ホームページ・メッセージ 050717          小 石  泉

終わりの日の宗教


 カトリック教会の一部でマルチン・ルターを列聖(聖人と認める)しようという動きがあるそうです。それはすばらしい、カトリックも正しい福音に立ち戻ったのかと喜ぶのはちょっと待ってください。同じ人々は他に、ガンジー、マルチン・ルーサー・キングJr、アンネ・フランク、シーザー・チャベツなども一緒に列聖しようというのです。私はシーザー・チャベツと言う人は知りませんでしたがアメリカの共産主義者だったようです。
 ここに今、世界の宗教を統一しようとするエキュメニカル運動の一端を見ます。エキュメニカル運動は、最初はカトリックとプロテスタントの融和を求めて作られたとされていますが、今はすべての宗教の一致を目指しています。ルターが列聖されたらプロテスタントは名前を変えなければなりませんね。もうプロテスト(抗議)出来ませんからね。
 この他にもイギリスの国教会、聖公会では同性の結婚を認めると決定されたようです。またアメリカを始め日本でもプロテスタント教会で同性愛者が牧師としての認証を受けるようになりました。さらにアメリカでは数年前にプロミス・キーパーズという運動が起こりました。プロミス、結婚の約束、神への信仰、を守ろうと言う、一見極めて純粋な信仰運動のように見えました。しかし、この運動の提唱者たちの意図は別のものでした。私は「プロミス・キーパーズ、もう一つのトロイの木馬」という本を持っています。残念ながら日本では翻訳出版は難しいでしょう。この運動は非常に大きな流れとなりましたがその絶頂で突然、破産したと称して解散しました。私が思うに多額のお金が手に入ったのと、運動が彼らの意図とは反対にあまりにも健全な方向に進んでしまったからでしょう。その他にも、自称聖霊の器と言う怪しげな霊媒師たち。彼らは気功術と集団催眠術で多くの人々を惑わしています。彼らの中でもベニー・ヒンはマリファナ常習者です。
 この他にも日本では「福音とユダヤ性の回復」と言う本が出て、モーセの律法に帰れと呼びかけています。日ユ同祖論がその地ならしをしています。このように、ありとあらゆる方法で福音を薄め、骨抜きにしようとする力が働いています。

神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。ヨハネ3:16

 この尊い御言葉の真理を決して崩してはならないのです。神は人間を愛しておられて、人間の罪を清める方法として、ご自身の御子を十字架に掛けられ、その死によって信じるものを救うこととされました。これは永遠に失われない真理です。エキュメニカル運動はこの真理をないがしろにしています。どんな宗教でも救われる。仏教でもヒンズー教でもイスラム教でも儒教でも神道でも国々の固有のシャーマニズムでもみんな同じだと言うのです。聖書はそれに対して真っ向から反対します。

この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである。使徒4:12

 今後、このような信仰は偏狭なもの、人間を差別するものとして取り締まられることでしょう。アメリカには憎悪法という法律が出来ました。それはあらゆる差別を許さないと言うものです。それによって、今年1月、フィラデルフィアで“ピンクエンジェル”というホモセクシャルグループのイヴェント会場で聖書を引用して歩道の上で福音を伝えていた11人のクリスチャンが逮捕され、その内4人は47年の刑と90,000ドルの罰金を課せられました! 彼らは憎悪法によって8つの罪に問われたものだとフィルデルフィア警察は発表しました。特に次の3つは重罪であるということです。
1. 憎悪の道具を所持していた。(ハンドマイクを持っていた。)
2. 人種差別の言葉(聖書からホモセクシャルは罪だと言った)
3. 暴動を扇動した(聖書からホモセクシャルのことを引用した)
また、イギリスでは聖書から引用し、その引用が「脅かし、罵倒、侮辱」と見なされた
場合、違法とされ、7年以下の懲役が課せられるというのです。これでは教会で牧師は説教することも出来ません。フランスではホモセクシャルと女性を侮辱すると1年間の懲役を命じることが出来るという法律が国会を通過しました。
 目を開けて現実を見てください。危機は迫っています。そういうとそんなことよりもリバイバルを期待して祈るべきだと言います。残念ながら、歴史上、本当のリバイバルは迫害のときに起こっているのです。最近でも、韓国も中国も、戦争、日本による統治、朝鮮戦争や文化大革命による悲惨な体験の後で大リバイバルが起こったではありませんか。キリストのために流す血は福音の種だと昔の教父も言っています。

