ホームページメッセージ   050313       小 石  泉

バベルは今も


 3月1日から8日まで、新川先生の北朝鮮難民援助活動の報告のために韓国に行ってきました。私はこれで3度目の訪問でしたが、見違えるほどに発展した韓国にびっくりしました。走っている車は90%以上が韓国車。乗ってみてもなかなか乗り心地が良い。韓国では牧師は非常に社会的地位が高いのでかなりの高級車にも乗る機会が多かったのですがなかなかのものでした。オリンピックのせいでしょうか、ソウルの街路はほとんどごみがなく、高速道路は片側5車線。高層アパートが多く、大抵は40坪以上。社会全般に非常に豊かになっていました。ところが北朝鮮に対する韓国人の反応は意外なものでした。それは一言で言えばアンタッチャブルな問題なのです。
 当たり前といえば、あまりにも当たり前のことなのですが、金大中、盧武鉉という二人の大統領によって進められた太陽政策が国民の間に混迷をもたらしているのです。これまで北の脅威を宣伝して大いに警戒することで統一していた韓国が、太陽政策によって分裂し、まるで北の脅威などないかのように振舞っているのです。前々回、20年前に行ったときには、北の38度線に向かう道には何箇所も対戦車用の巨大なコンクリートブロックが頭上に設置されていましたが、新しい高速道路には、それがほとんどありません。また、もっとびっくりしたのが北朝鮮を見る統一展望台からは警戒の兵士の姿がまばらで、中で上映された映画が北朝鮮のサーカスの映像だったのです! それは、まるで北朝鮮の宣伝でした。何が起こっているのだろうと話し合いました。
 実は今、一番混乱しているのが韓国軍だということです。これまで北を仮想敵国(仮想ではないと思うのですが)として訓練していたのに、今は仮想敵としてはならないのです。さらに北からの侵入者に出合っても相手が撃ってくるまでは撃ってはならないといわれているそうです。そのために昨年も北からの潜水艦による侵入者によって5人の将兵が殺されました。朝鮮日報は「彼らを殺したのは誰だ」という社説を載せて、政府を批判しましたが、そういうメディアは政府から圧力を受けるらしいのです。今、韓国の政財界のトップには北朝鮮出身者が多く、金政権とつながらないまでも故郷に対する思いが強く、敵対政策が取れないということを聞きました。
 新川先生は4つの教会と二つの牧師会、財界や政界の最高レベルの朝祷会で証しました。ある教会で証しした後、玄関で年配の婦人が近づいてこられ、「ありがとう」といわれました。それが彼らの偽らざる感想だったのでしょう。毎日、毎日、最高のご馳走と韓国式サウナでもてなされ恐縮しました。
 しかし、私が一番印象に残ったのは言葉の壁でした。韓国人の顔は日本人とほとんど変わりません。それなのに全く言葉が通じないのです。お互いに顔を見合わせてただ微笑みあうだけです。なんとも言いようのない間の悪さです。つくづく神様が人間の欲望を言葉によって制限されたことの重大さを感じます。あの時から6000年、人類はいまだにその障壁を克服できないで居ます。

さて、全地は一つのことば、一つの話しことばであった。そのころ、人々は東のほうから移動して来て、シヌアルの地に平地を見つけ、そこに定住した。彼らは互いに言った。「さあ、れんがを作ってよく焼こう。」彼らは石の代わりにれんがを用い、粘土の代わりに瀝青を用いた。そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」そのとき主は人間の建てた町と塔をご覧になるために降りて来られた。主は仰せになった。「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。さあ、降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう。」こうして主は人々を、そこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。主が全地のことばをそこで混乱させたから、すなわち、主が人々をそこから地の全面に散らしたからである。創世記11:1〜9

 ここに書かれているのどかな話は、実はもっともっと重大なことだったに違いありません。まず「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」という言葉は何を意味しているのでしょうか。伝説によればこの時、人間は個々に自由な発想で民主的に集まって町や塔を建てたのではなく、ハムの子孫クシの子ニムロデが帝国を築いていたと言う事です。

