ホームページ・メッセージ070204 小 石 泉
Bible Land museum
バイブルランド博物館
私たちの教会に若い人が増えてきて、聖書の順序だった教育が必要だとの要請により、これからしばらく、特別の導きがない限り、聖書の講解説教(聖書を順を追って説明する説教。これに対して、一定の話題を取りあげるのをテーマ説教と言います)をします。これはかなり大きな仕事になりそうですが、私の最後の仕事として、旧約聖書と新約聖書をできる限り説明したいと思います。ただし、私はヘブル語もギリシャ語も出来ませんから、学問的なものにはなりませんが、少なくとも聖書のこれぐらいは知っていて欲しいという程度のものとなるでしょう。基本的には新改訳聖書を用います。(私は新改訳聖書がどうも好きになれません。言葉が幼くて聖書の威厳も意味も保っていないように思えるからです。しかし、すでに私たちの教会と周りの多くの教会で採用しているので、やむを得ず新改訳を基本に用いることにします。また、すでに何度も語ったことと重複しますが、新しい一冊の本が始まったのだと考えてください。)
創 世 記
創世記Vol.1
1:1 初めに、神が天と地を創造した。
1:2 地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。
1:3 そのとき、神が「光よ。あれ。」と仰せられた。すると光ができた。
1:4 神はその光をよしと見られた。そして神はこの光とやみとを区別された。
1:5 神は、この光を昼と名づけ、このやみを夜と名づけられた。こうして夕があり、朝があった。第一日。
1:1初めに、神が天と地を創造した。
この御言葉は書かれた後、数千年の年を経て、20世紀に完全に証明されました。いわゆるビッグバンは、宇宙には“始まりがあった”と言う事を証明したのです。それまで宇宙は“永遠から永遠まで在り続けている”はずのものでした。ほとんど宗教はこの考えに立っています。そして哲学者も科学者も、あのアインシュタインでさえその考えに捕らわれていたのです。しかし、ビッグバン、宇宙は一点から爆発し膨張しているという事実は疑うことの無い証拠を持ってほんの十数年前に明らかになったのです。ここで注意したいのは、広大無辺の宇宙空間の中に、星や星雲が爆発して出来たのではなく、爆発そのものが宇宙を作ったのです。それ以前は“何も無かった”ことに注意してください。ビッグバンについて詳しいことはここには書けませんが、ぜひサイモン・シン著「ビッグバン宇宙論」を読んでください。
地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。
さて、1節で天地の創造を語ったのに、2節になると突然、どう考えても地球に関して語られているとしか思われないのです。5節では「夕があり、朝があった。第一日」とあります。夕とか朝、さらに一日というのは地球が太陽の周りを公転し、さらに自転していなければ成り立たないはずです。
ところが太陽は14節の四日目に創られたように書かれています。そのために長い間、聖書の学者たちは2節の「地」を地球ではなく宇宙全般の星や星雲のことと考えてきました。ところがそれでは夕とか朝あるいは一日と言う言葉とは矛盾します。結局、天地創造については明白な説明は出来なかったのです。私も長い間、納得のいかないままで過ごしてきました。ところが最近になってペテロの第二の手紙から次のような御言葉を発見しました。もちろん、この御言葉は前から知っていたのですが、それが天地創造を明確に区別するとは思っていませんでした。これは大発見でした。
3:5 天は古い昔からあり、地は神のことばによって水から出て、水によって成ったのであって、
ここには、明らかに天すなわち宇宙と、地すなわち地球の創造の時期が違うことが書かれています! 確かに最近の天文学や物理学の研究の結果、宇宙の創造は、ほぼ180億年前、地球の創造は50億年前という結論が出ていますから、ペテロの記録が正確だったことが分かります。
ということは創世記の1節と2節の間には130億年近くの隙間があることになります。これは昔から「間隙説」として知られていた天地創造論を一部分で証明するものとなりました。それは1節と2節の間に長い空白な時間があり、その間に地球は一度、破壊され再創造されたのだという説です。私も一度はそれを信じたことがあります。実はアメリカインデアンのホピ族には地球が今までに何度も再創造され、今は4回目だという言い伝えがあります。しかし、その二つの話の地球の破壊という部分は、聖書と神を信じるものとしては受け入れがたいことです。神様がそんな風に天地創造をもてあそんだとは考えられないのです。結局、ペテロの記述のように、宇宙は古い昔に創造され、一番適切な時期に人間の住む地球が創造されたのでしよう。
さて、さらに、「地は形がなく、何もなかった。」という言葉から、地球も宇宙の物質も無かったとする考え方もされてきました。しかし、この「形がなく、何もなかった」という言葉、「ボーフー、トーフー」は必ずしも“無”を表す言葉ではなく“秩序が無い、混乱している”という意味にがあるそうです。そうでないと「やみが大いなる水の上にあり」という言葉と矛盾します。水があったのです。どこに?
