ホームページ・メッセージ060917            小 石  泉

預言者が必要です


 預言者とは聖書とイスラエルの歴史の中で度々現れた神の代弁者です。予言者と言わないで預言者というのは、予言者は未来を予知するだけの人を言うからでしょう。預言者は文字通り神の言葉を預けられた人のことです。聖書の中で預言者の活躍は目覚しいもので、イエス様自身も何度も口にされ、多くの場合賞賛されています。
 実際、預言者とは不思議な存在です。目に見えない神の代弁者となるのですから。人間でありながら神の僕と呼ぶにふさわしい人々ですが、同時に、にせ預言者、自称預言者も多くいたようです。本当の預言者の資格は、その預言が一つも外れないで成就(実現)することでした。

サムエルは育っていった。主が彼と共におられて、その言葉を一つも地に落ちないようにされたので、Tサムエル3:19

 私は今、世界に本当の預言者が必要だと痛切に思います。どんなこの世の権力や富にも負けない、強い神の人が・・・。預言者は決してこの世からは歓迎されないものです。

ああ、強情で、心にも耳にも割礼のない人たちよ。あなたがたは、いつも聖霊に逆らっている。それは、あなたがたの先祖たちと同じである。いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、ひとりでもいたか。彼らは正しいかたの来ることを予告した人たちを殺し、今やあなたがたは、その正しいかたを裏切る者、また殺す者となった。使徒行伝7:51〜52

ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた人たちを石で打ち殺す者よ。ちょうど、めんどりが翼の下にそのひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに、おまえたちは応じようとしなかった。マタイ23:37

 多くの神の器である預言者は人々に疎(うと)まれ殺されました。今のように、飛行機のファーストクラスや自家用機で世界を飛び回り、国々の最高クラスのホテルのスイートルームからリムジンで送迎され、7つのベッドルームのある豪邸を国中にいくつも持つというようなことはありませんでした。某国では牧師夫人は国のセレブの最高位にあって最高級のデパートの顧客リストのベストテンに入るそうですが、そのようなこともありませんでした。それどころか貧しくて借金の片に子供が売られそうになることもあったのです。

預言者のともがらの、ひとりの妻がエリシャに呼ばわって言った、「あなたのしもべであるわたしの夫が死にました。ごぞんじのように、あなたのしもべは主を恐れる者でありましたが、今、債主がきて、わたしのふたりの子供を取って奴隷にしようとしているのです」。U列王記4:1

 実は霊的な仕事に携わる人は非常に大きな富を持つチャンスがあり、その誘惑に耐えなければなりません。エリシャのゲハジがその実例です。ゲハジは先生のエリシャが何も贈り物を受け取らないで立ち去らせたシリアの将軍ナアマンの後を追い金品を受け取ったためにエリシャに怒られ、らい病になりました。(U列王記5章)
 さて、新約の時代にも預言者はいるのでしょうか。

すべての預言者と律法とが預言したのは、ヨハネの時までである。マタイ11:13

とあるのですが、これだと預言者はバプテスマのハネで終わったと思われがちです。しかし、新改訳聖書は次のように訳しています。恐らくこの方が原意に近いのでしょう。

ヨハネに至るまで、すべての預言者たちと律法とが預言をしたのです。

実際、新約の時代にも多くの預言者がいたことが書かれています。

そのころ、預言者たちがエルサレムからアンテオケにくだってきた。使徒行伝11:27

さて、アンテオケにある教会には、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、領主ヘロデの乳兄弟マナエン、およびサウロなどの預言者や教師がいた。13:1

ユダとシラスとは共に預言者であったので、多くの言葉をもって兄弟たちを励まし、また力づけた。15:32

幾日か滞在している間に、アガボという預言者がユダヤから下ってきた。21:10

預言者、第三に教師とし、次に力あるわざを行う者、次にいやしの賜物を持つ者、また補助者、管理者、種々の異言を語る者をおかれた。Tコリント12:28

そして彼は、ある人を使徒とし、ある人を預言者とし、ある人を伝道者とし、ある人を牧師、教師として、お立てになった。エペソ4:11

 しかし、同時に旧約の時代も新約の時代もにせ預言者、自称預言者が沢山いたのです。

愛する者たちよ。すべての霊を信じることはしないで、それらの霊が神から出たものであるかどうか、ためしなさい。多くのにせ預言者が世に出てきているからである。Tヨハネ4:1

 今も沢山います。全ての人に受けいれられるかっこいい伝道者たちが。

人が皆あなたがたをほめるときは、あなたがたはわざわいだ。彼らの祖先も、にせ預言者たちに対して同じことをしたのである。ルカ6:26

にせ預言者を警戒せよ。彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は強欲なおおかみである。マタイ7:15

