ホームページ・メッセージ060618            小 石  泉

天 使


 今日は天使について考えましょう。実は私が天使のお話をするのは、多分、初めてです。また、ほとんど教会では語られないのではないでしょうか。それは、天使はキリストの福音とは直接関係ありませんから、興味本位や好奇心の対象になりかねないからでしょう。しかし、聖書の世界を知る上で天使を調べてみるのも興味深いことです。
 私は長年、漠然とですが、聖書は天使についてはほとんど語っていないと思っていました。ところが実際に調べてみると、天使、御使い、神の子、主の使い、などを含めると、なんと聖書全体で約400以上の記述があるのです。その一つ一つが実に興味深いので驚きました。その全てを見ることはできませんから、その中から、人間と神との関係に関わる天使の働きを、ほんのちょっとですが調べてみましょう。
 天使は聖書の中でも特別にミステリアスな存在です。まず、その創造については聖書は完全に沈黙しています。天地創造の前であることは分かるのですが、それがいつであるのか、どれぐらい居るのか、死なないのかなど疑問はいくつもあります。それらのほとんどは天国に行かなければ分からことでしょう。神様は、天使については、あまり人間に知らせなくても良いと考えられたのでしょう。
「天使について考えるとき、どうしても避けて通れないのは堕落天使、すなわちサタンと悪霊についてです。これは楽しい話ではありませんが、触れなければなりません」
「天使について考えるとき、どうしても避けて通れないのは堕落天使、すなわちサタンと悪霊についてですが、今回は触れません。」

「無知の言葉をもって、神の計りごとを暗くするこの者はだれか。あなたは腰に帯して、男らしくせよ。わたしはあなたに尋ねる、わたしに答えよ。わたしが地の基をすえた時、どこにいたか。もしあなたが知っているなら言え。あなたがもし知っているなら、だれがその度量を定めたか。だれが測りなわを地の上に張ったか。その土台は何の上に置かれたか。その隅の石はだれがすえたか。かの時には明けの星は相共に歌い、神の子たちはみな喜び呼ばわった。ヨブ記38:2〜7

 天使たちは神の創造の御業を驚きと感嘆を持って見ていたのです。恐らく、彼らは実際的な建設の仕事をしたのでしょう。
 天使たちは神の会議に出席します。

あなたは神の会議にあずかったのか。あなたは知恵を独占しているのか。ヨブ15:8

 不思議なことに、この会議にはサタンも出席することがあるようなのです。

ある日、神の子たちが来て、主の前に立った。サタンも来てその中にいた。1:6

 これは非常に難しい問題で、天国に行って神様に聞くまで真相は分からないでしょう。天使の第一の働きは神さまに対するものであることは言うまでもありません。

ウジヤ王の死んだ年、わたしは主が高くあげられたみくらに座し、その衣のすそが神殿に満ちているのを見た。その上にセラピムが立ち、おのおの六つの翼をもっていた。その二つをもって顔をおおい、二つをもって足をおおい、二つをもって飛びかけり、互に呼びかわして言った。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主、その栄光は全地に満つ」。イザヤ6:1〜3

 このセラピムを天使と呼ぶのが適切かどうか分かりませんが、ケルビムと共に、神の最も御そば近く仕える存在です。次の御言葉はケルビムに関するものです。

そのおのおのには四つの顔があった。第一の顔はケルブの顔、第二の顔は人の顔、第三はししの顔、第四はわしの顔であった。その時ケルビムはのぼった。これがケバル川でわたしが見た生きものである。ケルビムの行く時、輪もそのかたわらに行き、ケルビムが翼をあげて地から飛びあがる時は、輪もそのかたわらを離れない。その立ちどまる時は、輪も立ちどまり、そののぼる時は、輪も共にのぼる。生きものの霊がその中にあるからである。時に主の栄光が宮の敷居から出て行って、ケルビムの上に立った。エゼキエル10:14〜18

 セラピムもケルビムも、恐らく実際に見たら卒倒してしまうほど荘厳で崇高で偉大な天使でしょう。私はいつも思うのですが、人間は神様を侮っていますが、その御そばで仕える天使ですら私たちの想像をはるかに越える荘厳、崇高、厳格な存在でしょう。その前に立ったら、地上の神に関する侮りなど全くたわごとに思えることでしょう。
 この他に、ガブリエル、ミカエルなどの天使長がいます。その他に万軍といわれる数の天使たちがいるのです。ちなみに万軍という日本語の翻訳は不思議な訳ですね。英語ではHostです。陸海空軍を三軍というところから付けたのでしょうか。

 さて、彼らは時々、地上にやってきます。その時は、人間の姿を取ります。

主はマムレのテレビンの木のかたわらでアブラハムに現れられた。それは昼の暑いころで、彼は天幕の入口にすわっていたが、目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていた。彼はこれを見て、天幕の入口から走って行って彼らを迎え、地に身をかがめて、言った、「わが主よ、もしわたしがあなたの前に恵みを得ているなら、どうぞしもべを通り過ごさないでください。創世記18:1〜3

