ホームページ・メッセージ060305 小 石 泉
走るべき行程を走りつくし
神の御前と、生きている者と死んだ者とをさばくべきキリスト・イエスの御前で、キリストの出現とその御国とを思い、おごそかに命じる。御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを励み、あくまでも寛容な心でよく教えて、責め、戒め、勧めなさい。人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう。しかし、あなたは、何事にも慎み、苦難を忍び、伝道者のわざをなし、自分の務を全うしなさい。わたしは、すでに自身を犠牲としてささげている。わたしが世を去るべき時はきた。わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。かの日には、公平な審判者である主が、それを授けて下さるであろう。わたしばかりではなく、主の出現を心から待ち望んでいたすべての人にも授けて下さるであろう。わたしの所に、急いで早くきてほしい。デマスはこの世を愛し、わたしを捨ててテサロニケに行ってしまい、クレスケンスはガラテヤに、テトスはダルマテヤに行った。ただルカだけが、わたしのもとにいる。マルコを連れて、一緒にきなさい。彼はわたしの務のために役に立つから。Tテモテ4:1〜11
これはパウロが死の直前に書いた愛する弟子テモテへの遺書の一部です。若いテモテにパウロは慈しみに満ちている厳格な父のように厳かに教えています。実は正直に告白すると、私はテモテの手紙から説教することはほとんどありません。それはあまりにも私が、それを語るには程遠い人間であるからです。これは謙遜でもなんでもなく真実です。テモテの手紙を読むたびに私は打ちのめされるのです。私にはこの書のどこを採っても、到底、はるかに及ばない資格試験を思わされます。これが教習所なら永遠に免許は取れないだろうなと思います。ですからただ神の哀れみだけにすがって、神の存在と、キリストの救いだけを語っています。どうしても福音書とローマ書に傾きがちです。
パウロはここで「時が良くても悪くても」と書いていますが、これは非常に印象的な言葉です。本当に世界にはクリスチャンにとって良いときと悪いときがありました。ほんの百数十年前まで、日本ではキリシタン禁制が敷かれ、キリストを信じることは死か一切の権利を剥奪されました。その後も、戦争の時にも迫害がありました。中国では今でも公には信仰を持つことは許されていません。北朝鮮では今でも日本の江戸時代のような禁制があります。しかし、パウロは時が悪くても福音を宣べ伝えなさいと命じています。
日本は、今は良い時と言えるでしょう。しかし、「人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来」ているように感じます。苦難の時は、すぐそこに来ています。リバイバル、リバイバルと馬鹿の一つ覚えのように、来ることもない幻想にふけっているときではありません。私が信仰を持って45年、一度もリバイバルは来ませんでした。私は、日本では、“リバイバル”は蜃気楼のような幻想としか思えません。今はリバイバルよりもサバイバルの準備をすべきときです。
そして彼は、聖徒に戦いをいどんでこれに勝つことを許され、さらに、すべての部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた。黙示録13:7
と書かれていますから、ある時、サタンは一見、神の陣営に勝つかのように見えるときが来るでしょう。いや、すでに来ています。あの美しい信仰の国アメリカが、今、やっていることは馬鹿げたことばかりです。それは、あの国の中枢に巣食ったサタンの業なのです。
「しかし、あなたは、何事にも慎み、苦難を忍び、伝道者のわざをなし、自分の務を全うしなさい。」どんなときでも、たとえサタンが勝ち誇っていても、私たちのなすべきことは一つです。それはキリストの福音を伝えることです。
あれほど堅固に見えたソヴィエトの無神論による共産主義も崩壊してしまいました。
私は、今、ルーマニアで迫害を受けた、リチャード・ウオンブラント先生の「マルクスとサタン」という本を翻訳してもらっています。これを読むと、共産主義がサタン主義であることがはっきりわかります。そしてロシアのクリスチャンがどれほど苦しんだかも。
しかし、クリスチャンの苦しみは清めの洗いです。それによって信仰をさらに強固に持つことが出来るでしょう。「わたしは、すでに自身を犠牲としてささげている。」
パウロは苦難を恐れるのではなく、むしろ立ち向かって行きました。中途半端な信仰でなく、自分自身を犠牲として捧げる覚悟をするとき、勝利は約束されます。
「わたしが世を去るべき時はきた。わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。」
死にあたって、このように告白することが出来れば幸いですね。私たちは「戦いをりっぱに戦いぬ」くことは出来なくとも、何とかして「走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした」いものです。
