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創世記Vol. 15 バベルの塔

11:1 さて、全地は一つのことば、一つの話しことばであった。 11:2 そのころ、人々は東のほうから移動して来て、シヌアルの地に平地を見つけ、そこに定住した。 11:3 彼らは互いに言った。「さあ、れんがを作ってよく焼こう。」彼らは石の代わりにれんがを用い、粘土の代わりに瀝青を用いた。 11:4 そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」 11:5 そのとき主は人間の建てた町と塔をご覧になるために降りて来られた。 11:6 主は仰せになった。「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。 11:7 さあ、降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう。」 11:8 こうして主は人々を、そこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。 11:9 それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。主が全地のことばをそこで混乱させたから、すなわち、主が人々をそこから地の全面に散らしたからである。

 大洪水の後、人々は「東の方から」シヌアル(シナル)の地に移動したとありますが、ノアの箱舟が到着したところがアララテ地方だとすると地理的に合いません。ここは「東に向かって」とも訳せる言葉だということでメソポタミア平原を指すのでしょう。シヌアルはその後、旧約聖書の中に何度か出てきますが、古い繁栄した地域であることは確かなようです。ここは非常に簡潔に書かれていますが言わば人類の都市化文明の最初の地域だったのでしょう。シヌアルは肥沃な平原でしたから石材は手に入らなかったので、彼らは日干し煉瓦を用いたのです。瀝青とはコールタールのことですが、今のイラク地方ですから石油の副産物として自然に存在していました。

イラスト 渡辺百合             「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」急激に成長する都市国家のシンボルとして塔を建てようとしたのですが、頂が天に届くというのは、その頂上で宗教的な儀式を行うことを意味しています。多くの古代文明で塔が建てられていますがほとんどの場合、人身御供を伴う、月神、太陽神崇拝が行われていました。
 この地域をバベル、混乱と呼ぶようになったのは後のことでしょうが、ここからバビロンという言葉が生まれました。このバビロンはニムロデの王国であったとする説が一般的ですが、聖書はほとんどそのことには言及していません。後のネブカドネザルのバビロンに対してこれを古代バビロンと言います。
 それにしても、またしても人類は神への反逆に向かって進み始めたのです。それに対して、神様は、今度は大洪水などの言わばハード面ではなく、言語を混乱させるというソフト面での裁きを与えたのは興味深いことです。外国人と接して、このハードルがいかに高く効果的なものかしみじみ感じますね。それから6000年経っている現代でも簡単には越えられないハードルです。ちなみに世界のあらゆる言語を瞬時に翻訳するコンピューターの開発が進められていますが、そのコンピューターの名前が“バベル”だと言いますから、人間は6000年たっても変わらないのですね。
 人類を分けるのに、皮膚の色、地域、文化などがありますが最初の決定的な分割は言語だったと聖書は主張しています。私が若い頃、世界の言語を統一しようと、ユダヤ人のザメンホフという人がエスペラント語というものを作り、かなり盛んに活動していましたが、結局、今では誰も省みなくなりました。世界が続く限り言語の壁は無くならないでしょう。
 メソポタミア地方には今でもジグラッドと呼ばれる塔の廃墟がいくつもあります。その中でもバビロンに当たる場所には広大な敷地のジグラッドの痕跡があります。しかし、それは塔ではなく、むしろ窪地となっています。それは塔の建設が途中で中止になったために人々はその材料であった日干し煉瓦を自分たちの家を建てるのに略奪したからです。またボーシッパという土地にはニムロデの塔と言われる廃墟もあります。これらのジグラッドはその後、エジプトのピラミッドに影響を与えたと考えられます。ちなみにエジプトの古名ミツライムとはハムの子という意味です。

