メッセージ070311 小 石 泉
Bible Land museum
バイブルランド博物館
創世記Vol.6 堕落
3:1 さて、神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾であった。蛇は女に言った。「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」 3:2 女は蛇に言った。「私たちは、園にある木の実を食べてよいのです。 3:3 しかし、園の中央にある木の実について、神は、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ。』と仰せになりました。」
「さて、神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾であった。」ここは非常に不思議なところです。まず、蛇のことを「野の獣」と呼んでいます。創造の六日目に
「神は、その種類にしたがって野の獣、その種類にしたがって家畜、その種類にしたがって地のすべてのはうものを造られた。神は見て、それをよしとされた。」1:25 とあって、四足の獣と爬虫類は区別されています。蛇は現在の分類では爬虫類に属するはずですから、野の獣というのはどうしてなのでしょうか。3:14では蛇は呪われて「おまえは、一生、腹ばいで歩き、ちりを食べなければならない」とあって、この時から地を這うものとなったようなのです。実際、蛇には退化した足らしいものがあると言われています。

もしかすると、当時は人間と動物は会話できたのかも知れません。また、動物にはもう少し知能があったのかも知れません。私は長年犬を飼っていますが、犬とでもかなり意思の疎通が出来ます。しかし、いくらなんでも蛇が人間を誘惑するわけはないのです。これは蛇に形を変えたサタンだったことは明らかです。
黙示録ではサタンを蛇と呼んでいます。
「さて、天に戦いが起こって、ミカエルと彼の使いたちは、竜と戦った。それで、竜とその使いたちは応戦したが、勝つことができず、天にはもはや彼らのいる場所がなくなった。こうして、この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇は投げ落とされた。彼は地上に投げ落とされ、彼の使いどもも彼とともに投げ落とされた。」12:7〜9
私の友人に、元サタン礼拝者の高い地位にいて、その後、キリストを信じて救われた、シスコ・ホィーラーという女性がいます。彼女は自分の目で何度もルシファーを見たと言います。「オリーブ色の肌をしていて、ものすごく美しいの、でも時々蛇の形を取るの」だそうです。また、堕落天使たちは地上に来ると爬虫類の形を取ることが多いそうです。本当かどうか分かりませんが、彼女は救われた日から、常に命を狙われているので、嘘を言っている暇はなさそうです。
蛇は女に言った。「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」本当に言われたのですか? 神の言葉への小さな揺すぶり。女性の心理を突いた誘導尋問です。ここにエバのひととなりが現れているような気がします。お人よしの人は相手の好意を得るために、まず、相手の言葉に同意してから話します。
「女は蛇に言った。「私たちは、園にある木の実を食べてよいのです。しかし、園の中央にある木の実について、神は、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ。』と仰せになりました。」
見事に女性はサタンの策略にひっかかりました。エバは神の言葉に“付け加えること” と“あいまいにすること”で相手に合わせようとしています。神様は「触れてもいけない」とは言いませんでした。また「死ぬといけないから」と言っていません。「必ず死ぬ」と言われたのです。女性はもう、詐欺師の手中にはまりました。
3:4 そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。 3:5 あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」 3:6 そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。 3:7 このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。
「あなたがたは決して死にません。あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」サタンはもう、疑問形では話しません。全く違った話を、断定的に覆いかぶせています。神のようになる、善悪を知る、これは人間が本来求める必要のない進歩向上です。人間にとって好ましい進歩向上は、へりくだって神を敬い、正邪善悪の基準を自分に求めないで神に求めることです。神のようになるとか、正邪善悪の基準を自分で定めるなどは傲慢と言わなければなりません。人間は自己中心な性格があります。だから本当に正しいことと悪いことの判断は出来ないものです。ですからサタンの誘惑の言葉には恐ろしい罪がひそんでいます。善悪を知る木の実を食べるという“行為”そのものより、サタンが提供した“動機”こそ罪であるように思えます。
「そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった」。おいしそうで、知的で、魅惑的でした。これを、英語にしてみましょう。デリシャス、インテリジェンス、ファッションナブル。なんだか近頃のテレビコマーシャルの言葉と同じですね。
また、この手の“惑わし”に女性は弱いことがTテモテ2:14 に書かれています。
「また、アダムは惑わされなかったが、女は惑わされてしまい、あやまちを犯しました。」
そうは言っても、男はその実を女性からもらって食べたのですから同じことです。男の弱みはいつも女性なのですねえ。
「このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。」
善悪を知る木の実を食べたら、裸であることが分かったのです。善悪を知る木とは何なのでしょう。彼らはアローム、無邪気ではなくなりました。なんとなく一人一人の人間の成長過程と似ていると思います。それまで男も女もなく遊んでいたのが、思春期になり異性を意識するようになる。アダムとエバは他に誰もいなくても羞恥心を持ちました。
「そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った」。
人類最初の衣装はいちじくの葉でした。これに深い意味はないと思います。とりあえず身近で幅の広い葉を捜したのでしょう。
参考:メソポタミアから発掘された、円筒印章(cylinder seal)に、アダムとエバが蛇と木を中心にして立っている絵が描かれたものがあります。今回、その写真を何とかして見つけようとしたのですが、ついに発見できませんでした。円筒印章は当時の文書であった粘土板に木のへらで文字を刻み(楔形文字)、最後に、今のはんこのように、まだ柔らかい粘土板の上に転がして絵や文字を浮き出させて自分の保障としたものです。
一体、アダムとエバを描いた印章は誰が使ったものなのでしょうか。はんこというものは、今でも大切なもので、めったに人に貸したりしません。実印は大切に保管されます。これはもしかしたら、アダムの印章だったのでしょうか? そんなことはあり得ないと思うのですが、アダムはノアの時代まで生きていたことが記されています。ノアはその気になればアダムに会えたのです。もちろんアダムは洪水の直前に死んでいますが。
もしこの円筒印章の写真をご存知の方は、ぜひ私まで送ってください。