ホームページ・メッセージ061008 小 石 泉
主イエスの教えと、いわゆるキリスト教について
最近、日本で、一神教の弊害が多くの人々から叫ばれています。今の中東や世界の混乱は一神教同士の戦いであり、それは一神教の持つ偏狭さ、強烈な自己中心の主張によるというのです。その点、日本人は宗教に寛容であり、広い心を持っているというのです。これは、かなり説得力を持って受け入れられて居ます。特にアメリカの政治の背景になっていると信じられているファンダメンタリスト(キリスト教原理主義とか福音派と呼ばれている)が、イスラエルを聖書的な立場から擁護するために、イラクなどのイスラム教との確執をもたらして現在の混乱の原因となっていると信じられています。かなり多くの日本人が、「キリスト教が多くの人々を殺している」と信じています。困ったことになりました。私たちの信じているイエス・キリストの教えと、アフガニスタンやイラクに爆弾を落とした信仰が同じものなのでしょうか。
イエス・キリストの宗教は、組織、イデオロギー、党派、国家などとは全く無関係な教えです。それは全く個人の心の問題なのです。ユダヤ人は生まれた時からユダヤ教です。イスラム教徒も生まれながらにイスラム教徒です。昔は日本人は生まれながらに神道の子であり、仏教の檀家の子でした。しかし、キリスト教はクリスチャンの家に生まれてもクリスチャンではありません。自分の意志で信仰を持つという告白をしてクリスチャンになります。カトリックでは幼児洗礼を受けますが、十五歳位で堅信礼という儀式を通して自分の意志で信じるという過程を通ります。意外なことですがこれは世界の宗教では非常に珍しいことではないでしょうか。事ほどさようにキリスト教とは個人の心の宗教なのです。
それからイエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。」マタイ16:24
わたしについてきたいと思うなら。
耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。黙示録2:11
耳のある者は・・・聞くがよい。
さて、イエスがガリラヤの海べを歩いておられると、ふたりの兄弟、すなわち、ペテロと呼ばれたシモンとその兄弟アンデレとが、海に網を打っているのをごらんになった。彼らは漁師であった。イエスは彼らに言われた、「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」。すると、彼らはすぐに網を捨てて、イエスに従った。マタイ4:18〜20
わたしについてきなさい。
彼は自分のところにきたのに、自分の民は彼を受けいれなかった。しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。それらの人は、血すじによらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず、ただ神によって生れたのである。ヨハネ1:11〜13
彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には・・・神の子となる力を与えた。
すべてが自由意志です。自動的に宗教に入るということはありません。これは案外みんなが気が付かないことですが、大変重要なことです。本来、宗教というものは自由意志で受け入れるべきものだからです。
ですから“キリスト教とイスラム教の戦い”というとき、一方は自由意志で入った宗教であり、一方は生まれながらに選択の余地の無い宗教の違いがあるということを、まず、理解しなければなりません。そしてキリストのキリスト教は戦いによって布教されるということはありません。そう言うと、では十字軍はどうなのかと言われそうです。これは最も典型的なこの世的キリスト教の実例といえるでしょう。
キリストのキリスト教において武力で奪還しなければならない聖地などというものは存在しません。
イエスは答えられた、「わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであれば、わたしに従っている者たちは、わたしをユダヤ人に渡さないように戦ったであろう。しかし事実、わたしの国はこの世のものではない」。ヨハネ18:36
確かにパレスチナはキリストが生まれ、活動された土地です。しかし、キリストはクリスチャンの心の中に王国を建設されたのです。この地上には一センチ四方でもキリスト教国家というものはあり得ないのです。聖地は実際に訪れると感激に満たされる場所ですがイエス様はそこを武力で奪還するなどとは絶対に望んでおられなかったでしょう。そんなことをしなくても世界は全てキリストと神のものなのです。