11:10 これはセムの歴史である。セムは百歳のとき、すなわち大洪水の二年後にアルパクシャデを生んだ。 11:11 セムはアルパクシャデを生んで後、五百年生き、息子、娘たちを生んだ。 11:12 アルパクシャデは三十五年生きて、シェラフを生んだ。 11:13 アルパクシャデはシェラフを生んで後、四百三年生き、息子、娘たちを生んだ。 11:14 シェラフは三十年生きて、エベルを生んだ。 11:15 シェラフはエベルを生んで後、四百三年生き、息子、娘たちを生んだ。 11:16 エベルは三十四年生きて、ペレグを生んだ。 11:17 エベルはペレグを生んで後、四百三十年生き、息子、娘たちを生んだ。 11:18 ペレグは三十年生きて、レウを生んだ。 11:19 ペレグはレウを生んで後、二百九年生き、息子、娘たちを生んだ。 11:20 レウは三十二年生きて、セルグを生んだ。 11:21 レウはセルグを生んで後、二百七年生き、息子、娘たちを生んだ。 11:22 セルグは三十年生きて、ナホルを生んだ。 11:23 セルグはナホルを生んで後、二百年生き、息子、娘たちを生んだ。 11:24 ナホルは二十九年生きて、テラを生んだ。 11:25 ナホルはテラを生んで後、百十九年生き、息子、娘たちを生んだ。 11:26 テラは七十年生きて、アブラムとナホルとハランを生んだ。 11:27 これはテラの歴史である。テラはアブラム、ナホル、ハランを生み、ハランはロトを生んだ。 11:28 ハランはその父テラの存命中、彼の生まれ故郷であるカルデヤ人のウルで死んだ。

 ここはノアの子、セムの系図ですが、人類の寿命が500歳、400歳、200歳、100歳と減少して行く歴史でもあります。洪水の前に

「そこで、主は、『私の霊は、永久には人のうちにとどまらないであろう。それは人が肉にすぎないからだ。それで人の齢は、百二十年にしよう。』と仰せられた。」6:3 

とある言葉がここに来て実現したのです。こうして「人間の歴史」は極めて現実的になってきました。
 ここでアダムからアブラハムまでの年齢の重複を見ておきましょう。これは案外知られていないことですが非常に興味深いものです。ただし、これは書かれている年齢が文字通りだったという前提に立っています。
アダムから洪水まで 1656年。洪水からアブラハムまで 427年。アダムとメトセラは 243年間重なる。メトセラとノアは600年間重なる。セムは98年間重なる。アダムはノアの誕生の126年前に死んでいる。(私が前にノアはアダムに会えたはずだと言ったのは間違いでした。)
ノアは洪水の後350年目に死んだが、その2年後にアブラハムが生まれている。セムは洪水の98年前に生まれ503年後に死んだ。それはアブラハムがカナンに入った75年後であった。
アダムはひいひいひいひいひ孫(6世代目)の誕生まで生きていた。ノアは9世代目まで見ることができた。子孫たちがアダムたちより短命だったため。(ハーレーのBible Handbookより)

11:29 アブラムとナホルは妻をめとった。アブラムの妻の名はサライであった。ナホルの妻の名はミルカといって、ハランの娘であった。ハランはミルカの父で、またイスカの父であった。 11:30 サライは不妊の女で、子どもがなかった。 11:31 テラは、その息子アブラムと、ハランの子で自分の孫のロトと、息子のアブラムの妻である嫁のサライとを伴い、彼らはカナンの地に行くために、カルデヤ人のウルからいっしょに出かけた。しかし、彼らはカランまで来て、そこに住みついた。 11:32 テラの一生は二百五年であった。テラはカランで死んだ。

ここから、歴史は全く普通の人間の話になります。アブラム、後のアブラハムという偉大な神の人の登場によって、聖書は世界的視点から民族的な視点に移ります。アブラムの住んでいたのはカルデアのウルでした。このウルはウーリーという人によって発掘され多くの偉大な発見がされました。このウルでウーリーは古代の生活の遺物の下に、全く何も含まれない純粋な粘土層と、その下からは再び破壊された人間の生活の跡を発見しています。それは紛れもなく大洪水の跡だと結論付けています。(ウーリーの「ウル」より)
 アブラムの祖父ナホルも父テラも偶像礼拝者でした。彼らの住んでいたバビロニアはニムロデ以来、強烈な偶像崇拝の土地でした。そこにアブラムはただ一人唯一の神を信じていました。彼は幼くして父の偶像礼拝の要求を断ったという伝説があります。この偶像に汚れた土地から神様はアブラムを導き出して正しい信仰の民族を造ることとされたのです。ノアのときと似ていますね。