ホームページ・メッセージ060709 小 石 泉
日本人の罪
あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。
あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。出エジプト記20:3〜6
これはいわゆるモーセの十戒と言われているものの第一と第二の戒めです。「あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。」改めて読んでみると実に明快です。これをユダヤ人だけに与えられた戒めと捉えることも出来ますが、人間全てに与えられた戒めと捉えるべきでます。全地を創造した神が存在するなら、それは当然のことです。
特に日本人はこの戒めに完全に違反しています。しかし、人は言うでしょう「どうして私がそんな知らない神を神としなければならないのですか? 外国の神を崇めなければならないのですか?」 外国の神。その言葉がすでに神を知らないことを証明しています。神たるものは地域や建物の中に限定されるはずはないのです。天地万物を創造された神は一箇所に留まっていたり、人間の作った建物に住むほど小さなものではないのです。物質に依存しなければならない神は、物質が消滅するとき消滅しませんか? もっとも日本人の場合、神という言葉そのものが不確かなので議論してもすれ違うだけなのですが。
私は靖国神社に行ったときに、祭られているのが戦争の犠牲者だと言う事を聞いてびっくりしたことがあります。私の中では何か主神がいて、そこに戦没者がゆだねられていると思ったのです。ところが死者が神として祭られていると聞いて理解できませんでした。生きているときでさえ人を救うことが出来ない人間が、死んだら急に人を救うことが出来るようになるのですか。
神様は神を神として敬わない人や国をそのままで放置はしないと言っておられます。刻んだ像を作ってそれを拝みひれ伏すことは、神が最も憎むことです。私はそんな神は知らない、関係ないといっても、神はそうは思いません。
神の怒りは、不義をもって真理をはばもうとする人間のあらゆる不信心と不義とに対して、天から啓示される。なぜなら、神について知りうる事がらは、彼らには明らかであり、神がそれを彼らに明らかにされたのである。神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。したがって、彼らには弁解の余地がない。なぜなら、彼らは神を知っていながら、神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからである。彼らは自ら知者と称しながら、愚かになり、不朽の神の栄光を変えて、朽ちる人間や鳥や獣や這うものの像に似せたのである。ゆえに、神は、彼らが心の欲情にかられ、自分のからだを互にはずかしめて、汚すままに任せられた。彼らは神の真理を変えて虚偽とし、創造者の代りに被造物を拝み、これに仕えたのである。創造者こそ永遠にほむべきものである、アァメン。ローマ書1:18〜25
これは新約聖書のモーセとも言うべきパウロの言葉です。ここでパウロは人は神を知っているはずだと言っています。知っていながら神としてあがめず感謝もしていないと言っています。これは日本人にはストレートに納得できないかもしれません。パスカルは著書のパンセの中で「自然は神を認めるためには不十分な証拠と、否定するにはあまりにも十分な証拠を与える」と言っています。しかし、もし人が本当に謙虚になって自然と向き合うなら、何か知性と意志のある存在を認めないわけにはいかないでしょう。
さて、私がこのようなことを改めて言うのは、今、非常な危機感を感じているからです。今回、私のホームページの“荒野の声”というコラム欄に講談社から出ている、平松茂雄という人の書いた「中国は日本を併合する」という本のことを書きました。内容についてはここに述べることは出来ませんが―あまりに詳細で深いので―実は、私もかなり前から心配していたことなのです。この本によれば、中国は台湾、日本を併合することが出来ることを目指して軍事力を蓄えているということです。