「かの日には、公平な審判者である主が、それを授けて下さるであろう。わたしばかりではなく、主の出現を心から待ち望んでいたすべての人にも授けて下さるであろう。」
この中にあなたも私も居たいものです。
私の父はクリスチャンでした。その生涯は決して立派なものではありませんでした。あまりにも清くあろうとして、貧しくて、私たち子供たちは苦労しました。親戚や近所の人々に立派な証をしたとはお世辞にも言えません。晩年の母がいつも私たちにわびていたからこれは本当です。しかし、こんな父でも、死の前日、長年の認知症にもかかわらず、病院のベッドからむっくりと起き上がって、姉の見ている前で、天井を見上げ、「はい、主よ、小石はここにおります。間もなく御傍に参ります」と言い、翌日静かに召されたということです。父が「走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした」ことだけは確かです。
この箇所の後半の部分はパウロとその弟子たちの在り様を語っています。
「わたしの所に、急いで早くきてほしい。デマスはこの世を愛し、わたしを捨ててテサロニケに行ってしまい、クレスケンスはガラテヤに、テトスはダルマテヤに行った。ただルカだけが、わたしのもとにいる。マルコを連れて、一緒にきなさい。彼はわたしの務のために役に立つから。」
あの偉大なパウロ先生の門下生にも「この世を愛し、わたしを捨てて」行ってしまうような人がいたのです。これが現実です。「わたしを捨てて」という言葉に何とも言えない悲哀を感じます。当時パウロはローマで自宅軟禁状態でした。デマスは長い間パウロと行動を共にしていたのでしょう、しかし、「この世を愛して」去って行きました。クレスケンスとテトスはどういう理由かはわかりませんが、もしかすると伝道のために離れていったのでしょうか。「急いで早く・・・マルコを連れて一緒にきなさい。」という言葉にもパウロの淋しさが表れています。
「今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。かの日には、公平な審判者である主が、それを授けて下さるであろう。」
クリスチャンの希望は、決してこの世で受ける栄誉や富や好ましい状態ではないのです。パウロもそうでしたが、使徒たちの最後はほとんどが殉教でした。
だから、施しをする時には、偽善者たちが人にほめられるため会堂や町の中でするように、自分の前でラッパを吹きならすな。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。マタイ6:2
この世で「報いを受けてしまっている」なら、かの日には義の冠は受けられないでしょう。最近の聖会や大会はいつも、癒しだ、解放だ、祝福だと言っていますが、もしイエス様の言われたように、
またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての人に憎まれるであろう。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。マタイ10:22
というような言葉をテーマにしたら誰も来ないでしょうね。しかし、これが信仰の現実なのです。
これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。ヨハネ16:33
「この世ではなやみがある」と主は言われています。良いことばかりを待っているのがクリスチャンの信仰ではありません。しかし、勝利した主に信仰によって従がう時、勝利できるのです。
あなたがたのうち主を恐れ、そのしもべの声に聞き従い、暗い中を歩いて光を得なくても、なお主の名を頼み、おのれの神にたよる者はだれか。イザヤ50:10
「暗い中を歩いて光を得なくても」主を神とし、従い続ける、それが本当のクリスチャンです。このような雄々しい、たくましい信仰を持ちましょう。
「今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。かの日には、公平な審判者である主が、それを授けて下さるであろう。わたしばかりではなく、主の出現を心から待ち望んでいたすべての人にも授けて下さるであろう。」あなたにも義の冠が待っています。
前回メッセージの補足
兄弟たちよ。こういうわけで、わたしたちはイエスの血によって、はばかることなく聖所にはいることができ、彼の肉体なる幕をとおり、わたしたちのために開いて下さった新しい生きた道をとおって、はいって行くことができるのであり、さらに、神の家を治める大いなる祭司があるのだから。ヘブル10:19〜21
とありますから、全てのクリスチャンは聖所に入ることが出来るのです。しかし、自ら進んで、へりくだって、祭司たる人々に従うことは好ましいことです。
また、イスラエルの大祭司は、至聖所に入るとき、片足にロープを縛り付けて入るのが常でした。それは大祭司が至聖所で勤めをするとき、衣のすそに鈴が付いており、それがチリンチリンと鳴る間は大祭司は無事だと分かるのですが、もし鳴らなくなったら、彼の身に何かが起こったことがわかります。しかし、至聖所には大祭司以外は入れませんから、彼の体をロープで引っ張り出すためだったのです。神の前に出ることはこのように厳粛なものなのです。