結局、2節では、地球はすでに創られていました。それは静かで穏やかな星ではなく、まだ煮えたぎった水蒸気の立ちこめる星だったかもしれません。しかし、その混沌とした地球の上を「神の霊は水の上を動いていた」のです。「動いていた」とは「羽ばたいていた」というのが正確な表現です。生まれたばかりの混乱と無秩序の星を、聖霊は静かに見守り助けておられたのです。私たちの心が動揺し、混乱しているときも聖霊は、静かに見守っていて下さり助けの御手を差し出して下さるのです。
1:3 そのとき、神が「光よ。あれ。」と仰せられた。すると光ができた。1:4 神はその光をよしと見られた。そして神はこの光とやみとを区別された。 1:5 神は、この光を昼と名づけ、このやみを夜と名づけられた。こうして夕があり、朝があった。第一日。
天文学者でビッグバン宇宙論の支持者であるガモフはその著書の中で、この光をビッグバン直後の光と言っています。それはその後の宇宙の全ての物質を作り出した、元素が充満したスープのように濃い光だったと。その考えを全面的に否定するわけではありませんが、ここはあくまで地球中心の視点で考えましょう。
ここには光と闇が語られています。宇宙的に見ると、光と闇は星と星間宇宙ということになるでしょう。それではどうもぴんときません。光が昼、やみが夜とあります。昼と夜というのはどう見ても地球に関することです。しかし、まだ太陽は出来ていないと言われるでしょう。私はここは、まだ地球の大気が安定していなくて、濃い水蒸気によって太陽や月がさえぎられていたときではないかと思います。夕と朝があるということは、地球がすでに自転していたことも表していますし、太陽があったことも意味しています。後に説明しますが、四日目に太陽が創られたとあるのは、すでにあった太陽の役割を示したといえるでしょう。
こうして夕があり、朝があった。第一日。
ここで日本なら朝があり夕があったというでしょうが、夕が先に来ているのはユダヤでは夕方が一日の終わりであり始まりであるからです。一日は朝ではなく夕方から始まります。ちょと奇妙に見えますが、赤ちゃんがお母さんのお腹の中にいるときも一年と数える日本の年の数え方に似ていると思います。
また、第一日というのは今の24時間を表すのでしょうか。創造科学という聖書研究グループはこれを文字通りに24時間だと強烈に主張します。しかし、それは聖書の文字に拘泥した偏狭な見方だと思います。ここの「日」ということばは「ヨム」という言葉ですが、必ずしも24時間だけを指す言葉ではありません。彼らはこの点も厳重に抗議します。そしてそういう考えは進化論に道を譲るものだと主張します。しかし、これは一定の期間を指す言葉でもあります。だからこれを何億年と考えても良いのです。その方が自然であり、進化論と融合するはずはありません。
しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。Uペテロ3:8
とあるように、聖書は言葉に幅を持たせています。一つの言葉にはさらに奥深い意味がある場合があるのです。第一、そのときの地球が今と同じ時間で自転したり、太陽の周りを回っていたともいえないのです。惑星の中には今でも太陽の周りを何年も掛けて回っている星もあります。
ただし、もちろん24時間だったという可能性も無いとはいえませんが、この後で、海と陸が創られ、植物動物が創られていく経過を見ていると24時間というのはひどく不自然な気がするのです。神様は魔法使いのように世界を創られたのではないと思うのです。そこに時間的な経過があってこそ自然で美しいと思います。しかし、それも地球の一方が何億年も昼だったり夜だったりすることになり、矛盾もあります。難しいですね。
もう一つの考え方として「創世記の著者がこのような啓示を一日の間に受けたのだ」という説があります。地球や宇宙の長い創造の経過を、外側から見せてもらったのだと。その内の一日なのだと。それも少しは説得力があります。
結局のところ、天地創造はまだ謎に包まれている部分が沢山あるのです。