ホームページ・メッセージ070408            小 石  泉

復活祭特集
      石の扉の真実

28:1 さて、安息日が終って、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリヤとほかのマリヤとが、墓を見にきた。 28:2 すると、大きな地震が起った。それは主の使が天から下って、そこにきて石をわきへころがし、その上にすわったからである。 28:3 その姿はいなずまのように輝き、その衣は雪のように真白であった。 28:4 見張りをしていた人たちは、恐ろしさの余り震えあがって、死人のようになった。 28:5 この御使は女たちにむかって言った、「恐れることはない。あなたがたが十字架におかかりになったイエスを捜していることは、わたしにわかっているが、 28:6 もうここにはおられない。かねて言われたとおりに、よみがえられたのである。さあ、イエスが納められていた場所をごらんなさい。 28:7 そして、急いで行って、弟子たちにこう伝えなさい、『イエスは死人の中からよみがえられた。見よ、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。そこでお会いできるであろう』。あなたがたに、これだけ言っておく」。 28:8 そこで女たちは恐れながらも大喜びで、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。28:9 すると、イエスは彼らに出会って、「平安あれ」と言われたので、彼らは近寄りイエスのみ足をいだいて拝した。 28:10 そのとき、イエスは彼らに言われた、「恐れることはない。行って兄弟たちに、ガリラヤに行け、そこでわたしに会えるであろう、と告げなさい」。

 今から1969年前、紀元30年の早春の早朝、エルサレムの郊外にあるゴルゴタと言う岩山の隣にあるアリマタヤのヨセフと言う人の、墓の扉が地震によって吹き飛びました。その扉は直径が4メートルもある巨大な石の円盤でした。その扉は両端を鉄の楔(くさび)で止められていたのですが、その楔は強烈な力で引きちぎられていました。聖書はこの扉は天使が転がしたのだと言っています。

 16:1 さて、安息日が終ったので、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとが、行ってイエスに塗るために、香料を買い求めた。 16:2 そして週の初めの日に、早朝、日の出のころ墓に行った。 16:3 そして、彼らは「だれが、わたしたちのために、墓の入口から石をころがしてくれるのでしょうか」と話し合っていた。 16:4 ところが、目をあげて見ると、石はすでにころがしてあった。この石は非常に大きかった。 16:5 墓の中にはいると、右手に真白な長い衣を着た若者がすわっているのを見て、非常に驚いた。

 約20年前にアメリカの民間考古学者ロン・ワイアットさんはゴルゴタの丘を発掘して、キリストの十字架の跡、罪状書きを張った岩のくぼみなどを発見しました。それは一般に考えられているように丘の上ではなく、丘の下、人々が通る道筋にありました。丘の上では人々は十字架刑を見ることはできなかったでしょう。また今、園の墓として知られているゴルゴタの丘の隣にある墓の前にこの石の扉を発見しています。
 ロン・ワイアットさんはこの丘の地下からモーセの幕屋にあった「契約の箱」も発見しています。その他にも、ノアの箱舟、ソドムとゴモラ、モーセの出エジプト記にある紅海を渡った場所、今、有名なシナイ山ではなく本当のシナイ山なども発見しています。これらのことについては改めてBible Land Museumの中で詳しくお話します。
 しかし、聖書が神の真実の言葉であることを証明するこれらの大発見を嫌う学者たちは、圧倒的な証拠にもかかわらず全てを退けて、未だに認めていません。これらの記録はワイアットさんではなくジョナサン・グレイという記者によって本にされ、またワイアット考古学博物館からヴィデオ、DVD、などが出ています。インターネットでJonathan Grayと
http://www.wyattmuseum.com/を引いてみてください。
 実は今回、私はこれらの写真や絵をここに載せようとしたのですが、前には出ていたのに全て消されて、DVDなどの中に収められてしまったようです。ワイアットさん自身は欲の無い真実な方でしたが、亡くなられた後、そうなってしまったようです。それで、残念ながら載せることが出来ませんでした。
 クリスチャンでも私たちがこのようなことを言うと、頭から馬鹿にして笑います。しかし、少しでも調べてみようとは思わないのでしょうか。何も知らないのに何でも知っているように思い上がっているのは実に愚かなことです。これらのDVDや本を読んでみてください、あなたは戦慄を覚えるでしょう。特に契約の箱の発見は恐るべき真実です。これは日本でも徳間書店からジョナサン・グレイ著、林陽訳「契約の柩」と言う名で出版されていますがすでに絶版で古本しか手に入りません。契約の箱はもう一度イスラエル政府によって封印され今でもゴルゴタの丘の下にあります。
 あの石の扉は長い間そこにあったのですが最近イスラエル政府がどこかに移動したとイスラエル在住のガイド榊原氏は言っていました。

イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」。ヨハネ11:25〜26

 イエス・キリストを信じる人はいつまでも死にません。たとえ死んでも生きるのです。それはイエス様の約束です。元々人は死なないものとして創造されました。しかし、戒めに背いて食べてはいけないと言われた木の実を取って食べたために死ぬものとなりました。

見よ。人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るようになった。今、彼が、手を伸ばし、いのちの木からも取って食べ、永遠に生きないように。 創世記3:23

 主イエスを信じるとき、人は罪を贖われ、罪を消されます。その結果、永遠の命を与えられます。主イエスは命です。いのちの木そのものなのです。

イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。」ヨハネ14:6

 主イエスに従う人は永遠に生きて良いのです。罪を消されたからです。もはや死はキリストに従う人に、その力をふるうことは出来ません。

死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか。Tコリント15:55

 問題は、人が自分の罪を認めないことと、キリストの救いの価値を知らないことです。
 主イエスの墓の扉は真実を語っています。死は勝利にのまれてしまったのです。永遠の命は御子イエスのうちにあります。今こそ信じてください。あなたもキリストのように神の国によみがえるために。