ホームページ・メッセージ  050515       小 石  泉

繊細な時代の終焉


 若者たちの間でお笑いブームだといいます。テレビに登場する芸能人は、ひところに比べてほとんど素人と変わりなく、昔のようなプロとアマの違いが無くなっていると思います。そして彼らの笑いが非常に些細なことであることに気がつきます。昔の落語のように込み入った筋立てで笑いに落とすというのではなく、ほんのささやかな日常茶飯事の小さな落差を笑いにしているのを見ると、今はとても繊細な時代だと思うのです。また、漫才でも昔のように相方を口汚くののしったり、やっつけたり、どついたりせずに、仲間でも傷つけないようにしていることが多いのに気がつきます。今の若者たちは繊細だなあと思います。豪放磊落(ごうほうらいらく)とか勇猛果敢(ゆうもうかかん)などという言葉は、もう全く死語になって、ほとんどわかる人も居なくなりました。私が子供のころはそれが男の理想だったのですが。
 しかし、このような繊細な人が一旦切れると、前後の見境なく、ある日突然、極端に暴力的になります。かつてないほどの、近頃の殺人や暴力はこれらの“優しい”“おとなしい”人が起こすことに驚くことはありません。今のお母さんたちは、自分の好みに任せて子供、特に男の子を“優しい良い子”に育てようとします。男性が本来持っている凶暴性?を取り去ろうとするのです。その結果、牙を抜かれた獅子のようなひ弱な男子が作られます。しかし、人間の本質は変わりません、ただ押さえつけられているだけです。昔のように適当なガス抜きがないのである日突然暴発するのです。
 このような繊細な男性は平和な時代の産物です。日本は第二次大戦後60年間平和でした。それは本当に幸せなことでした。しかし、歴史の歯車は加速度を増して、不安定な戦乱の時代に向かっています。戦乱の時代を知る人々は次第に居なくなって、戦乱の時代を初めて体験する世代に移り変わりつつあります。
 聖書は戦乱の時代に書かれました。イエス様が生まれた時代はローマが戦乱の時代を終わって平和の時代に移り変わるちょうど境目です。面白いことにローマと日本とはとても似ています。戦乱の時代が信長、秀吉によって統一され、家康によって300年の平和な時代が訪れたように、ユリウス・カエサルらによってローマが帝国の基盤を作られ、それを次いだオクタヴィアヌス・アウグストによって平和な400年、パクスロマーナが始まりました。アウグストはそういう意味でかつてない新しい指導者でした。彼を見ていると家康そっくりです。慎重で思慮深く、巧みに強固な独裁政権を作りました。キリストの福音はこのような平和の時代に世界中に宣べ伝えられたのです。

そして彼らに言われた、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。信じてバプテスマを受ける者は救われる。しかし、不信仰の者は罪に定められる。信じる者には、このようなしるしが伴う。すなわち、彼らはわたしの名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、へびをつかむであろう。また、毒を飲んでも、決して害を受けない。病人に手をおけば、いやされる」。主イエスは彼らに語り終ってから、天にあげられ、神の右にすわられた。 弟子たちは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主も彼らと共に働き、御言に伴うしるしをもって、その確かなことをお示しになった。マルコ16:15〜20

 この御言葉が実現するためには世界の統一という壮大な計画がローマという国によってなされなければなりませんでした。言葉、度量衡の統一、政治体制の完成、道路網の発達。私たちが想像する以上に当時の世界は文化的で発達していました。
 ところが、今、世界は平和から戦乱の時代に移行しつつあります。戦争から平和に移るのは簡単ですが、平和から戦争に移る場合は、そのために心の準備がないと悲惨なことになります。日本は今、かつてない繁栄から激動の時代に移ろうとしているのですが、驚くほど人々はそのことに気がついていません。今年のゴールデンウイークには過去最高の人々が海外旅行に行ったといいます。衣食住は充足し、世界の人々がうらやむ技術の高い製品を安い価格で手に入れることが出来ます。テレビはお笑いと、グルメ番組にあふれています。しかし、ひたひたと忍び寄る戦乱と窮乏の影を見落としています。

人々が平和だ無事だと言っているその矢先に、ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むように、突如として滅びが彼らをおそって来る。そして、それからのがれることは決してできない。Tテサロニケ5:3