彼らは信仰によって、国々を征服し、義を行い、約束のものを受け、ししの口をふさぎ、火の勢いを消し、つるぎの刃をのがれ、弱いものは強くされ、戦いの勇者となり、他国の軍を退かせた。女たちは、その死者たちをよみがえらさせてもらった。ほかの者は、更にまさったいのちによみがえるために、拷問の苦しみに甘んじ、放免されることを願わなかった。なおほかの者たちは、あざけられ、むち打たれ、しばり上げられ、投獄されるほどのめに会った。あるいは、石で打たれ、さいなまれ、のこぎりで引かれ、つるぎで切り殺され、羊の皮や、やぎの皮を着て歩きまわり、無一物になり、悩まされ、苦しめられ、(この世は彼らの住む所ではなかった)、荒野と山の中と岩の穴と土の穴とを、さまよい続けた。さて、これらの人々はみな、信仰によってあかしされたが、約束のものは受けなかった。神はわたしたちのために、さらに良いものをあらかじめ備えて下さっているので、わたしたちをほかにしては彼らが全うされることはない。ヘブル11:33〜40

 この御言葉の前半は読まれ、歌われますが、後半は無視されます。もちろんこんな目に会いたい人は誰もいません。しかし、このような時はそれに対処する勇気も与えられるはずです。いやそれどころか喜びにあふれるはずです。

わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。マタイ5:11〜12

 私の人生で一番苦しかったことは、自分が犯した罪や愚かさの結果でした。神のためにあるいは他人のために苦しむことが出来たら恐らく違った意味での喜びがあるでしょう。不思議なことに聖書は迫害や苦しみの中で喜んでいる人々を描いています。

使徒たちは、御名のために恥を加えられるに足る者とされたことを喜びながら、議会から出てきた。使徒5:41

 あのヨブはこう言っています。

しかしヨブは彼女に言った、「あなたの語ることは愚かな女の語るのと同じだ。われわれは神から幸をうけるのだから、災をも、うけるべきではないか」。すべてこの事においてヨブはそのくちびるをもって罪を犯さなかった。ヨブ2:10

 神から来るものなら甘んじて受ける。それがヨブの決断でした。

人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう。ヘブル4:3〜4

 繁栄、癒し、解放、力を受ける。そんなことなら多くの人は集まります。しかし、現実は単なるマジックショーのような偽りの奇跡、催眠術のマインドコントロールです。サタンの哄笑が聞こえるようです。

それは、わたしが語り、呼ばわるごとに、「暴虐、滅亡」と叫ぶからです。主の言葉が一日中、わが身のはずかしめと、あざけりになるからです。エレミヤ20:8

 エレミヤはユダの人々に警告したために、嫌がられ、子供の歌にされ、辱めとあざけりを受けました。私はエレミヤの言葉が本当に良く判ります。誰でも破壊的な言葉など聴きたくないのですから。しかし、今こそ、私たちが目を覚まし、危機に対処する心構えをしっかりと持つべきときなのです。
 ところで私は良くこう聞かれます。「先生はサタンと戦うことに、恐れることはないのですか?」私はこう答えます。「私は小さなものですが、神の僕です。サタンは他人の僕に命じることも、苦しめることも出来ません。私のご主人の許しがなければ指一本触れることは出来ないのです。もし、私のご主人が私を苦しめることをサタンに許すとしたら、それは私にとって必要なことです。私は私のご主人である神の御意志として喜んで従います。」