メッセージ060402 小 石 泉
世 代 交 代
今、私の周りで私を含めて多くの牧師先生たちの世代交代が進んでいます。ちょうど世間で、団塊の世代による世代交代が間もなく始まるというちょっと前に、私の属するグループの多くの教会が世代交代の時期を迎えているのです。世代交代はなかなか難しい作業です。上手くいかないと教会は衰えます。特に有能な牧師の後継者は大変です。
私の場合は幸い息子が後継者となってくれました。それが決まったとき、私は本当にうれしかったです。私はまだ65歳ですから一般的な教会から言えば引退する年齢ではないのですが、自分の賜物と能力から考えて早く交代するほうが良いと判断しました。私には私の別の仕事もあります。私は今6つの仕事をしています。もちろん教会でのメッセージも出来る限り半分はしています。
さて、世代交代というとき、聖書の偉大な先輩たちの世代交代を思わずにはいられません。中でもモーセとエリヤの世代交代は圧倒的な栄光に満ちたものでした。
それから、主はモーセに仰せられた。「今や、あなたの死ぬ日が近づいている。ヨシュアを呼び寄せ、ふたりで会見の天幕に立て。わたしは彼に命令を下そう。」それで、モーセとヨシュアは行って、会見の天幕に立った。主は天幕で雲の柱のうちに現われた。雲の柱は天幕の入口にとどまった。申命記31:14〜15
ヨシュアはモーセの息子ではありませんでした。モーセにはゲルショムとエリエゼルという二人の息子がいましたが、彼らはミデアン人の妻チッポラがモーセに生んだ子でもたちでした。ミデアン人はアブラハムがサラの死後迎えた妻ケトラの産んだ子の子孫ですからイスラエル人とは血のつながりはありますがやはり異邦人です。そしてミデアン人は長く砂漠に住んでいたためか色が黒かったようです。そのためにモーセは出エジプトの後なかなかチッポラと子供たちを迎えに行かなかったので、姑のエテロがわざわざ3人を連れてモーセのところに来るという記事が出エジプト記にあります。その意味でモーセの後継者にはなりにくかったのでしょう。そしてヨシュアはモーセに忠実につき従ったので、モーセの片腕とも言うべき位置を持っていました。だから神様もモーセの後継者をヨシュアと定めることに躊躇はなかったのです。
こうして、主の命令によって、主のしもべモーセは、モアブの地のその所で死んだ。主は彼をベテ・ペオルの近くのモアブの地の谷に葬られたが、今日に至るまで、その墓を知った者はいない。モーセが死んだときは百二十歳であったが、彼の目はかすまず、気力も衰えていなかった。イスラエル人はモアブの草原で、三十日間、モーセのために泣き悲しんだ。そしてモーセのために泣き悲しむ喪の期間は終わった。
ヌンの子ヨシュアは、知恵の霊に満たされていた。モーセが彼の上に、かつて、その手を置いたからである。イスラエル人は彼に聞き従い、主がモーセに命じられたとおりに行なった。モーセのような預言者は、もう再びイスラエルには起こらなかった。彼を主は、顔と顔とを合わせて選び出された。それは主が彼をエジプトの地に遣わし、パロとそのすべての家臣たち、およびその全土に対して、あらゆるしるしと不思議を行なわせるためであり、また、モーセが、イスラエルのすべての人々の目の前で、力強い権威と、恐るべき威力とをことごとくふるうためであった。申命記34:5〜12
ここにはモーセの偉大さとヨシュアが後継者としてふさわしい人だったことが書かれています。実際、モーセほどの人物は他にいないでしょう。モーセは神の代理人だったのです。一方、ヨシュアに対して神はモーセに負けない大きな祝福の約束を与えています。
ただ強く、雄々しくあって、わたしのしもべモーセがあなたに命じたすべての律法を守り行なえ。これを離れて右にも左にもそれてはならない。それは、あなたが行く所ではどこででも、あなたが栄えるためである。この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちにしるされているすべてのことを守り行なうためである。そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるからである。わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。ヨシュア1:7〜9
またヨシュアはその後の生涯において一度も神に失望を与えることなかった人です。常に神に従い、決してわき道にそれることはありませんでした。
今、あなたがたは主を恐れ、誠実と真実をもって主に仕えなさい。あなたがたの先祖たちが川の向こう、およびエジプトで仕えた神々を除き去り、主に仕えなさい。もしも主に仕えることがあなたがたの気に入らないなら、川の向こうにいたあなたがたの先祖たちが仕えた神々でも、今あなたがたが住んでいる地のエモリ人の神々でも、あなたがたが仕えようと思うものを、どれでも、きょう選ぶがよい。私と私の家とは、主に仕える。」ヨシュア24:14〜15