今、日本は繁栄の中にあります。世界に行くと日本の優秀な工業製品が溢れています。一見、日本は豊かです。しかし、国債という借金を重ね、だらしなく浪費して、国家財政は破綻に瀕しています。また、国家の防衛という、国を形成するための最も重要な部分は完全にアメリカに依存しています。一方、中国は極貧の中から核武装をし、強大な軍事力を蓄えて来ました。日本はまるで巨大な虎の前に寝そべる良く肥えた豚のようです。これは比喩や冗談ではなく、現実なのです。一旦、中国が覇権の意志を実行し始めたら、アメリカは助けてくれるでしょうか。中国はそのアメリカの脅威を計算済みで台湾、日本を狙っているのです。かつてアメリカの大統領補佐官だったブレジンスキー氏は「ひよわな花日本」という著書を書きました。みんな知っているのです。私にも日本の滅亡が見えます。
日本は外国による本当の意味での占領を経験したことのない国です。アメリカによって占領されたことはありますが、アメリカは日本の富を収奪することはしませんでした。歴史的にこんなに寛大な占領はなかったといえるでしょう。ほとんどの場合、大きな収奪や殺戮が行われるものです。中国が日本を占領したら、日本という国の基礎部分まで残らず奪われ、膨大な人口が殺戮されるのではないかと私は恐れています。
刻んだ偶像に頼み、鋳た偶像にむかって「あなたがたは、われわれの神である」と言う者は退けられて、大いに恥をかく。イザヤ書42:7
あなたが呼ばわる時、あなたが集めておいた偶像にあなたを救わせよ。風は彼らを運び去り、息は彼らを取り去る。しかしわたしに寄り頼む者は地を継ぎ、わが聖なる山をまもる。57:13
日本人が愛してやまなかった八百万(やおよろず)の神々は日本を救うことが出来るでしょうか。私は六冊ほど本を書いて、有る種の人々と接触することが多くなりました。そこで驚いたのはいまだに「日本は神国である」とか「日本は世界の霊的な中心である」とか「天皇は世界の王である」などという人々がいるということでした。
アメリカによる日本の占領で一つ、全く歴史的にはありえなかったことは、日本の宗教の温存でした。その当時は、アメリカはプロテスタントの国でしたから(今は、特にその指導者はサタン礼拝者ばかりです)他人の宗教を力ずくで変えようとはしなかったのです。もし、あの時、ソビエトが日本を占領していたら、今日の経済的な繁栄もなく、神社仏閣、教会などはことごとく消滅していたでしょう。それと同じことが中国の占領によって起こるでしょう。ただし、キリスト教は建物に依存する宗教ではないので、例えば、今、中国にある“地下教会”として生き残るでしょう。中国では非公認教会が盛んで1億人近いクリスチャンがいます。こういう危機のときに「あなたが集めておいた偶像にあなたを救わせよ」と神は言っています。
日本はすでに神の忍耐の限界を超えていると思います。「彼らは神を知っていながら、神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからである」。神を神として崇めることも、感謝することもない日本はその報いを受けることでしょう。
毎日のように起こる凶悪な犯罪。平然と人を殺す人々。日本は世界にもまれに見る恐ろしい国になりました。これらは正に「その思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなった」結果です。多分、もう手遅れです。本当に心から悔い改め、本当の神の前にひざを屈して謝罪しなければ「刻んだ偶像に頼み、鋳た偶像に向かって『あなた方は、われわれの神である』と言う者は退けられて、大いに恥をかく。」ことになるでしょう。
今、日本のキリスト教会ではリバイバル、リバイバルと馬鹿の一つ覚えのように、叫ばれていますが、本当のリバイバルは心からの悔い改めから起こるのです。それには残念ながら、痛切な体験がなければなりません。偶像の充満していた中国で1億人に迫るクリスチャンが生まれているのも、ヨーロッパ列強の植民地支配、第二次世界大戦、共産党と国民党の戦い、3000万人が死んだという文化大革命などがあったからです。韓国が30%というクリスチャン人口を誇っているのも、日本による占領統治、朝鮮戦争などを通して偶像が頼りにならないことを骨身にしみて悟ったからです。
日本人は礼儀正しく、謙虚で、思いやりのある国民でした。それはフランシスコ・ザビエルや宣教師によって欧米に報告されています。しかし、戦後の繁栄のうちに、いつの間にか高慢になりました。進化論、唯物論による教育の結果、子供たちは空しい心を抱いています。神を神として敬わない国は滅びます。せめてあなただけは悔い改めてください。国は間に合わなくても、個人はまだ間に合いますから。
わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。出エジプト20:6