ホームページ・メッセージ061224 小 石 泉
クリスマスの年
クリスマスが何月何日だったかは分かっていません。12月25日というのは冬至の祭りを転用したものだと言われています。一年で太陽が一番現れなくなり、また回復する冬至は古代の人にとって希望の日だったのでしょう。とりわけ北欧の人々にとっては冬至は大きな意味を持っていたのでしょう。それでクリスマスには北欧の香りがするのでしょう。サンタクロースの衣装は、どう考えても中東向きではなく、分厚いコートとキャップは北欧向きですし、トナカイさんもイスラエルにはいません。
しかし、何年だったかは大体分かります。それには色々な算出法がありますが、その一つはローマの総督の統治年代です。
そのころ、全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た。これは、クレニオがシリヤの総督であった時に行われた最初の人口調査であった。人々はみな登録をするために、それぞれ自分の町へ帰って行った。ヨセフもダビデの家系であり、またその血統であったので、ガリラヤの町ナザレを出て、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。それは、すでに身重になっていたいいなづけの妻マリヤと共に、登録をするためであった。ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。ルカ2:1〜7
ローマの総督は元老院の議員が勤めましたが、クレニオがシリアを統治した年代は分かっています。それと皇帝アウグストの人口調査の年を組み合わせるとほぼBC7年から4年の間ということが分かりますが、まだ正確には判っていないようです。塩野七生さんによるとローマの人口調査は発令されてから一年で集計できるようなものではなく、数年掛かったそうです。塩野さん自身はキリストの誕生をBC7年としているので非常に疑問だと書いておられますが、BC7年と決めることは出来ません。
もう一つの方法は聖書学者で、バイブル・ハンドブックで有名なウイリアム・ハーレーのものです。私はこちらがお気に入りです。
あなたの民と、あなたの聖なる町については、七十週が定められています。これはとがを終らせ、罪に終りを告げ、不義をあがない、永遠の義をもたらし、幻と預言者を封じ、いと聖なる者に油を注ぐためです。それゆえ、エルサレムを建て直せという命令が出てから、メシヤなるひとりの君が来るまで、七週と六十二週あることを知り、かつ悟りなさい。その間に、しかも不安な時代に、エルサレムは広場と街路とをもって、建て直されるでしょう。その六十二週の後にメシヤは断たれるでしょう。ただし自分のためにではありません。ダニエル9:24〜26
これはメシアすなわちキリストが来る年を明確に定めた預言です。当時、ダニエルはペルシャに捕囚になっていました。神様に逆らい続けた北朝イスラエルはBC722年にアッシリアによって滅ぼされ、南朝ユダもBC587年にバビロンによって滅ぼされて、国の主だった人々が捕囚として連れて行かれていたのです。その後、バビロンはメドペルシャによって滅ぼされ、ダニエルはペルシャの王に仕えていました。
BC536年ペルシャの王クロスはゼルバベルというユダヤ人の指導者にエルサレムの「神殿を建て直す」ことを許可しました。ゼルバベルは約40,000人の人々とともに帰還して神殿を建て直しますがそれは貧弱な神殿で、昔の神殿を知らなかった人々は喜び、知っていた人々は悲しみのあまり泣いたと書かれています。(エズラ記1〜3章)。しかし、その後、彼らはイスラエル復興の意欲を無くしてしまいました。
その後、BC457年やはりペルシャの王アルタクセルクセス(アルタシャスタ)がエズラという指導者に「エルサレムを建て直せ」という命令を与えます。
「それゆえ、エルサレムを建て直せという命令が出てから、メシアなるひとりの君が来るまで、七週と六十二週あることを知り、かつ悟りなさい。」というダニエルの預言によると7+62=69 69×7=483 ですから「エルサレムを建て直せ」という命令が出てから483日目にメシアが来ることになります。この一日を一年と考えると483年後になります。 BC457年から483年後はAD26年です。
さて、メシアが来るということを「誕生」とするとAD26年にはメシアらしい人は生まれていません。一方、それを「洗礼」とするとイエス様がバプテスマのヨハネから洗礼を受けた年が、ほぼ(実は正確に)AD26年であることが分かります。イエス様が洗礼を受けたのは30歳のときとありますから、逆算するとイエス様の誕生はBC4年になります。
