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創世記Vol.3

1:24 ついで神は、「地は、その種類にしたがって、生き物、家畜や、はうもの、その種類にしたがって野の獣を生ぜよ。」と仰せられた。するとそのようになった。 1:25 神は、その種類にしたがって野の獣、その種類にしたがって家畜、その種類にしたがって地のすべてのはうものを造られた。神は見て、それをよしとされた。

ついに動物や爬虫類が造られました。それも種類にしたがって。リスから象に至るまで、極楽鳥や深海魚まで、神様の発想の豊かさ、精妙な機能や形態の多様さ、巧妙さには驚くばかりです。現在知られている世界の生物の種の数は300万、まだ発見されていない種を想定すると5000万になるだろうと言われています。
参考:種とは互いに交配し、子孫を作りうる遺伝子供給源を共有し、同じ形態と行動を共有する生物の最少単位。現存する種の数は約300万種と推定される。哺乳類4100種、鳥類8700種、爬虫類6300種、両生類3000種、魚類23000種、昆虫80万種、緑色植物と菌類30万種以上、その他各種の無脊椎動物や細菌やウイルスなど。 (M.マイアース)
 昆虫を除く陸上の生物は約20000種です。しかし、海の生物を除く、これらの全てがノアの箱舟に入ることが出来たのでしょうか。これも謎の一つです。

6:18 しかし、わたしは、あなたと契約を結ぼう。あなたは、あなたの息子たち、あなたの妻、それにあなたの息子たちの妻といっしょに箱舟にはいりなさい。 6:19 またすべての生き物、すべての肉なるものの中から、それぞれ二匹ずつ箱舟に連れてはいり、あなたといっしょに生き残るようにしなさい。それらは、雄と雌でなければならない。 6:20 また、各種類の鳥、各種類の動物、各種類の地をはうものすべてのうち、それぞれ二匹ずつが、生き残るために、あなたのところに来なければならない。

 昆虫については記述がないのですが、もしかすると五日目の水中生物と鳥の中に入っているのかもしれません。昆虫は最も種類の多い生物なのですが、小さいので省略されたのかもしれません。一般的に虫はあまり良いイメージでは語られていません。
しかし、私は虫けらです。人間ではありません。人のそしり、民のさげすみです。詩篇22:6
 また、レビ記には少しだけ昆虫の記事があります。

イラスト 渡辺百合
11:20 羽があって群生し四つ足で歩き回るものは、あなたがたには忌むべきものである。 11:21 しかし羽があって群生し四つ足で歩き回るもののうちで、その足のほかにはね足を持ち、それで地上を跳びはねるものは、食べてもよい。 11:22 それらのうち、あなたがたが食べてもよいものは次のとおりである。いなごの類、毛のないいなごの類、こおろぎの類、ばったの類である。 11:23 このほかの、羽があって群生し四つ足のあるものはみな、あなたがたには忌むべきものである。
 このためか、欧米では、昆虫はあまり重要視されていないようです。日本では有名なファーブルもヨーロッパではほとんど無名だったそうです。私は昆虫があまり好きではないのですが、昆虫は動植物の生態系全体では重要な働きをしています。
 そして最後に人間が造られました。
1:26 そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。 1:27 神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。

 人間は神のかたちに似せて創造されました。このかたちというのは、英語ではImageと訳されていますが、それは文字通りには像という意味です。人間は猿から進化したのではなく、神のかたちに似せて造られたのです。教育の場でこの違いは大きいと思います。猿から進化したものに、どうしてモラルや愛を要求できるでしょうか。幼い時から唯物論と進化論で教育した結果が、今日の虚無的で暴力的な人間を造ったのです。
 人間とチンパンジーのDNAは、ほんの数パーセントしか違わないと言うことです。だから人間と猿は親戚なのだと。しかし、この論議にはまやかしがあります。他の動物との違いについては言及していません。動物間のDNAの差はそれぞれ非常にわずかなものに違いありません。何しろDNAはわずかに4つの塩基から出来ているのです。そして、その違いが小さければ小さいほど、ある種と他の種の違いは抜き差しならない差になるはずです。たった一つのDNAの差は永遠に越えがたいハードルとなるでしょう。前にDNAを音符に置き換えたメロディーを聴いたことがあります。それは不思議な旋律でした。世界中は神の造られたDNAのメロディーで満ち満ちているのでしょう。
 人間は「すべてのものを支配させる」ために創造されました。これは日本人の自然観と大きく違うところです。日本人の場合、他の動植物と人間は同格に考えられています。ある欧米人の文章に、その人の乳母だった日本人の女性が、その人がまだ幼かったときに転んだら、「地面も痛かったでしょうね」と言ったと書かれていました。これは聖書的自然観では考えられない言葉でしょう。私は日本人の動物への愛情は行き過ぎていると感じます。そのために動物を殺さなければならない場合にもためらいがあり、逆に生態系が壊されています。日光の猿や鹿が増加しても、なかなか殺せないので猿は人里に出て狼藉を働くし、鹿は霧降高原の名物だったニッコウキスゲを絶滅させました。また野良猫にえさをやることがまるで美徳のように報道されます。動物は殺さなければならないときは殺さなければならないのです。
 若い頃、ある宣教師と四国の山中を歩いていました。するとまだほんの生まれたばかりの子犬が数匹捨てられていました。「可愛いな」と私が言うと、その宣教師は「どこかに石はないかな」と言いました。「どうするのですか?」と聞くと「殺すんだよ」と言います。私はぎょっとして「可哀想じゃあないですか」というと「生かしておくほうが可哀想でしょう」と言います。彼の理屈は、いずれこれらの子犬は飢えて死ぬだろう。生きていたら野良犬になって迷惑を掛けるだろう。だから今の内に殺すべきなのだ、というものでした。理屈はそうかもしれませんが目の前に生きている愛らしい子犬を見て、私にはそういう発想は出来ませんでした。「すべてのものを支配させよう」という言葉はそういう意味なのでしょうか。大きなカルチャーショックでした。 また、ここで「男と女とに彼らを創造された」とあるのは、タイトルのようなもので実際の創造については2章に書かれています。

1:28 神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」 1:29 ついで神は仰せられた。「見よ。わたしは、全地の上にあって、種を持つすべての草と、種を持って実を結ぶすべての木をあなたがたに与えた。それがあなたがたの食物となる。 1:30 また、地のすべての獣、空のすべての鳥、地をはうすべてのもので、いのちの息のあるもののために、食物として、すべての緑の草を与える。」すると、そのようになった。 1:31 そのようにして神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ。それは非常によかった。こうして夕があり、朝があった。第六日。

 神様は人間を祝福されました。世界に満ちること、そして世界を支配すること。日本人は自然と共存する道を尊びます。そして、聖書のこの記述は自然を支配し、略奪するものだと言う非難する人々が居ます。しかし、その非難は当たりません。聖書の世界観は人間と他の被造物を厳格に分別しています。人間以外の、生物であれ、鉱物であれ、人間の目的のために造られたのです。人間はそれらを摂取し、利用して生きて行くように神様は造られました。神のかたちという地位だからです。本来は、他の被造物とは全く違う高貴な存在でした。神様が人間に期待したのは、自分に似る気高い精神で世界を支配することでした。愛と慈しみによって世界を従えるはずでした。人間が罪を犯すまでは。
 「神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ。それは非常によかった。」とあるように、ここまでは非常に良かったのです。全てが調和が取れて美しく高貴でした。人間が自然を略奪し、破壊したのは、神に造られたままではなくなってからです。