 私は本当の預言者を見たい。来て欲しい。権力におもねず。神のみに従い。正義と真実を公然と語るエリヤやエレミヤやイザヤやバブテスマバプテスマのヨハネなどのような本物の預言者が、今、必要です。大きな教会を作ることが神の国の最大の仕事ですか? 大統領の祈祷会で説教することがそんなにすばらしいことですか。その結果、罪もない人々に爆弾を落として数百万人を殺してきたことを、とがめもしないでへらへらと笑っているのが現代の“預言者”(テレビ伝道者とか呼ばれている場合もありますが)ではないですか。
 私は10年前から6冊ほど本を書きました。それは現代社会と、聖書の預言を照らし合わせ、これからの世界を予測したものです。それはまた現代社会を操るサタンの壮大で巧妙なシステムを暴くことにもなりました。その本は間もなく日本の全ての新聞、雑誌に広告することが禁じられ、販売も制限されました。ところが驚いたことにそれから10年も経っているのに、最近、インターネットでこの中の一冊が7000円で売られていました。定価は1200円ほどのものです。それほど人々は正しい預言を求めているのです。
 しかし、私には預言の賜物も、使命も、召命も、資質も、品性もありません。私は預言者ではありません。神の霊によって預言しているわけではありません。聖書の研究と社会の現象とを見比べて得た知識だけです。だからこそ、今、本当の預言者を切実に求めるのです。神の人よ、現れよ!
 この期待には、実は答えがあるかもしれないのです。黙示録に、終わりの時代に、そのような預言者が現れるという予言があります。

「そしてわたしは、わたしのふたりの証人に、荒布を着て、千二百六十日のあいだ預言することを許そう」。彼らは、全地の主のみまえに立っている二本のオリブの木、また、二つの燭台である。もし彼らに害を加えようとする者があれば、彼らの口から火が出て、その敵を滅ぼすであろう。もし彼らに害を加えようとする者があれば、その者はこのように殺されねばならない。預言をしている期間、彼らは、天を閉じて雨を降らせないようにする力を持っている。さらにまた、水を血に変え、何度でも思うままに、あらゆる災害で地を打つ力を持っている。そして、彼らがそのあかしを終えると、底知れぬ所からのぼって来る獣が、彼らと戦って打ち勝ち、彼らを殺す。彼らの死体はソドムや、エジプトにたとえられている大いなる都の大通りにさらされる。彼らの主も、この都で十字架につけられたのである。いろいろな民族、部族、国語、国民に属する人々が、三日半の間、彼らの死体をながめるが、その死体を墓に納めることは許さない。地に住む人々は、彼らのことで喜び楽しみ、互に贈り物をしあう。このふたりの預言者は、地に住む者たちを悩ましたからである。三日半の後、命の息が、神から出て彼らの中にはいり、そして、彼らが立ち上がったので、それを見た人々は非常な恐怖に襲われた。その時、天から大きな声がして、「ここに上ってきなさい」と言うのを、彼らは聞いた。そして、彼らは雲に乗って天に上った。彼らの敵はそれを見た。この時、大地震が起って、都の十分の一は倒れ、その地震で七千人が死に、生き残った人々は驚き恐れて、天の神に栄光を帰した。黙示録11:1〜13

 ここに、終末の時代に二人の預言者がイスラエルに現れるという予言があります。これを文字通りに受け取るべきかどうかは議論のあるところかも知れません。しかし、もし、文字通りでなかったらそれこそ果てしない空想の混迷の中に入ってしまうでしょう。
 この二人は終末の混乱の中で大胆にキリストを証しし、本当の預言者とはどうあるべきかを示すでしょう。彼らは世界の人々を神の視点から糾弾し、悩ますので、死ぬと世界中が喜び、「互に贈り物をしあう」ほどです。
 この二人について旧約聖書の中にも預言があります。

わたしはまた彼に尋ねて、「燭台の左右にある、この二本のオリブの木はなんですか」と言い、重ねてまた「この二本の金の管によって、油をそれから注ぎ出すオリブの二枝はなんですか」と言うと、彼はわたしに答えて、「あなたはそれがなんであるか知らないのですか」と言ったので、「わが主よ、知りません」と言った。すると彼は言った、「これらはふたりの油そそがれた者で、全地の主のかたわらに立つ者です」。ゼカリヤ4:11〜14

 このことから、この二人はモーセとエリヤの霊を持った人々であると考えられます。モーセは死んだとき誰もその死体を見ておらず、エリヤは生きたまま火の戦車に乗って、天に登りました。そして二人はあの変貌山で弟子たちに現れ、“全地の主イエスの傍らに立った”人々です。この二人が、間もなくイスラエルに現れるのではないかと私は期待しています。恐らく、最初は、彼らは世界の人々の好奇の目に留まり、「預言をしている期間、彼らは、天を閉じて雨を降らせないようにする力を持っている。さらにまた、水を血に変え、何度でも思うままに、あらゆる災害で地を打つ力を持っている。」ので大ニュースになるでしょうが、やがて、世界の人々が正しい神のメッセージに耐えられなくなって憎まれることになるでしょう。
 そして彼らはこの世の君、反キリストよって殺されますが、彼らの主ですら十字架に掛かったエルサレムでさらしものになるでしょう。しかし、主と同じように三日目によみがえり、天に登るでしょう。この二人が現れて、本当の神の預言者、伝道者の姿を見せてくれる日を、私は切望しています。