日本人なら天皇の治世は誕生ではなく、前の天皇が崩御されてから、それを引き継ぐ時、すなわち「即位」のときから数えることを知っています。今の平成天皇は18年前に即位されたのですが、誕生されたのは73年前です。メシアも誕生ではなく即位の年、すなわちメシアとして行動されるようになった、洗礼を受けた年から数えるべきです。
イエスはバプテスマを受けるとすぐ、水から上がられた。すると、見よ、天が開け、神の御霊がはとのように自分の上に下ってくるのを、ごらんになった。また天から声があって言った、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。マタイ3:16〜17
これがイエス様のメシア(ギリシャ語でキリスト)としての即位式の光景です。ここには父と子と御霊の三位一体の神が現れています。こんな光景は天地創造以外に聖書にはありません。しかも、父なる神ご自身が親しく声を掛けられているのもめったにないことです。
日本語で西暦と言うのはラテン語のanno domini(我が主の統治)という意味です。それなのに西暦元年は何の根拠もない、全く無意味な年です。どうしてこんなナンセンスな時が決められたのか不思議です。(ちなみに紀元前、BCはなぜか英語でBefore Christ、キリスト以前です)もし正確に西暦、すなわちキリストの統治というならAD26年を元年とすべきだし、誕生ならBC4年とすべきです。
さて、そうすると20世紀の終わりの1999年に、2000年を、ミレニアム、ミレニアムと大騒ぎした年は、実はキリストとは何の関係もない年でした。本当ならキリストから2000年目は2026年になるのです。そこで、もし、イエス様が再臨されるのが2000年目としたらAD2000年ではなく、2026年がその年になります。しかし、イエス様は次のようにおっしゃっていますから、もちろんその日は誰にも分からないのです。
その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。マタイ24:36
ところでダニエルの預言の中で「あなたの民と、あなたの聖なる町については、七十週が定められています」とあったことを思い出してください。先ほどお話したのは六十九週でした。残りの一週間はどこに行ったのでしょう。実は先ほどのダニエル書の9章26節には次のような続きがあります。
またきたるべき君の民は、町と聖所とを滅ぼすでしょう。その終りは洪水のように臨むでしょう。そしてその終りまで戦争が続き、荒廃は定められています。彼は一週の間多くの者と、堅く契約を結ぶでしょう。そして彼はその週の半ばに、犠牲と供え物とを廃するでしょう。また荒す者が憎むべき者の翼に乗って来るでしょう。こうしてついにその定まった終りが、その荒す者の上に注がれるのです。9:26〜27
ありました! ここに「隠された1週間」言い換えれば7年間がありました。これは反キリストと言われる世界帝国の王が支配するときと考えられます。それは7年間です。黙示録などを総合的に判断すると、間もなく、この時が来ます。サタンが世界を統一して支配する恐るべき7年間が。しかし、キリスト・イエスは彼らを滅ぼされます。
またわたしが見ていると、天が開かれ、見よ、そこに白い馬がいた。それに乗っているかたは、「忠実で真実な者」と呼ばれ、義によってさばき、また、戦うかたである。その目は燃える炎であり、その頭には多くの冠があった。また、彼以外にはだれも知らない名がその身にしるされていた。彼は血染めの衣をまとい、その名は「神の言」と呼ばれた。そして、天の軍勢が、純白で、汚れのない麻布の衣を着て、白い馬に乗り、彼に従った。その口からは、諸国民を打つために、鋭いつるぎが出ていた。彼は、鉄のつえをもって諸国民を治め、また、全能者なる神の激しい怒りの酒ぶねを踏む。その着物にも、そのももにも、「王の王、主の主」という名がしるされていた。黙示録19:11〜16
クリスマスは遠い昔の美しい物語として永遠に語り告げられるでしょう。しかし、それは全ての神の御計画の始まりに過ぎません。主イエスはまず人間の罪を贖うために貧しい馬小屋に生まれ給いました。それは物語のプロローグであってエピローグではありません。それは罪に沈み、サタンに束縛された世界と人間を救い出すための第一段階であって、最終章はサタンを滅ぼす方として現れるのです。
イエス様は人間として生まれ(受肉)、人間の罪を贖うために十字架におかかりになり(贖罪)、人間の初穂として復活され(復活)、天に帰られ(昇天)、サタンを滅ぼすために再び来られます(再臨)。クリスマスは2000年前の出来事ですが、再臨は数年後(恐らく)の出来事です。私はクリスマスも大好きですが、どちらかと言えば、こちらの方がはるかに心躍る希望なのです。