メッセージ2005・1・30         小 石  泉

カエサルとイエス


わたしには、ギリシヤ人にも未開の人にも、賢い者にも無知な者にも、果すべき責任がある。そこで、わたしとしての切なる願いは、ローマにいるあなたがたにも、福音を宣べ伝えることなのである。わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救を得させる神の力である。神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。これは、「信仰による義人は生きる」と書いてあるとおりである。神の怒りは、不義をもって真理をはばもうとする人間のあらゆる不信心と不義とに対して、天から啓示される。なぜなら、神について知りうる事がらは、彼らには明らかであり、神がそれを彼らに明らかにされたのである。神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。したがって、彼らには弁解の余地がない。なぜなら、彼らは神を知っていながら、神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからである。彼らは自ら知者と称しながら、愚かになり、不朽の神の栄光を変えて、朽ちる人間や鳥や獣や這うものの像に似せたのである。ゆえに、神は、彼らが心の欲情にかられ、自分のからだを互にはずかしめて、汚すままに任せられた。彼らは神の真理を変えて虚偽とし、創造者の代りに被造物を拝み、これに仕えたのである。創造者こそ永遠にほむべきものである、アァメン。ローマ1:14〜25(口語訳)

 今、塩野七生さんの「ローマ人の物語」を夢中になって読んでいます。本にこんなに夢中になったのは久しぶりでした。やっとユリウス・カエサルの終わりまで読み終わりました。なんと偉大な人物だったことか。戦いにあっては知恵に満ちた戦略で連戦連勝、そして戦いに勝っても決して相手を殺さず、許して自分の味方にしたり、本人の希望で自由にしたり、とにかく今の時代にもない寛容で昂然たる精神の持ち主でした。私はすっかり魅了されてしまいました。しかし、その人生は戦いの連続、そして最後には悲惨な暗殺。
 この本を読んでいる間に、私は二つのことを考えさせられました。
1. どうして人間はこんなにも完全に神を忘れてしまったのか。
2. どうして人間はこんなにも戦争を繰り返してきたのか。
 ローマは当時の地中海を中心とする世界を征服して行きました。東からシリア、小アジア、ギリシャ、イタリヤ、ガリア、スペイン、カルタゴ、エジプト。その中で、天地創造の神を信じていたのは、シリアの一部にあったパレスチナのユダヤ人だけで後はみんな唯一の真の神ではなく神々を拝んでいたのです。この他にも、世界にはインド、中国、日本がありましたが全て全能の神を知りません。

 「なぜなら、神について知りうる事がらは、彼らには明らかであり、神がそれを彼らに明らかにされたのである。神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。」とパウロ先生は言われますが、ほとんどの人間社会は神を神としてあがめることを忘れていたのです。一体、人間はいつごろから神を見失ってしまったのでしょうか。
 アダムの最初の子供であるカインは弟アベルを殺しました。それは神への捧げ物に対する嫉妬からでした。その段階ではゆがんだ形にせよ、カインは信仰を持っていたのです。しかし、三人目の子供である、セツの時に奇妙な言葉が書かれています。
セツにもまた男の子が生まれた。彼は、その子をエノシュと名づけた。そのとき、人々は主の御名によって祈ることを始めた。創世記4:26


 ここは非常に難解なところなのですが、セツは正しい信仰を持っていたようです。しかし、「主(ヤハウエ)の御名によって祈ることを始めた」とあるのは、それまで神に名前をつけることは無かったはずですから、主なる神を別の神々と区別する必要があって名前をつけたと考えられるのです。アダムとエバの場合、おそらく「あの方」と言えば通じたでしょう。創世記のこのあたりでは「神である主」ヤハウエ・エロヒムと言う言葉が出てきますが、エバの口からは「神は」エロヒムとあってヤハウエという特定の「固有名詞」にはなっていません。この頃、セツの家族以外の人々は唯一の神以外のものを拝み始めていたのだと考えられます。アダムの創造からわずかに二世代で、人々は神を忘れているのです。そしてアダムから数えて十代目のノアの時には、真の神を信じていたのはノア一人だけでした! さらにノアの次の世代には再び信仰を失っています。人間と言うものはなんと神を忘れることの天才でしょうか。
 次に、人間は何と多くの戦争をしてきたのでしょうか。ユリウス・カエサルはその生涯のほとんどを戦場で送っています。立派な家がありながら、不自由な陣営の毎日でした。そして当時の戦争は今のように遠くから敵を撃つとか爆弾を落として大量に殺すとかではありません。人間同士がぶつかり合い、槍で刺し、刀で切るのです。そこには血が流れ、切った方も血にまみれ、血の匂いが辺りを覆ったことでしょう。「ローマ人の物語」の前半は、ほとんどがこの殺戮の記録です。何人殺した。何人負傷した。そんなことばかりです。人が人を殺すということは異常なことですが、人間の歴史の大半は、それがごく日常的に行われたのです。ある本によれば人間は互いに殺し合わなければ、はるか昔に地球は人間で一杯になっただろうと言っていました。人間の最初の家族の長男は殺人者でした。そして人間は互いに殺し続けているのです。

