ホームページ・メッセージ060730            小 石  泉

約束の地(エレーツ・イスラエル)


 イスラエルがレバノンを攻撃して、世界中の非難を浴びています。一方、アメリカを中心とするファンダメンタル・クリスチャンは、イスラエルのやることは全て神の計画に沿っているので正しいと主張します。それはキリスト教への非難攻撃となりつつあります。
 1948年、国連によってイスラエル国家がパレスチナに建設されました。ユダヤ人の悲願だった約束の地カナンに彼らは再び帰ってきたのです。しかし、すぐにアラブ世界との戦争が始まりました。まだほとんど国家の体制も整わず、正式な訓練を受けた軍隊もないイスラエルに、第二次世界大戦の余韻の覚めやらぬ周辺のアラブ国家群は豊富な武器弾薬とともにイスラエルになだれ込みました。世界の誰もがイスラエルの生存を信じませんでした。しかし、彼らは生き延びたのです。このあたりの一部始終は日本でも『エクソダス』という名で出版された本に生き生きと書かれています。当時、イスラエルの存在を快く思わずユダヤ人の入国を拒んでいたイギリスが、イスラエルの決死の作戦「エクソダス号」によってしぶしぶ入国を認めるようになった経過を若いころ読んで興奮したことを思い出します。キプロス島のキレニア港に停泊していたその船にはドイツの収容所から逃れた数百名の少年少女が乗り込み、ユダヤ人の入国を認めよ、もし一人でもイギリス軍が乗船すれば船底にある爆弾を爆発させて全員が死ぬと彼らは伝えました。中々返事をしないイギリス政府に対して、最初、少年少女はハンガーストライキ(断食)をしました。それでも返事しないのを見て、彼らは「明日から少年少女が一人づつ自殺する」と全世界に打電しました。その電報の最後には「Let My People Go」“わたしの民を行かせよ”と書かれていました。ついにイギリス政府は折れて、ユダヤ人のパレスチナ入国を承認したのです。 このようにイスラエル建国は決して豊かな資金によって簡単に出来たわけではありません。数多くの血が流される苦難の道でした。その後、何度も戦いがあるたびにイスラエルは強くなり今では全てのアラブ国家が集まっても対抗できないほどの軍事力を身に着けました。 では、なぜユダヤ人はパレスチナの地を自分たちの土地だと主張するのでしょうか。

その日、主はアブラムと契約を結んで言われた、「わたしはこの地をあなたの子孫に与える。エジプトの川から、かの大川ユフラテまで。すなわちケニびと、ケニジびと、カドモニびと、ヘテびと、ペリジびと、レパイムびと、アモリびと、カナンびと、ギルガシびと、エブスびとの地を与える」。創世記15:18〜21

全てはこの一言によるのです。5000年も前に、神からのアブラハムと言う個人にされた約束です。ユダヤ人は自分たちがアブラハムの正式な子孫だと主張します。アブラハムにはエジプト人の奴隷との間にイシマエルという子供がいましたが、これは嫡子にはなりませんでした。その後、イサクが生まれ、その子にエソウとヤコブと言う双子の兄弟が生まれましたが、長男のエソウではなくヤコブが跡継ぎとなりました。このヤコブが神様からもらった名がイスラエルです。そのヤコブに12人の子があり、その内のユダとベニヤミンが現在のユダヤ人の祖先と言われています。その他の10人の兄弟の子孫は失われた10部族という伝説がありますが、実際にはすでにイスラエルに大部分が戻っているようです。
 さて上の御言葉の「エジプトの川」というのは、良く誤解されるのですがナイル川ではありません。シナイ半島の地中海よりにある小さなワジ(枯れ川)のことです。1956年に起きたスエズ戦争の後でスエズ運河まで占領したイスラエルが、その後素直にシナイ半島をエジプトに返し、この「エジプトの川」まで撤退したのも先ほどの御言葉にしたがっているからです! この川から「大川ユフラテ」とあるのは言うまでもなくイラクにあるユーフラテス川です。なんとイスラエルで現在流通している日本の10円に当たるシケル硬貨には、このエジプトの川からユーフラテス川までの土地の外郭が刻印されています! いつかこの地を自分たちは占領すると言う意思表示です! 
 さて、細かい歴史を省略しますが、イスラエルは神様にいつも背きとおして、紀元70年ローマ軍によって滅ぼされパレスチナの地から追われました。それからユダヤ人の苦難の歴史が始まります。特にヨーロッパに行ったユダヤ人は迫害から迫害の歴史をたどりました。その悲惨な歴史の中から、彼らは自衛の知恵を編み出しました。
 中世、キリスト教への強制的な改宗を迫られた涙の手紙に対して、大祭司バヌヌと言う人が書いた手紙が残っています。(パレスチナを追われてからも祭司制とサンヒドリン議会は続いています)。
     兄弟たちよ、あなた方が苦難の中にあることは分かった、
     やむをえない、キリスト教に改宗しなさい。そして、
     弁護士になり異邦人の家庭を破壊しなさい
     医者になり異邦人を弱体化しなさい  
     金貸しとなって異邦人の富を奪いなさい
 歴史はそのようになったことを示しています。しかし、これはユダヤ人にとって戦いだったのです。血と涙の中から生まれてきた自衛策でした。「600万人のホロコースト」は嘘ですが、ヒトラーだけがユダヤ人を殺したのではありません。民族絶滅を意味するポグロムという言葉がロシア語であることから分かるように、ロシア、東欧での迫害はもっとひどいものでした。
 ところで、今は、イスラエルはキリスト教を認めません。キリスト教の伝道をすることは禁じられています。しかし、聖書は最終的にはユダヤ人がみんな救われると言っています。どうしても長い引用になりますが重要なことなので読んでください。

