メッセージ 061217                  小 石  泉

宇宙から見たクリスマス


イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」マタイ2:1〜2

 ユダヤ人の王の誕生を、ペルシャの占星術師(古代天文学者)マゴスに教えたこの星について、ガリレオの先駆者だったケプラーはかなり上手に説明しました。それは、紀元前7〜4年ぐらいに、イスラエルの守護星座である魚座で王を表す木星と苦難を表す土星が会合(接近)した。太陽系でも最大の二つの星が会合したので、それは夜空に輝き渡っただろうと。それはその年に二度起こったので最初はエルサレムに向かって旅するために、次にベツレヘムに向かって旅するために役立った。そしてベツレヘムに着いたときには天の真上にあり、そこが王の誕生の場所だと判ったのだと。実際、ベツレヘムには水を飲むために博士たちがのぞきこんだ時、ちょうどその星が水面に移っていたという、“博士の井戸”というものが今でもあります。
 これはロマンチックで説得力のある物語のようですが、実際は木星と土星の会合は何度もあってあまり真実性はありません。この星に関しては、

彼らは王の言ったことを聞いて出かけた。すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。マタイ2:9〜10 

とあるので、もっと地球に近いところにあったように見えます。結局この星が何であったかは判らないのです。ユダヤ人は空に輝く光は全て星としたようです。
 さて、先週のメッセージを思い出してください。宇宙には無数の銀河があり、その銀河には無数の星があります。その中には太陽系のように惑星を引き連れた星々もあることでしょう。その太陽系の中には地球のような星もあることでしょう。そこには人間のような生物がいるのでしょうか。クリスマスの物語を神の視点で見ることも興味深いことです。

そのとき、明けの星々が共に喜び歌い、神の子たちはみな喜び叫んだ。ヨブ38:7

 この箇所を読むと、星には、人間でなくとも天使のような生物がいるように感じます。また、次のような御言葉もあります。

この雄やぎは、非常に高ぶったが、その強くなったときに、あの大きな角が折れた。そしてその代わりに、天の四方に向かって、著しく目だつ四本の角が生え出た。そのうちの一本の角から、また一本の小さな角が芽を出して、南と、東と、麗しい国とに向かって、非常に大きくなっていった。それは大きくなって、天の軍勢に達し、星の軍勢のうちの幾つかを地に落として、これを踏みにじり、軍勢の長にまでのし上がった。それによって、常供のささげ物は取り上げられ、その聖所の基はくつがえされる。ダニエル8:8〜11

 ここには「星の軍勢」という言葉があります。ここはマケドニアの王アレキサンダーか、終わりの時代に出る反キリストを語っているようですが、やはり星に天使の軍隊がいるように思えます。私は宇宙の無数の星が、全て岩の塊で、命のないものだとは思えないのですが、人間は地球にしかいないと思います。地球のような環境は非常にまれなもので、めったにありえないものだそうです。そして、もう一つ重要なことは、神の御子、イエス様が地球に来られたからです。それ以外の星には来られなかったのです。

キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。ピリピ2:6〜11

 「神の御姿」という言葉は、口語訳聖書では「神のかたち」とあります。人は「神のかたち」に創造され、御子も「神のかたち」なので、人となるのは容易だったのかも知れません。いずれにせよ御子は地球にこられました。私たちは地動説の世界に生きていますが、霊の世界では地球が宇宙の中心なのです。御子が肉体を取って現れたのは地球以外にはないのですから。
 神と御子は宇宙の全ての星を知っています。

主は星の数を数え、そのすべてに名をつける。詩篇147:4

 その中の、小さな星、最も美しく完全な地球に神様は最大の関心を持っておられました。そこには神様が御自分のかたちに創造した人間が住んでいて、罪を犯していました。彼らは互いに、時には愛し合い、助け合い、時には騙し合い、、憎み合い、殺し合い、作ったり、壊したりしていました。もし、宇宙人がいて地球にやって来て、この地球を見たとき、その美しさと醜さに驚くでしょう。こんな美しい星に、何でこんな恐ろしいことが起こるのか。彼らは驚いて逃げ去るでしょう。
 さて、その星に住んでいた乙女に天使が現れ、あなたに子供が与えられると告げました。

ところで、その六か月目に、御使いガブリエルが、神から遣わされてガリラヤのナザレという町のひとりの処女のところに来た。この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリヤといった。御使いは、はいって来ると、マリヤに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」しかし、マリヤはこのことばに、ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。すると御使いが言った。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」そこで、マリヤは御使いに言った。「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」御使いは答えて言った。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。」ルカ1:26〜35

 そして神の御子イエス・キリストはこられました。御子はこの星で多くの良い業をされたのですが、罪人として死刑になりました。この星は宇宙のどんな星よりも神様に祝福され、どんな星よりも罪深い星です。しかし、神様の愛とキリストの贖いによって、この星の住民には許しが与えられます

神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕われ人には解放を、囚人には釈放を告げ、主の恵みの年と、われわれの神の復讐の日を告げ、すべての悲しむ者を慰め、シオンの悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、悲しみの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるためである。彼らは、義の樫の木、栄光を現わす主の植木と呼ばれよう。イザヤ61:1〜3

 何と美しく素晴らしい約束でしょうか。地球は何と幸いな星でしょうか。

わたしイエスは、使をつかわして、諸教会のために、これらのことをあなたがたにあかしした。わたしは、ダビデの若枝また子孫であり、輝く明けの明星である。黙示録22:16

 私たちを導く明けの明星は、もうじき義の太陽である主イエスとして再び来られる日まで、私たちの希望です。




*訂正  先週のメッセージで重大なミスがありました。「遠ざかっている星は青い光に偏光する」のではなく「赤い光に偏光する」です。ドップラー効果の説明で、波長が長くなると青くなると説明しているときに、変だなと思ったのですが、勘違いのままで言ってしまいました。また、ビッグバンの提唱者の一人、ルメールはルメートルの間違いでした。彼はカトリックの神父だったのですが、純粋に物理学と天文学による研究によって論じたので多くの人に受け入れられたのです。すばらしいことですね。