メッセージ060702                    小 石  泉

信じた通りに


すると群衆のひとりが、イエスに答えて言った。「先生。おしの霊につかれた私の息子を、先生のところに連れてまいりました。その霊が息子に取りつきますと、所かまわず彼を押し倒します。そして彼はあわを吹き、歯ぎしりして、からだをこわばらせてしまいます。それでお弟子たちに、霊を追い出してくださるようにお願いしたのですが、お弟子たちにはできませんでした。」イエスは答えて言われた。「ああ、不信仰な世だ。いつまであなたがたといっしょにいなければならないのでしょう。いつまであなたがたにがまんしていなければならないのでしょう。その子をわたしのところに連れて来なさい。」そこで、人々はイエスのところにその子を連れて来た。その子がイエスを見ると、霊はすぐに彼をひきつけさせたので、彼は地面に倒れ、あわを吹きながら、ころげ回った。イエスはその子の父親に尋ねられた。「この子がこんなになってから、どのくらいになりますか。」父親は言った。「幼い時からです。この霊は、彼を滅ぼそうとして、何度も火の中や水の中に投げ込みました。ただ、もし、おできになるものなら、私たちをあわれんで、お助けください。」するとイエスは言われた。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」するとすぐに、その子の父は叫んで言った。「信じます。不信仰な私をお助けください。」マルコ9:17〜24

 「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」イエス様のお言葉は圧倒的に積極的です。信じるなら、どんなことでも出来る。何と驚くべき言葉でしょうか。神を信じるものには無限の可能性が約束されているのです。
 私たちはどちらかといえば消極的、否定的に考える習慣が付いています。何か始めようとするとき、「ああ、駄目です、それは出来ません、誰もやったことがありません。」「失敗したらどうしますか?」という言葉が聞こえてきます。しかし、世界の歴史で偉大な人物大きな発明、発見をした人々は誰もやっていないところから始めたのです。アメリカを発見したコロンブス、ペニシリンを発見したフレミング、飛行機を作ったライト兄弟、みんな誰も考えたことのないことを始めたのです。
 イエス様は「信じる」ということの偉大な力を知っておられました。

まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。マルコ11:23

 何とまあ途方もない約束でしょうか。世界の誰がこのような積極的な言葉を残したでしょうか。しかし、私たちは信じて行動した結果偉大なことを成し遂げた多くの人々を知っています。信仰の持っている強烈な力をイエス様は知っておられたのです。
 たしかに社会的に見ていても、いわゆる起業家といわれる人々は積極的な考え方をします。否定的な人は何もできません。一般的に、親は子供に積極的な生き方を教えるより、世間一般からあまり違わない平凡な生き方を求めます。そしてせっかくの子供の可能性を摘んでしまいます。夢やヴィジョンのある子供は大いに期待されるべきです。特にクリスチャンの親は子供に大きな夢を持たせるべきです。

私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。ピリピ4:13

 キリストの弟子たちはこのような信仰によって、ローマ帝国を征服しました。

まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行なうわざを行ない、またそれよりもさらに大きなわざを行ないます。わたしが父のもとに行くからです。またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。ヨハネ14:12〜14

 イエス様はその名によって願うなら何でもかなえてあげると言われました。

だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。マルコ11:24

 これも驚くべき言葉です。求めたら受けたと信じるのです。

そこで、イエスは彼らの目にさわって、「あなたがたの信仰のとおりになれ。」と言われた。マタイ9:29

 信仰の通りになれ。痛烈な言葉ですね。信じただけ与えられるのです。

求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。マタイ7:7

 求めないから与えられない、探さないから見つからない、叩かないから開かれない。だから求めなさい。探しなさい。叩きなさい。
 注意して読むと聖書にはこのような積極的、開放的な言葉が満ちています。そして、さらにそれを実現するための方法があります。

なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。ローマ10:9〜10

 信じたことを口で告白する。それが信仰を実現する秘訣です。こんな話を聞いたことがあります。昔、あるラーメン屋さんがいつも大きな夢を語っていたそうです。その店の従業員は「うちの親方はでかいことばっかり言っている。馬鹿らしくて付き合っていられない。」と辞めてしまったそうです。すると間もなくその人がインスタントラーメンを開発したのです。そしてそれは今、巨大な会社になりました。辞めた従業員は「ああ、あの時辞めなければ、今頃、あの会社の重役だったのに。」と悔しがったそうです。

イエスが立って彼について行かれると、弟子たちもついて行った。すると、見よ。十二年の間長血をわずらっている女が、イエスのうしろに来て、その着物のふさにさわった。「お着物にさわることでもできれば、きっと直る。」と心のうちで考えていたからである。イエスは、振り向いて彼女を見て言われた。「娘よ。しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを直したのです。」すると、女はその時から全く直った。マタイ9:19〜22

 この箇所も告白することに重要性を語っています。この女は「きっと直る」と「心のうちで考えていた」と訳されていますが、原語では「言っていた」という意味だそうです。心からあふれる思いが言葉となっていたのでしょう。
 信じましょう。告白しましょう。どんなことでも。

まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。マタイ18:19

 一人でもいいですが、もう一人の人と、そしてさらに多くの人々と「心を一つにして祈るなら」天の父はかなえてくださるでしょう。