クシュはニムロデを生んだ。ニムロデは地上で最初の権力者となった。10:8

 ですからこの計画はニムロデによる綿密な計画によって成されたと考えられています。これを古代バビロン帝国と呼び、ネブカドネザルのバビロン帝国と区別します。町を建てることは分かりますが、「頂が天に届く塔」とは何の目的で建てられたのでしょうか? なぜ彼らは「散らされるといけない」と思ったのでしょうか? 神様が「このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。」と言われるほど警戒されたのはなぜでしょうか?
 後にバベルの塔と呼ばれるようになったこの建造物は、現在はジグラッドと呼ばれている巨大なレンガの塔のことだと考えられます。その最大のものはイラクのバビロンにありますが今はほとんど崩れ去って輪郭を留めるだけです。この建造物はエジプトのピラミッドと違ってその頂上に神々を祭る神殿がありました。ですから「頂が天に届く塔」という意味は、もっと霊的な意味があるのかもしれません。南米のインカ、マヤなどの巨大なピラミッドも同様に祭事場がありそこでは無数の子供たちの生きている心臓が太陽に捧げられました。ジグラッドでも同じことが行われていたかもしれません。
 この短い文章ではうかがい知ることは出来ませんが、神様が危機感を感じる何か、偶像崇拝、神への反逆、サタンとの交流などがあったのではないかと私は考えています。そして世界の統一。世界の統一はサタンが自分の王国を築くための絶対条件なのです。それを防ぐために、神様が取った手段は洪水や地震といった災害、いわばハードな方法ではなく、言葉を混乱させるという、ソフトな方法だったということは実に興味深いことです。
 これが一瞬にして起こったのか、それとも長い間に起こったのか判りません。日本でも鹿児島や青森などの地方の人が方言で話すと全く判らない場合がありますから、長い時間がかかったかもしれません。それにしても私が韓国語と接触したときのように人々は困惑したのです。そしてそれぞれ言葉の判る者たちだけが別れて住むようになったのでしょう。
 韓国は、元々は漢字の国でしたが、今は全てがハングル文字です。私は英語なら少しは判るのですが、ハングル文字では電車に乗ることも出来ませんでした。ハングル文字は賢明な一人の王様が作った非常にテクニカルな言語なので特に判りにくいようです。ハングル文字は元々が表意文字である漢字を表音文字にしたものですから、一旦は漢字を頭に描いて理解するのではないでしょうか。そうすると漢字を全く忘れてしまったら混乱しないのでしょうか。私が心配することでもないでしょうが。
 今、世界では世界中の言語を一瞬にして翻訳するコンピューターの開発が進められているそうです。このコンピューターの名前は“バベル”というのだそうですから、何となく神への反逆くさい名前です。世界を統一するためには言語の統一は不可欠なのです。昔はギリシャ語、今は英語がある程度世界共通語です。私が若い頃、エスペラント語というのが非常にはやりました。これを世界共通語にしようとユダヤ人のザメンホフという人が作り出したものですが、結局使われなくなりました。
 思えば神様の考えたバベルののろい、障壁は何と高く、有効なものだったことでしょう。このバベルとは混乱、散逸といった意味ですが、それからバビロンという町と国が呼ばれるようになり、それが神への反逆の町、国となって現在まで変わることなく続いているわけです。黙示録では世の終わりにさえバビロンは出てくるのですから。
 さて、私たちにとって本当に大切な言葉はイエス・キリストの言葉です。

初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。ヨハネ1:1

 この旅行の終わりに新川先生はハングル語をもう一度習おうと決心されていました。脱北者とも直接話すためには必要なことでしょう。先生には語学への情熱と才能があるように思えますが、私ときたら生来怠け者で、今度行くときは誰に通訳してもらおうかなどと考えています。今回は葛飾中央教会の申先生が行ってくださったのですが、途中で日本人にハングル語で、韓国人に日本語で通訳していました。快活な先生で日本に骨を埋めると言っておられます。すでに日本を9回周って路傍伝道をしているそうです。
 私たちが御国に行ったときはもちろん通訳は要らないでしょう。そして私たちには神様との間にさえ通訳ではないが仲介者が居ます。現在でさえ、イエス様は私たちの罪深い祈りの言葉を清めて神様に通訳なさっているのです。
 インドのサンダーシングという神の使者は、あるとき海の水が水蒸気となって立ち上るのを見て、ああ、私たちの祈りもあのように純粋な部分だけが天に昇っていくのだなあと思ったそうです。言葉って不思議ですね。