ホームページ・メッセージ060903 小 石 泉
親と子の間
毎日のように子供による親殺しのニュースが流れます。大半は親の子供に対する過剰な期待から来る圧迫のようですが、すべてがそう簡単な事でもないでしょう。
私が牧師をしていて感じることは日本人の子供に対する接し方が間違っているということです。大まかに言って二つあります。
1. 子供は親とは全く違った新しい人格であることを理解していない。
2. 子供が“生きがい”というのは間違いだということが分かっていない。
多くの場合、子供を自分の理想とする人間に育てようと努力しますが、中学生ぐらいになったら子供は全く自分とは別の人間であって、どう生きるかを決めるのは本人の責任だということが理解できないのです。親という一つのボールと同じ大きさの、子供という別の大きさのボールがあると考えてください。親がそのボールの何パーセントかを自分色に染めようするなら、子供は怒ります。このボールは自分が全部、自分の色に染めるんだ!子供にはその権利があります。子供の人生は子供のものなのです。この当たり前のことが案外、理解できないで、それが愛情だと思っている親が沢山います。
ただ親が医者だったりするとどうしても生きるのに有利な条件の医者に育てたいと願うのは無理からぬことです。また歌舞伎役者の子供が歌舞伎役者になるのは最適でしょう。いやいやながら親に強制されて習わされたピアノやバイオリンがその後の人生に大きな意味を持ったという例もあるでしょう。しかし、常に親は子供の人権を尊重するという基本姿勢を自分自身に言い聞かせていなければなりません。
また“子供が生きがい”ということが間違いだというのは意外だと思われるかもしれません。「あの子は私の全てです」なんてお母さんも居らっしゃるかもしれません。ところが本当は親が生きがいを持って生きている姿を子供は見たいのです。それが全て自分に向けられているとしたら息苦しくならないでしょうか。昔から「子供は親の背中を見て育つ」といいます。私はかつて問題のある高校生の親と話したことがあります。その親は正に生きることの全てが子供でした。私は「ちょっと、お二人で海外旅行でも行かれたらどうですか。少し彼のことは放っておきましょう」と言ったのですが、分かってもらえませんでした。結局、親自身が生きることの意味を把握していないから問題が起こるのです。親がはっきりと人生の目標を持って生きていれば、子供は少々の困難は忍耐するものです。
聖書から親の在り方を学びましょう。
また言われた、「ある人に、ふたりのむすこがあった。ところが、弟が父親に言った、『父よ、あなたの財産のうちでわたしがいただく分をください』。そこで、父はその身代をふたりに分けてやった。それから幾日もたたないうちに、弟は自分のものを全部とりまとめて遠い所へ行き、そこで放蕩に身を持ちくずして財産を使い果した。何もかも浪費してしまったのち、その地方にひどいききんがあったので、彼は食べることにも窮しはじめた。そこで、その地方のある住民のところに行って身を寄せたところが、その人は彼を畑にやって豚を飼わせた。彼は、豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいと思うほどであったが、何もくれる人はなかった。そこで彼は本心に立ちかえって言った、『父のところには食物のあり余っている雇人が大ぜいいるのに、わたしはここで飢えて死のうとしている。立って、父のところへ帰って、こう言おう、父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。もう、あなたのむすこと呼ばれる資格はありません。どうぞ、雇人のひとり同様にしてください』。そこで立って、父のところへ出かけた。まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ、哀れに思って走り寄り、その首をだいて接吻した。むすこは父に言った、『父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。もうあなたのむすこと呼ばれる資格はありません』。しかし父は僕たちに言いつけた、『さあ、早く、最上の着物を出してきてこの子に着せ、指輪を手にはめ、はきものを足にはかせなさい。また、肥えた子牛を引いてきてほふりなさい。食べて楽しもうではないか。このむすこが死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから』。それから祝宴がはじまった。ルカ15:11〜24
