い換えれば、神様はご自身の力を誇示するために、完全に不可能となるまで待たれたということも出来るかもしれません。
これは聖書の中で何度も繰り返し現れる信仰のレッスンです。ヤコブの妻ラケル。サムエルの母ハンナ。そして、主イエスの母マリヤ。みんな不妊だったり処女だったりです。これは聖書の中心的な主題で、「無きに等しい者」を用いて圧倒的な勝利者にするのです。主イエスも
「『あなたがた家を建てる者たちに捨てられた石が、礎の石となった。』というのはこの方のことです。」使徒4:11
と言われました。
希望の無いところに希望が。光の無いところに光が。「暗やみの中にすわっていた民は偉大な光を見、死の地と死の陰にすわっていた人々に、光が上った。」マタイ4:16
信仰とは逆転の発想なのです。
「彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。」アブラムは神の言葉を信じました。それが彼の「義」と認められました。義とは「神の前に正しい」ということです。私たちはただ、信仰によって義とされるのです。自分の行いや、努力によるのではありません。アブラハムはそのことを世界の歴史の中に宣言しているのです。
15:7 また彼に仰せられた。「わたしは、この地をあなたの所有としてあなたに与えるために、カルデヤ人のウルからあなたを連れ出した主である。」 15:8 彼は申し上げた。「神、主よ。それが私の所有であることを、どのようにして知ることができましょうか。」 15:9 すると彼に仰せられた。「わたしのところに、三歳の雌牛と、三歳の雌やぎと、三歳の雄羊と、山鳩とそのひなを持って来なさい。」 15:10 彼はそれら全部を持って来て、それらを真二つに切り裂き、その半分を互いに向かい合わせにした。しかし、鳥は切り裂かなかった。 15:11 猛禽がその死体の上に降りて来たので、アブラムはそれらを追い払った。 15:12 日が沈みかかったころ、深い眠りがアブラムを襲った。そして見よ。ひどい暗黒の恐怖が彼を襲った。 15:13 そこで、アブラムに仰せがあった。「あなたはこの事をよく知っていなさい。あなたの子孫は、自分たちのものでない国で寄留者となり、彼らは奴隷とされ、四百年の間、苦しめられよう。 15:14 しかし、彼らの仕えるその国民を、わたしがさばき、その後、彼らは多くの財産を持って、そこから出て来るようになる。 15:15 あなた自身は、平安のうちに、あなたの先祖のもとに行き、長寿を全うして葬られよう。 15:16 そして、四代目の者たちが、ここに戻って来る。それはエモリ人の咎が、そのときまでに満ちることはないからである。」 15:17 さて、日は沈み、暗やみになったとき、そのとき、煙の立つかまどと、燃えているたいまつが、あの切り裂かれたものの間を通り過ぎた。 15:18 その日、主はアブラムと契約を結んで仰せられた。「わたしはあなたの子孫に、この地を与える。エジプトの川から、あの大川、ユーフラテス川まで。 15:19 ケニ人、ケナズ人、カデモニ人、 15:20 ヘテ人、ペリジ人、レファイム人、 15:21 エモリ人、カナン人、ギルガシ人、エブス人を。」
イラスト:渡辺 百合

「『三歳の雌牛と、三歳の雌やぎと、三歳の雄羊と、山鳩とそのひなを持って来なさい。』彼はそれら全部を持って来て、それらを真二つに切り裂き、その半分を互いに向かい合わせにした。」「さて、日は沈み、暗やみになったとき、そのとき、煙の立つかまどと、燃えているたいまつが、あの切り裂かれたものの間を通り過ぎた。」
この奇妙な儀式は、当時、重大な契約を取り決める方法でした。獣を二つに裂いて、向かい合わせて立て、当事者がその間を通り抜けるのです。それは、もし契約を破ったら、この獣のようにされてもかまいません、という意味です。何と! 神様はこのような人間の契約の方法を、ご自分の契約の保障としてアブラムに示されたのでした。たいまつは神ご自身が身をかがめてその間を通り抜けたことの象徴です。たかが人との契約に真剣に向き合う、なんと言う謙遜な御姿でしょうか。
さらに極めて原始的な形ではありますが、キリストの十字架を予兆しているとも考えられます。キリストの裂かれた体によって、私たちは贖われたのです。この犠牲の動物たちはレビ記の贖罪のささげものと対応しています。大祭司や王は雄牛、一般の民衆は羊や山羊、そして貧しい人々は鳩です。イエス様の両親がささげたのは鳩でしたね。