ホームページメッセージ  050306     小 石  泉

神の形であるイエス・キリスト


 今週はもう一度イエス様について学びます。今、私たちが特別に忘れてはならない、最も大切なことだからです。この基礎的なキリストの学びが、案外、今、ないがしろにされていると私は思います。

御子は、見えない神のかたちであって、すべての造られたものに先だって生れたかたである。コロサイ1:15

 イエス・キリストは見えない神のかたちです。この場合のかたちは英語ではIMAGEです。He is the image of the invisible God, 日本語で「イメージ」というと、どちらかというと頭の中での映像のように思われますが、英語の辞書の第一には「像」とあります。イエス様は見えない神の目に見える姿、形、像だったのです。

神はただひとり不死を保ち、近づきがたい光の中に住み、人間の中でだれも見た者がなく、見ることもできないかたである。ほまれと永遠の支配とが、神にあるように、アァメン。Tテモテ6:16

 神様は見えないお方です。誰一人見たものは居ないと書かれています。また見ることも出来ないとあるので、私たちが天国に行ったときにも目には見えないのだと私は思います。太陽を見ることが出来ないように、視覚的には見えないのですが、その臨在は判るでしょう。その代わりに目に見えるイエス・キリストがいるのです。おそらく天国に行ったとき、私たちは一目でイエス様が判るでしょう。

イエスは彼に言われた、「ピリポよ、こんなに長くあなたがたと一緒にいるのに、わたしがわかっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのである。どうして、わたしたちに父を示してほしいと、言うのか。ヨハネ14:9

 イエス様は自分を見たものは神を見たのだ、と言っておられます。言い換えればイエス様を見ないものは、神を見ることは出来ません。イエス様は、そのかたちは人間でした。では人間が神のかたちなのでしょうか。
 創世記の人間も同じようにイメージと訳されています。
神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。創世記1:27  So God created man in His own image.
 人間は神の像として創られたのです。ですからイエス様が人となられたのは、言わば当然のことでした。人間は猿やアミーバから出来たのではなく、神のイメージ、像として創られたのです。何とすばらしい事でしょうか。私たちは神に似せて創られたのです! 
これは今、非常に必要なことだと思いませんか。猿やアミーバから出来た人間なら、そこに愛や道徳や正義などあるわけがありません。そうやって子供を育てて、まともに育つはずがありません。
 イエス様はご自分を人の子と呼んでいます。

イエスがピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、弟子たちに尋ねて言われた、「人々は人の子をだれと言っているか」。マタイ16:13

 この場合、英語では Son of man となっていて子(son)の最初の文字 S が大文字です。ここから欧米の人はすぐにこの人の子は神だと判るのですからうらやましいですね。イエス様は神のかたちである人間の代表者であり、神そのものであるわけです。

キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。それゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる名を彼に賜わった。それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものなど、あらゆるものがひざをかがめ、また、あらゆる舌が、「イエス・キリストは主である」と告白して、栄光を父なる神に帰するためである。ピリピ2:6 〜11

 この場合のかたちは英語では FORM という言葉が使われています。姿、外観などの意味です。「神のかたちであられたが」Who, being in the form of God イメージの場合はむしろ像という固体を意味していますが、フォームはもう少し広い意味でしょうか。いずれにしてもイエス様を通して私たちは神ご自身を見ることが出来るのです。
 さて、イエス様を明確にあらわすものを、それが説教であれ、書き物であれ、サタンは憎悪します。ありとあらゆる手段を使って、サタンはイエス様をあざけり、ののしり、軽蔑し、笑いのめします。私はそれらのいくつかを知って驚きました。たとえばトランプのジョーカーはサタン礼拝者がイエス様を表す目的で作ったものです。
 また私たちが何げなく受けている聖餐式もサタンにとって身の毛のよだつ光景なのです。ですからローマカトリックの教会で聖餐式をするとき、御体を表すパン(聖餅とかホスチアと呼ばれる)を手で受け取ってはならないと決められていたのは、サタン礼拝者が紛れ込み、パンを受け取り、食べたふりをして持ち帰り、ありとあらゆる冒涜を行うことを防ぐためだったのです。しかし、最近は手で受け取っても良いようになったそうです。この他にいくつでもあげることが出来ますが、いやなことばかりですからやめます。
 逆に言えば、それほどイエス・キリストの栄光はすばらしく、サタンのねたむほどであることが判ります。

御子は神の栄光の輝きであり、神の本質の真の姿であって、その力ある言葉をもって万物を保っておられる。そして罪のきよめのわざをなし終えてから、いと高き所にいます大能者の右に、座につかれたのである。ヘブル1:3

 何とすばらしい、イエス・キリスト。栄光の主。私の神。誰が何というと私は決して主の元を離れません。あなたもそうでしょう?

主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。
主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。
主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。
たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。
あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、わたしのこうべに油をそそがれる。わたしの杯はあふれます。
わたしの生きているかぎりは必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。
わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。詩篇23:1〜6