そこで、わたしは問う、「神はその民を捨てたのであろうか」。断じてそうではない。わたしもイスラエル人であり、アブラハムの子孫、ベニヤミン族の者である。神は、あらかじめ知っておられたその民を、捨てることはされなかった。ローマ11:1〜2

そこで、わたしは問う、「彼らがつまずいたのは、倒れるためであったのか」。断じてそうではない。かえって、彼らの罪過によって、救が異邦人に及び、それによってイスラエルを奮起させるためである。しかし、もし、彼らの罪過が世の富となり、彼らの失敗が異邦人の富となったとすれば、まして彼らが全部救われたなら、どんなにかすばらしいことであろう。そこでわたしは、あなたがた異邦人に言う。わたし自身は異邦人の使徒なのであるから、わたしの務を光栄とし、どうにかしてわたしの骨肉を奮起させ、彼らの幾人かを救おうと願っている。もし彼らの捨てられたことが世の和解となったとすれば、彼らの受けいれられることは、死人の中から生き返ることではないか。もし、麦粉の初穂がきよければ、そのかたまりもきよい。もし根がきよければ、その枝もきよい。しかし、もしある枝が切り去られて、野生のオリブであるあなたがそれにつがれ、オリブの根の豊かな養分にあずかっているとすれば、あなたはその枝に対して誇ってはならない。たとえ誇るとしても、あなたが根をささえているのではなく、根があなたをささえているのである。すると、あなたは、「枝が切り去られたのは、わたしがつがれるためであった」と言うであろう。まさに、そのとおりである。彼らは不信仰のゆえに切り去られ、あなたは信仰のゆえに立っているのである。高ぶった思いをいだかないで、むしろ恐れなさい。もし神が元木の枝を惜しまなかったとすれば、あなたを惜しむようなことはないであろう。神の慈愛と峻厳とを見よ。神の峻厳は倒れた者たちに向けられ、神の慈愛は、もしあなたがその慈愛にとどまっているなら、あなたに向けられる。そうでないと、あなたも切り取られるであろう。しかし彼らも、不信仰を続けなければ、つがれるであろう。神には彼らを再びつぐ力がある。なぜなら、もしあなたが自然のままの野生のオリブから切り取られ、自然の性質に反して良いオリブにつがれたとすれば、まして、これら自然のままの良い枝は、もっとたやすく、元のオリブにつがれないであろうか。兄弟たちよ。あなたがたが知者だと自負することのないために、この奥義を知らないでいてもらいたくない。一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人が全部救われるに至る時までのことであって、こうして、イスラエル人は、すべて救われるであろう。すなわち、次のように書いてある、「救う者がシオンからきて、ヤコブから不信心を追い払うであろう。そして、これが、彼らの罪を除き去る時に、彼らに対して立てるわたしの契約である」。福音について言えば、彼らは、あなたがたのゆえに、神の敵とされているが、選びについて言えば、父祖たちのゆえに、神に愛せられる者である。神の賜物と召しとは、変えられることがない。11:11〜29

「こうして、イスラエル人は、すべて救われるであろう。」パウロはこう断言しています。これはもちろん、ユダヤ人がイエス・キリストを彼らの待ち望んでいたメシヤだったと信じることを意味しています。しかし、それまでには、まだ多くの事件が起こるでしょう。
 イスラエルにとって、レバノン、シリア、イラク、クェート、ヨルダン、サウジアラビアの一部、イラクは“約束の地”です。これらの地をイスラエルが獲得するとしたら、その地に住んでいる人々はどうなるのでしょうか。想像を絶することが起こるのでしょう。 
 近い将来、ゴグと呼ばれる国が一時中東を制圧します。それは恐らくロシアのことです。しかし、エゼキエル書によれば、この時、ロシア連合軍は同士討ちで滅亡します。


わたしはゴグと、海沿いの国々に安らかに住む者に対して火を送り、彼らにわたしが主であることを悟らせる。わたしはわが聖なる名を、わが民イスラエルのうちに知らせ、重ねてわが聖なる名を汚させない。諸国民はわたしが主、イスラエルの聖者であることを悟る。主なる神は言われる、見よ、これは来る、必ず成就する。これはわたしが言った日である。イスラエルの町々に住む者は出て来て、武器すなわち大盾、小盾、弓、矢、手やり、およびやりなどを燃やし、焼き、七年の間これを火に燃やす。彼らは野から木を取らず、森から木を切らず、武器で火を燃やし、自分をかすめた者をかすめ、自分の物を奪った者を奪うと、主なる神は言われる。
エゼキエル39:6〜10

 イスラエルは危機を脱し、この時に、はからずも“約束の地”を実現するでしょう。しかし、ユダヤ人が国民的な悔い改めをして、イエスをメシヤと認めるのはもっと後になるでしょう。それは恐らくハルマゲドンと言われる戦争の時でしょう。

わたしはダビデの家およびエルサレムの住民に、恵みと祈の霊とを注ぐ。彼らはその刺した者を見る時、ひとり子のために嘆くように彼のために嘆き、ういごのために悲しむように、彼のためにいたく悲しむ。ゼカリヤ12:10

 “約束の地”を獲得するのに、今のような軍事力で他国を侵略する方法を神様は定めているでしょうか。私には疑問です。もっと自然で、誰もが納得のいく方法が取られるのではないでしょうか。これからの時代がそれを証明するでしょう。