メッセージ060108 小 石 泉
最も小さい者たち
人の子が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って来るとき、人の子はその栄光の位に着きます。そして、すべての国々の民が、その御前に集められます。彼は、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らをより分け、羊を自分の右に、山羊を左に置きます。そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』すると、その正しい人たちは、答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。いつ、あなたが旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたずねしましたか。』すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』マタイ25:31〜40
正月に中国を訪れて来ました。中国の冬はどこに行っても都市は空気がよどみ、空はかすんでいます。それは暖房のために焚く石炭や薪の煙、また、最近は車の排気ガスのためです。風もあまり吹かないらしくスモッグは一日中晴れません。
私たちが行った都市の駅前には巨大な地下商店街がありました。地下4階建て、数千店の小さな店が盛んに客を呼んでいました。そんな商店街が他にもいくつもありました。 今、中国は活気に満ち人々には笑顔があります。若者は日本の若者と変わりません。初めに行ったころとは、まるで別の国のようです。指導者の考えが変わると、国はこんなにも繁栄するのだなあと驚きを禁じえませんでした。
私たちはそこから中国と北朝鮮の国境地帯の都市に行きました。そこで、Aさんに会いました。Aさんは10年前に、北朝鮮行ったときに美しい女性に会いました。彼女は北朝鮮のスポーツ選手で、オリンピックの候補にも挙がりましたが、オリンピックに行くには係りの役人に賄賂を贈らなければならないので実現しませんでした。金日成はスポーツに力を入れていましたが、金正日は芸能に力を入れたために、スポーツ選手は皆、生活に困っていました。彼女もひどい生活をしていたときAさんと出会ったのです。Aさんは彼女を脱北させ、そこで結婚し可愛らしい女の子を設けました。しかし、あるとき町の商店街で北の工作員に呼び止められ、「あなたは〇〇でしょう。」と問い詰められたのです。その場は知らぬ存ぜぬで通しましたが、危険を感じ直ちに別の町に移動しました。しかし、中国ではたとえ結婚しても相手が正式な身分証明書がないと認められません。彼らはいつも公安(警察)と北の工作員の目を恐れて暮らしていかなければなりませんでした。もし、捕まれば北朝鮮に送還され、死刑か収容所入りは間違いないのです。
ついに昨年三月、Aさんは奥さんを韓国に亡命させることにし、まず、Aさんがモンゴル国境に行きました。国境は厳冬期のために警備が手薄なことを確認し、すぐに奥さんともう一度国境に行きました。子供を連れて行くことは出来ませんから、奥さんは一人で国境を越え、首都のウランバートルに向かいました。朝鮮語しか出来ない彼女がどうして行けたのかは不思議ですが、とにかくウランバートルまでは行くことができました。 しかし、そこからAさんに韓国大使館が判らないという電話が入ったそうです。Aさんは自分にはどうすることも出来ないから何とかして自分で見つけなさいという外はありませんでした。それから奥さんの消息はわかりませんでしたが、二ヵ月目に韓国から電話が入り無事に着いたということが判りました。大使館に入ることも非常な危険が伴ったのですが、彼女は入ることが出来、ウランバートルで一ヶ月、韓国で一ヶ月の調査の末、生活準備の施設にいるという電話でした。ひとまず安心はしたものの、奥さんは韓国、Aさんは中国、これからどうして行けば良いのか。半年ほどすると韓国から中国に来ることは出来るらしいのですが、中国に永住すれば今までと同じことになります。韓国籍はあるから中国の公安の心配は無くても北朝鮮の対応は変わりません。Aさんは底抜けに明るい笑顔のすばらしいクリスチャンですが、その笑顔の裏にはこんな悲劇があるのです。
今回、その他にも、活発に北朝鮮からの難民を保護したり、北朝鮮に入って米や衣服などを援助している教会指導者に会いたくて電話をしたのですがどうしてもつながりませんでした。後から判ったことはその人はちょうど、北朝鮮に入っているときでした。新川先生はもう一度会いに行くと言っておられました。帰ってくると、別の町のやはり活発な援助活動をしている教会指導者の婦人が、親戚に会うために翌日この町に来ることが判り、援助金を渡すことができるようになったと新川先生は喜んでいました。
北朝鮮では中国の100元(日本円で1500円位)で5人家族が一ヶ月食べてゆくことが出来ます。今回私はホームページとその他で約10万円を準備できました。その他にも新川先生関係の資金で多くの北朝鮮の人々を助けることが出来たので感謝です。
