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Bible Land museum
バイブルランド博物館
創世記Vol.5 エバの創造
まず、前回お話できなかった続きを取り上げましょう。
2:17 しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」
「必ず死ぬ」。この言葉は“死にに死ぬ”と言うような二重の意味があると言われています。この時までに、動物は死んだのか、またアダムとエバが動物の死に出会っていたかどうかは分かりません。おそらく死というものはそれまでなかったのだと思います。死というものがなかった時、死を理解することは難しかったでしょう。アダムとエバは死について、想像することが困難だっただろうと思います。私の娘がまだ幼かった時、散歩の途中で犬の死骸に出会いました。それは彼女にとってかなり衝撃的な出来事だったのでしょう。「犬さん死んじゃったねえ」といつまでも言っていました。
さらに、死の二重の意味と言えば、肉体の死と、霊の死を意味するのかもしれません。
からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。マタイ10:28
このように聖書は、人間には二重の死があることを明確に語っています。
2:18 その後、神である主は仰せられた。「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」 2:19 神である主が、土からあらゆる野の獣と、あらゆる空の鳥を形造られたとき、それにどんな名を彼がつけるかを見るために、人のところに連れて来られた。人が、生き物につける名は、みな、それが、その名となった。 2:20 こうして人は、すべての家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名をつけたが、人にはふさわしい助け手が、見あたらなかった。 2:21 そこで神である主が、深い眠りをその人に下されたので彼は眠った。それで、彼のあばら骨の一つを取り、そのところの肉をふさがれた。 2:22 こうして神である主は、人から取ったあばら骨を、ひとりの女に造り上げ、その女を人のところに連れて来られた。 2:23 すると人は言った。「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。これは男から取られたのだから。」 2:24 それゆえ、男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。 2:25 そのとき、人とその妻は、ふたりとも裸であったが、互いに恥ずかしいと思わなかった。
イラスト:渡辺百合

「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」
男と女の創造は最も謎に満ちた物語です。動物は群れとして創造されたのに、人間は一人だったのでしょうか。それとも最初の人間アダムは人間の代表なのでしょうか。さらに動物は雌雄が造られたはずなのに、人間だけが男だけだったのでしょうか。確かに言えることは人間だけが男から女が造られたと書かれていることです。これは明らかに動物の創造とは違います。
その途中で、動物に名をつけたという挿話が入っています。名をつけたということは言語があったということです。どんな名をつけるのか、神様は楽しみながら見ておられたのです。しかし、当然のことながら動物は彼の助け手とはなりませんでした。この助け手という言葉は、原語では「援軍」という意味です。共に語り合い、共に助け合い、愛し合うという意味で、男を支え、欠けているところを補う者という意味なのでしょう。
しかしこれは最近の女性からは好まれない箇所かもしれません。「男性が先に作られた、ということだけでもいやだ、許せない」という女性の話を聞いたことがあります。まして「男性を支えるために女性がいるなんて!」ということになるのでしょうか。でもね、女性の本当の幸せはそういうものなのですよ。確かに男性を越える才能を持った女性も沢山いるでしょう。しかし、女性は基本的には男性より弱い構造になっています。ペテロは次のように言っています。
同じように、夫たちよ。妻が女性であって、自分よりも弱い器だということをわきまえて妻とともに生活し、いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい。それは、あなたがたの祈りが妨げられないためです。Tペテロ3:7
そこで、神様は世界初の麻酔手術を行われました。
そこで神である主が、深い眠りをその人に下されたので彼は眠った。それで、彼のあばら骨の一つを取り、そのところの肉をふさがれた。 こうして神である主は、人から取ったあばら骨を、ひとりの女に造り上げ、その女を人のところに連れて来られた。
昔、まだ麻酔術が行われていなかったとき、この箇所は不信仰な人々の嘲笑の的でした。「人間はわき腹をつつかれただけでも起きてしまうのに、あばら骨を取られるほど眠るわけがない・・・」。しかし、近年、麻酔術が発明されたとき彼らは口をつぐみました。
ところで私はこのあばら骨というのがDNAのような気がしてなりません。これを私流に翻訳すると、こうなります。「そこで神である主が、深い眠りをその人に下されたので彼は眠った。それで、彼のDNAの一つを取り、そのところの肉をふさがれた。 こうして神である主は、人から取ったDNAを、ひとりの女に造り上げ、その女を人のところに連れて来られた」。何か、ぴったりしませんか?

人の染色体(DNAが乗っている)
すると人は言った。「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。これは男から取られたのだから。」
これは世界最初の愛の告白です。骨の骨、肉の肉。すごい愛情の表現ですね。これを女と名づけよう。これは男から取られたのだから。
というのはヘブル語では男を表す「イシュ」という言葉の語尾を女性変化して、女「イシャ」と呼んだのです。これは言葉の遊びというより、アダムが文法を持っていたという証拠になります。
それゆえ、男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。そのとき、人とその妻は、ふたりとも裸であったが、互いに恥ずかしいと思わなかった。
ここに世界最初の結婚式が行われました。アダムとエバには父母はいなかったのですが、父母を離れと書かれているのは、結婚するということは独立した人間同士だけがするものだということを表しています。日本では、親が子離れできない、子が親離れできない、というような話をよく耳にします。それでは結婚は成立しません。
そのとき、人とその妻は、ふたりとも裸であったが、互いに恥ずかしいと思わなかった。
ここはとても楽しいところですね。聖書はわざわざ「ふたりとも裸であったが、互いに恥ずかしいと思わなかった」と書いています。いかにも無邪気で愛らしい二人だったのでしょう。幼稚園児よりももっと無邪気で屈託のない姿です。そしてこの「裸」という言葉は原語では、エローム(erom )と言って、次の3章に現れる、蛇が「狡猾」アルーム(arum)だったという言葉と掛詞(かけことば)になっています。英語で言うinnocentに当たる言葉でしょう。最初の人類の夫婦は緑したたるエデンで、裸で、神と共に、何の苦しみも悩みも痛みもない、平和で、安全で、美しい時を過ごしていたのです。それがどれぐらいの期間だったのか、そして他には誰もいなかったのか分かりません。