これは放蕩息子として有名な物語です。父を神、放蕩息子を人間として、神の愛を伝える美しい物語です。普通は息子の方に力点が置かれますが、今回は父親の方を考えて見ましょう。この父親は息子が未熟でお金の使い道を知らないことを知っていました。しかし、それを言っても今は無駄だと悟っていました。高い授業料ですが息子が自分でそれを知るまでやむをえないと思っていました。息子の人権を認めたのです。息子が遠いところに行くのを許しました。これは親として耐え難い決断だったことでしょう。
そして、その後、息子がどういう生活をしたか、恐らく風のうわさで知っていたことでしょう。もしや金を使い果たして窮乏していないだろうか。病に倒れていないだろうか。しかし、父は誰かを遣わしたり、自分が行って助けようとはしませんでした。彼が帰って来るまで待ち続けたのです。もし、そんなことをしたらまた元の木阿弥になることを知っていました。父親の帰ってきたときの喜びようは、その心配の大きさを表しています。
外面的には、息子は今やみすぼらしい敗残者です。しかし、彼の内面は生きることを学んだ有益な人間となっていました。「このむすこが死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから」。
このような決断と忍耐を親は覚悟しなければならないのに、先々まで心配して、不足のないように、良い大学を出て、良い就職をして、医者になって、官僚になって、成功するように手を尽すのですが、それはむしろ逆に子供の自立性を奪い、何も出来ない、親に恨みを持つだけの人間になることを助けているようなものです。私は自分の子が学校の成績が良かろうと悪かろうと全く気にしませんでした。また、「勉強しろ」と言ったことも一度もないはずです。自分が勉強嫌いだったのに子供に要求なんて出来ませんから。人間の価値は学校の成績に関係ないと思っていました。多くの社長や経営者が小学校しか出ていないということもあります。大切なのは何事にも意欲的なことです。
さらに、クリスチャンの子育てに一言申します。私は二代目のクリスチャンです。私の父は私に「クリスチャンになれ」とは一度も言ったことがありません。ただ両親の生き様を見ているとそれが本当の生き方だと幼いときから思っていました。神と共に生きることが人間本来の生き方で、他にはないと無言の証言で学びました。決して立派でも豊かでもありませんでしたが、神の存在を絶対的な事実と学ばされました。
子供をクリスチャンにしたかったら、家庭礼拝をやらないことです。というと何を不謹慎なと言われるかも知れませんが、本当のことです。時々、熱心なクリスチャンや牧師の子供たちがぐれたり不信仰になったりすることがあります。神をののしり続けて、発狂して死んだニーチェも牧師の子でしたし、日本でも有名なポルノ作家は牧師の子でした。彼の最後の作品は「死にたくない」でした。
クリスチャンの家庭ではほとんど毎日、信仰の言葉や雰囲気の絶えることはないでしょう。子供たちは信仰の飽和状態にいます。ところがそれに加えて家庭の中で毎日礼拝が持たれたら、いつか飽和状態から破裂してしまいます。彼らはまだこれから、この世のことや、友人や他人との接し方を学ばなければなりません。
ある牧師さんの娘さんが、父の日に甚平を買ってきたそうです。そのお父さんは真面目な牧師だったので、家庭でも背広を着てネクタイを締めていたそうです。そして甚平などは着れないと娘さんに言ったそうです。すると娘さんは目に涙を浮かべて「お父さん着てください」と言ったそうです。お父さんが仕方なく甚平を着ると、その娘さんは「ああ、初めて家にお父さんがいる」と言ったそうです。
教会でも小さな子を無理やり礼拝に出している両親がいますが、子供たちを押さえつけることが出来る間は礼拝の席にいるでしょうが、大きくなったら礼拝どころか、教会にも寄り付かなくなるでしょう。子供たちはまだ知らなければならないことややらなければならないことが山のようにあるのです。好奇心や活動力が溢れているのです。そして黙っていても、強制しなくても、ちゃんと見ています。むしろ両親の信仰の後姿こそが彼らを信仰に導くのです。ただ、私の家の場合は、教団で開かれる春と夏の学生キャンプが大きな助けになりました。キャンプから帰ってきた子供たちは私たちより霊的でした。
子育ては難しい仕事かもしれませんが、また、楽しいものでもあります。大切なことはよく言われるように、親が子供と向き合うのではなく、自分自身に確固とした人生の確信を得ていることです。自分が確信のないことを子供にどう説明するのですか?
「私は、神と共に生き、神の国に帰るのだ」という確信、それだけですよ。