上の御言葉を読むとき、正にそのとおりのことが、今、起こっていることを覚えます。北朝鮮にも多くのクリスチャンがいます。また飢えて成長が止まってしまった子供たちがいます。私たちが、有り余る食事でダイエットに苦労しているとき、海の向こうではそんなことが平行して起こっているのです。前に丹東というところに行った時、中国側の丹東はビルが立ち並び、夜は明々と電気がついているのに、対岸の北朝鮮は真っ暗なことがすごく印象的でした。
人工衛星から夜のアジアを見ると、日本も中国も韓国も明るい光が輝いているのに、北朝鮮だけはその部分だけ真っ暗闇であることに気がつきます。北朝鮮の夜は電気がほとんどついていないのでしょう。
それから、王はまた、その左にいる者たちに言います。『のろわれた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火にはいれ。おまえたちは、わたしが空腹であったとき、食べる物をくれず、渇いていたときにも飲ませず、わたしが旅人であったときにも泊まらせず、裸であったときにも着る物をくれず、病気のときや牢にいたときにもたずねてくれなかった。』そのとき、彼らも答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹であり、渇き、旅をし、裸であり、病気をし、牢におられるのを見て、お世話をしなかったのでしょうか。』すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、おまえたちに告げます。おまえたちが、この最も小さい者たちのひとりにしなかったのは、わたしにしなかったのです。』こうして、この人たちは永遠の刑罰にはいり、正しい人たちは永遠のいのちにはいるのです。」25:41〜46
私はこの御言葉の第一の意味は、クリスチャンである「私の兄弟たち」に対する取り扱いを言っているのだと思います。終わりのときの大いなる裁きのときに全ての人が集められて神の前で裁かれるときの事です。
しかし、素直に文字通りに読めばやはり不遇な人、困難に会っている人に対する救助や支援を指しているのだと思います。そして今、世界ではそのような人が数限りなく居ます。それこそ無限にあると言ってもいいほどです。それらの全てに対処することなど出来るはずはありません。しかし、エリコの道の途中のように、たまたまそこを通りかかったとき、何らかの接点があったとき、無視することは出来ません。
私がこのような働きをするようになったのは、あるテレビで物を拾い集めて食べている北朝鮮の幼い少女を見たときからです。そして、幸いなことに私は新川宣教師を知っていました。彼が勇敢にこのような働きをしているので、そのわずかな手助けをしています。
イエスは答えて言われた。「ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に襲われた。強盗どもは、その人の着物をはぎとり、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。たまたま、祭司がひとり、その道を下って来たが、彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼を見てかわいそうに思い、近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやった。次の日、彼はデナリ二つを取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。』この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」ルカ10:30〜37
「あなたも行って同じようにしなさい。」これはイエス様のお勧めです。あなたに少しでも困難な人を助ける余裕があったら、その手を差し伸べることをためらわないで下さい。私はまたいつか行こうと思います。また、新川先生にはいつでも連絡できます。これからも覚えて、準備をしていてください。
聖徒たちのためのこの奉仕については、いまさら、あなたがたに書き送る必要はないでしょう。私はあなたがたの熱意を知り、それについて、あなたがたのことをマケドニヤの人々に誇って、アカヤでは昨年から準備が進められていると言ったのです。こうして、あなたがたの熱心は、多くの人を奮起させました。
私が兄弟たちを送ることにしたのは、このばあい、私たちがあなたがたについて誇ったことがむだにならず、私が言っていたとおりに準備していてもらうためです。そうでないと、もしマケドニヤの人が私といっしょに行って、準備ができていないのを見たら、あなたがたはもちろんですが、私たちも、このことを確信していただけに、恥をかくことになるでしょう。そこで私は、兄弟たちに勧めて、先にそちらに行かせ、前に約束したあなたがたの贈り物を前もって用意していただくことが必要だと思いました。どうか、この献金を、惜しみながらするのではなく、好意に満ちた贈り物として用意しておいてください。私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。
神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ちたりて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。Uコリント9:1〜8