また、ブッシュ大統領を支持しているとされるアメリカのファンダメンタリストがイスラエルを保護するためにイラクやイランを攻撃せよというなら、それもとんでもない間違いです。そうしなければキリストは再臨されないなどということも、はなはだしく馬鹿げたたわごとです。イエス様はレバノンやイラクやイランを荒地にしなければ再臨されないなどとは言っておられません。神の意志は人間の爆弾によって実行されるものではありません。これはキリストのキリスト教ではなく、サタンによって誘導され、誤った信仰のキリスト教なのです。
ほとんどの人々、とりわけ日本人が全くわかっていないのは、神の歴史と同時にサタンの歴史があるということです。神が世界を創造されエデンに人間を置かれたとき、すぐにサタンはやってきました。そして創られたばかりの人間を誘惑しました。それからサタンは地球に住んで、神の働きをことごとく妨害したのです。聖書はサタンのことを「この世の君」とか「空中の権を持つ君」と呼んでいます。
わたしはもはや、あなたがたに、多くを語るまい。この世の君が来るからである。だが、彼はわたしに対して、なんの力もない。ヨハネ14:30
かつてはそれらの中で、この世のならわしに従い、空中の権をもつ君、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って、歩いていたのである。エペソ2:2
言い換えればサタンは、もうしばらくの間、地球の支配者であるのです。それは元々地球は人間に与えられたのですが、サタンの誘惑に合い神に反逆したために、反逆の先輩、サタンにその権利を奪われてしまったからです。そのサタンは今や自分の時が短いことを知って、怒り狂って働いているときです。ですからキリスト教という宗教もサタンが最大限に利用するところとなっているのです。
さらに悪いことは、教会やクリスチャンがそのことを知らないということです。今のクリスチャンを見ていると、サタンなんて居ないと思っているのではないかと思われます。もう一度言いますが、今ほどサタンが活躍しているときはなかったのです。それなのに教会やクリスチャンはほとんどその現在地を確認できていません。さらに悪いことは、それを確認しようともしないことです。だから私が見ていると、現在行われているキリスト教の働きのほとんどにサタンが働いているようです。アメリカのファンダメンタリストがイラクやイランに爆弾を落とすことを奨励するとしたら、それはサタンの働きであることは明白ではありませんか。それが判らないのは愚かの極みです。
また、テアテラにいるほかの人たちで、まだあの女の教を受けておらず、サタンの、いわゆる「深み」を知らないあなたがたに言う。わたしは別にほかの重荷を、あなたがたに負わせることはしない。黙示録2:24
「サタンの深み」。この言葉の意味が少しでも判っているクリスチャンはどれほど居るのでしょうか。そしてそれを知ろうともしないので、サタンは昼の大路を高らかに笑いながら闊歩しているのです。
さて、天では戦いが起った。ミカエルとその御使たちとが、龍と戦ったのである。龍もその使たちも応戦したが、勝てなかった。そして、もはや天には彼らのおる所がなくなった。この巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは、地に投げ落され、その使たちも、もろともに投げ落された。その時わたしは、大きな声が天でこう言うのを聞いた、「今や、われらの神の救と力と国と、神のキリストの権威とは、現れた。われらの兄弟らを訴える者、夜昼われらの神のみまえで彼らを訴える者は、投げ落された。兄弟たちは、小羊の血と彼らのあかしの言葉とによって、彼にうち勝ち、死に至るまでもそのいのちを惜しまなかった。それゆえに、天とその中に住む者たちよ、大いに喜べ。しかし、地と海よ、おまえたちはわざわいである。悪魔が、自分の時が短いのを知り、激しい怒りをもって、おまえたちのところに下ってきたからである。」黙示録12:7〜12
「もはや天には彼らのおる所がなくなった」「しかし、地と海よ、おまえたちはわざわいである。悪魔が、自分の時が短いのを知り、激しい怒りをもって、おまえたちのところに下ってきたからである。」これらの言葉はまるで現在のことのようです。いや、恐らくその一部分であることは間違いないのです。サタンは今、世界に居ます。激しい怒りをもって。
今日、キリスト教と言われている宗教が多くの人々の疑惑と憤りを引き起こしています。それは元々主イエスのキリスト教ではなく、サタンが利用し誘導している宗教なのです。人々にそう説明しましょう。そして何より大切なことはそのような事態を的確に把握し、自分自身と教会に警鐘を鳴らすべきことです。今はのんきに構えているときではありません。戦いを宣言しましょう。主イエスに在って、ギデオンの精兵のように。