 私が言っているのは現状に不満がある人が何か現状を打破するための破壊を求めているようなものではなく、明らかに迫りつつある騒乱に対処することなのです。危機に対処できないのは、あのJR西日本の社員のように、事故を知りながらボーリングやゴルフに興じていた姿に表れています。途方もない蹉跌が生じたのに、これまでの既定の路線しか見えていないのです。彼らは昨日までの日常という線路が無くなったことが把握できていないのです。いつものように振舞っているのです。私は日本人全体が同じような平和ボケをしていると思います。恐らく今後恐るべき戦乱が起きても、しばらくは昨日と同じように行動しようとするでしょう。危機というものに対する対処の仕方を普段から学んでいないからです。こういう心理状態は、もちろん日本人だけではありません。
 ベトナム戦争のとき、北ベトナム軍がハノイの近郊に迫っているのに、ベトナム教会は伝道10ヵ年計画を論じていたといいます。数日の内に彼らは着の身着のままで逃げ出したのです。今、必要なのはリバイバルではなくサバイバルなのです。
 特に日本やアメリカでは女性があまりにも強すぎます。平和の時代は女性の時代です。しかし、戦乱の時代は男性の時代です。聖書には危機の時と平和の時の女性の姿が描かれている、二つの面白い言葉があります。

不信の娘よ、いつまでさまようのか。主は地の上に新しい事を創造されたのだ、女が男を保護する事である。エレミヤ31:22

 「女が男を保護する」まるで現在の状況のようです。そして動乱の時代が来ると、次のようになるのでしょうか。

その日、七人の女がひとりの男にすがって、「わたしたちは自分のパンをたべ、自分の着物を着ます。ただ、あなたの名によって呼ばれることを許して、わたしたちの恥を取り除いてください」と言う。イザヤ4:1

 さらに、イエス様は正に今日の時代を預言しています。まるでそのまんまです。

またオリブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとにきて言った、「どうぞお話しください。いつ、そんなことが起るのでしょうか。あなたがまたおいでになる時や、世の終りには、どんな前兆がありますか」。 そこでイエスは答えて言われた、「人に惑わされないように気をつけなさい。多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう。 また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい、あわててはいけない。それは起らねばならないが、まだ終りではない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。 しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである。そのとき人々は、あなたがたを苦しみにあわせ、また殺すであろう。またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう。 そのとき、多くの人がつまずき、また互に裏切り、憎み合うであろう。 また多くのにせ預言者が起って、多くの人を惑わすであろう。 また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。マタイ24:3〜13

 それは惑わしの時代だと言われているように、今は惑わす偽り者が無数に出没しています。イエス様がこんなにはっきり忠告しておられるのに、クリスチャンがあまりにも簡単にだまされるので、私はあきれ返っています。戦争のうわさと戦争はこれまでも数多くありましたが20世紀ほど戦争の多かった時代もないでしょう。ききんは、日本には今はありませんが、国によっては深刻です。地震はかつてない回数が報告されています。イエス様はクリスチャンが平和に過ごし何の障害もないとは言っておられません。苦しみ、殺され、憎まれるといっています。そのような患難の前に携挙されるというような都合の良い話ではありません。でも喜んでください。イエス様は間もなくやってこられます。

いちじくの木からこの譬を学びなさい。その枝が柔らかになり、葉が出るようになると、夏の近いことがわかる。そのように、すべてこれらのことを見たならば、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。 よく聞いておきなさい。これらの事が、ことごとく起るまでは、この時代は滅びることがない。天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。24:32〜35

 「いちじくの木」というのはイスラエルの事だと言われています。よく判りませんが、確かにイスラエルは1900年の離散の後に回復し、枝が柔らかになり、葉が茂ってきました。この時、イエス様は「戸口まで近づいている」のです。私たちは地上の混乱だけに目を向けるのではなく、天の御位から立ち上がって、地上に向かわれているイエス様を思いましょう。もうしばらくは繊細な人々を相手に話をしなければならないでしょう。恐らく、あと数年間でしょうが。そして、騒乱の時代があり、その後、イエス様が戸口を開けて入ってこられるでしょう。マラナサ アーメン、主イエスよ来たりませ。