 この三人の内一人はまだ地上に現れる前の神の御子ですが、二人は天使です。アブラハムと語った「主」が天に帰られた後に、二人の天使はソドムとゴモラを滅ぼします。

そのふたりの御使いは夕暮れにソドムに着いた。ロトはソドムの門のところにすわっていた。ロトは彼らを見るなり、立ち上がって彼らを迎え、顔を地につけて伏し拝んだ。19:1

 二人の御使いは硫黄と火で二つの町を滅ぼす力を持っていました。総じて天使は強大な力を持っているようです。一人の天使でも町を滅ぼすことが出来ます。

御使いが、エルサレムに手を伸べて、これを滅ぼそうとしたとき、主はわざわいを下すことを思い直し、民を滅ぼしている御使いに仰せられた。「もう十分だ。あなたの手を引け。」主の使いは、エブス人アラウナの打ち場のかたわらにいた。Uサムエル24:16

 また、一国の軍隊を全滅させます。

すると、主はひとりの御使いを遣わし、アッシリヤの王の陣営にいたすべての勇士、隊長、首長を全滅させた。そこで、彼は恥じて国へ帰り、彼の神の宮にはいったが、自分の身から出た子どもたちが、その所で、彼を剣にかけて倒した。U歴代史32:21

 しかし、御使いは人間と同じ大きさなのです。

わたしに語っていた者は、都とその門と城壁とを測るために、金の測りざおを持っていた。都は方形であって、その長さと幅とは同じである。彼がその測りざおで都を測ると、一万二千丁であった。長さと幅と高さとは、いずれも同じである。また城壁を測ると、百四十四キュビトであった。これは人間の、すなわち、御使の尺度によるのである。黙示録 21:15〜17

「これは人間の、すなわち、御使の尺度によるのである」とあることで分かるのですが、新改訳では別の訳になっています。

 旧約聖書では御使いという言葉が人となる前のイエス様に使われていることがあります。
そこで、私たちが主に叫ぶと、主は私たちの声を聞いて、ひとりの御使いを遣わし、私たちをエジプトから連れ出されました。今、私たちはあなたの領土の境にある町、カデシュにおります。
民数記20:16

さて主の使がきて、アビエゼルびとヨアシに属するオフラにあるテレビンの木の下に座した。時にヨアシの子ギデオンはミデアンびとの目を避けるために酒ぶねの中で麦を打っていたが、主の使は彼に現れて言った、「大勇士よ、主はあなたと共におられます」。士師記6:11〜12

 民数記の場合、日本語では天使と区別しにくいのですが、英語の場合はAngelとなっていて最初のAが大文字です。これは原語ではどうなっているか分かりませんが、KJVでは厳密に区別されていて、天使の場合は小文字が使われています。
 天使は神の民を守ります。

まことに主は、あなたのために、御使いたちに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされる。詩篇91:11

 しかし、これは実際には人間には分からない働きだと思います。私は旧約聖書の時代の方が天使の働きは顕著だったように思っていました。ところが御使いという言葉に関する限り、意外なことに新約聖書のほうが多いのです。
 新約聖書での天使の働きは
1. イエス様の誕生
2. 荒野の誘惑
3. イエス様の説教の中で
4. 十字架と復活のとき
5.そして、何と言っても圧倒的に多いのが終りの時、黙示録の中です。
 これらの一つ一つを取り上げる時間はありませんが、恐らく皆さんは容易にその場面が分かるでしょう。こんなにも天使の働きは活発なのです。
 今、主イエスは天に居られます。天使たちと共に。

キリストは天に上って神の右に座し、天使たちともろもろの権威、権力を従えておられるのである。Tペテロ3:22

 そして、やがて天使たちを従えて帰って来ます。

すなわち、あなたがたを悩ます者には患難をもって報い、悩まされているあなたがたには、わたしたちと共に、休息をもって報いて下さるのが、神にとって正しいことだからである。それは、主イエスが炎の中で力ある天使たちを率いて天から現れる時に実現する。その時、主は神を認めない者たちや、わたしたちの主イエスの福音に聞き従わない者たちに報復し、そして、彼らは主のみ顔とその力の栄光から退けられて、永遠の滅びに至る刑罰を受けるであろう。その日に、イエスは下ってこられ、聖徒たちの中であがめられ、すべて信じる者たちの間で驚嘆されるであろう――わたしたちのこのあかしは、あなたがたによって信じられているのである。Uテサロニケ1:6〜10

 今回、天使を学んでみて、ほんの上っ面しかたどることが出来ませんでした。しかし、このわずかな学びの中から、神ご自身の偉大さ、気高さ、荘厳さ、深さ、高さなどが少しだけでも感じられたら幸いです。
 私は、聖書は天使についてあまり書いていないと思っていましたが、詳しく調べるなら一冊の本が書けるほど多くのことが書かれていることに驚きました。