「私と私の家とは、主に仕える」これが彼の最後の言葉です。生涯を忠実に神に仕えました。恐らくこういう人の子孫はやはりこういう姿勢を持った人々が多かったことでしょう。
さて、もう一人の神の人エリヤの世代交代を見てみましょう。彼もまたエリシャというすばらしい後継者を持っていました。
主がエリヤをたつまきに乗せて天に上げられるとき、エリヤはエリシャを連れてギルガルから出て行った。エリヤはエリシャに、「ここにとどまっていなさい。主が私をベテルに遣わされたから。」と言ったが、エリシャは言った。「主は生きておられ、あなたのたましいも生きています。私は決してあなたから離れません。」こうして、彼らはベテルに下って行った。すると、ベテルの預言者のともがらがエリシャのところに出て来て、彼に言った。「きょう、主があなたの主人をあなたから取り上げられることを知っていますか。」エリシャは、「私も知っているが、黙っていてください。」と答えた。それからエリヤは彼に、「エリシャ。ここにとどまっていなさい。主が私をエリコに遣わされたから。」と言った。しかし、彼は言った。「主は生きておられ、あなたのたましいも生きています。私は決してあなたから離れません。」こうして、彼らはエリコに来た。エリコの預言者のともがらがエリシャに近づいて来て、彼に言った。「きょう、主があなたの主人をあなたから取り上げられることを知っていますか。」エリシャは、「私も知っているが、黙っていてください。」と答えた。エリヤは彼に、「ここにとどまっていなさい。主が私をヨルダンへ遣わされたから。」と言った。しかし、彼は言った。「主は生きておられ、あなたのたましいも生きています。私は決してあなたから離れません。」こうして、ふたりは進んで行った。預言者のともがらのうち五十人が行って、遠く離れて立っていた。ふたりがヨルダン川のほとりに立ったとき、エリヤは自分の外套を取り、それを丸めて水を打った。すると、水は両側に分かれた。それでふたりはかわいた土の上を渡った。渡り終わると、エリヤはエリシャに言った。「私はあなたのために何をしようか。私があなたのところから取り去られる前に、求めなさい。」すると、エリシャは、「では、あなたの霊の、二つの分け前が私のものになりますように。」と言った。エリヤは言った。「あなたはむずかしい注文をする。しかし、もし、私があなたのところから取り去られるとき、あなたが私を見ることができれば、そのことがあなたにかなえられよう。できないなら、そうはならない。」
こうして、彼らがなお進みながら話していると、なんと、一台の火の戦車と火の馬とが現われ、このふたりの間を分け隔て、エリヤは、たつまきに乗って天へ上って行った。エリシャはこれを見て、「わが父。わが父。イスラエルの戦車と騎兵たち。」と叫んでいたが、彼はもう見えなかった。そこで、彼は自分の着物をつかみ、それを二つに引き裂いた。それから、彼はエリヤの身から落ちた外套を拾い上げ、引き返してヨルダン川の岸辺に立った。彼はエリヤの身から落ちた外套を取って水を打ち、「エリヤの神、主は、どこにおられるのですか。」と言い、彼が再び水を打つと、水が両側に分かれたので、エリシャは渡った。エリコの預言者のともがらは、遠くから彼を見て、「エリヤの霊がエリシャの上にとどまっている。」と言い、彼を迎えに行って、地に伏して彼に礼をした。U列王記2:1〜15
エリヤは3年間、天から雨が降るのを止め、また雨を降らせ、天から火を下すなど、人間離れのことをした人です。世に言う超能力者など物の数ではありません。その後継者になるというのもすごいことです。
エリヤは天に生きたまま上って行くことが判っていました。エリヤはなぜか3度もエリシャを離れさせようとします。偉大な先生の言うことですからエリシャは従うべきだったのでしょうか。エリシャにはエリヤが地上から去ってゆくことが判っていました。彼は最後まで先生に付き従うことを硬く決めていました。エリヤは根負けして自分が天に登ってゆく姿を見せることにし、その時、彼の求めるものを与えると約束しました。エリシャは「あなたの霊の、二つの分け前が私のものになりますように。」と答えます。
エリヤもエリシャも安楽な時代に生きたのではありません。不信仰な反逆の王と民衆、そしてそれ故に襲ってくる敵との戦い。エリシャはエリヤ亡き後自分がその困難な仕事を引き受けなければならないことを悟っていました。だからこそ「あなたの霊の二つの分」と言ったのです。そして、エリヤが火の戦車で天に登って言った後、エリシャは本当にエリヤの行った奇跡の二倍の奇跡を行ったのです。
偉大な指導者でもこの世を去るときは大きな問題が起こります。幸い私は偉大でも有能でもないのでその世代交代は問題ありませんが、指導者にも信徒にもこれからの新しい世代に期待することは大きいものがあります。
「わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」