あなたがたは、なぜわたしの話していることがわからないのでしょう。それは、あなたがたがわたしのことばに耳を傾けることができないからです。あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです。ヨハネ8:43〜44

 人は神のかたちに創造されました。しかし、アダムとエバがサタンの誘惑にあって罪を犯してから、人間はサタンに似るものとなりました。イエス様はここでサタンが初めから人殺しだと言っていますが、これは形容詞ではなく事実なのだと痛感します。
 カエサルがローマを世界帝国とし、パックス・ロマーナ(ローマの平和)を確立し、かなり長い期間、世界から戦争がほとんど無くなったとき、東のシリアの一画ユダヤにイエス・キリストが生まれました。その後、キリスト教は武力によらずにローマを征服しました。聖書は「時が満ちて」と言っていますが、それはカエサルによる世界の統一も意味していました。
 神を忘れた人間に、神の実在を知らせるために、神の子が来られました。神の子の福音は「神の許し」でした。御自身を犠牲に捧げて、神との障害である罪を取り除く戦いに勝利されました。そして「汝の敵を愛せよ」と言われたとき、ローマ人は敵を許し、世界を統一する偉業を成し遂げた直後に、許した敵の凶刃に倒れたカエサルを思い出したかもしれません。
 ローマ以前にはユダヤ人だけがこの神を信じていたのですが、それから2000年、世界にイエスを神の子と信じる人々が絶えませんでした。彼らは正確に神の映像をイエス様の中に見たのです。カエサルは武力で世界を統一しましたが、キリストは愛で世界を統一しました。カエサルはその後、皇帝の名になりましたが、イエス・キリストは主の主、王の王です。大王と言われたアレクサンダーに並ぶカエサルもイエス・キリストに会ったらひとりの人間に過ぎません。
 しかし、戦争は終わりません。未だに人間は殺しあっています。キリストの世界統一は失敗だったのでしょうか。いいえ、キリストの世界統一はまだ終わっていません。キリストの兵士たちは今でも世界中でサタンの軍勢と戦っています。ただ、私が危惧しているのは、キリストの軍の隊長たちが正確に敵の位置を知っているだろうかと思うことです。何だか大分、方向違いをしているように感じます。
 間もなく、キリストは世界に再び来られます。そして一瞬のうちにサタンの軍勢を滅ぼし、世界を神にお返しします。その時、本当の凱旋式が行われるでしょう。

神は、キリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし、彼らを捕虜として凱旋の行列に加えられました。コロサイ2:15

 ローマ人の物語を読むと、この言葉の意味が良くわかります。戦勝の執行官が凱旋するときの様子にそっくりなのです。その時、世界には本当の平和、パックス・クリスチーがやってきます。この平和は永遠に続くのです。

もろもろの民は騒ぎたち、もろもろの国は揺れ動く、
神がその声を出されると地は溶ける。
万軍の主はわれらと共におられる、
ヤコブの神はわれらの避け所である。
来て、主のみわざを見よ、主は驚くべきことを地に行われた。
主は地のはてまでも戦いをやめさせ、弓を折り、やりを断ち、戦車を火で焼かれる。
「静まって、わたしこそ神であることを知れ。
わたしはもろもろの国民のうちにあがめられ、全地にあがめられる」。
万軍の主はわれらと共におられる、
ヤコブの神はわれらの避け所である。詩篇46:6〜11(口語訳)


 実際のパックス・ロマーナ(ローマの平和)はカエサルが遺書で自分の後継者に指名した、当時、弱冠18歳の養子オクタヴィアヌスが、カエサルの副将だったにもかかわらず後継者に選ばれなかったアントニウスとエジプトの女王クレオパトラとの14年間の戦争の後に実現しました。しかし、カエサルが歴戦の部下アントニウスには政治的な才能を見ることが出来ず、わずか18歳の少年オクタヴィアヌスを選んでいたということは驚くべきことです。このオクタヴィアヌスが初代皇帝アウグストス(尊敬を受ける人)として、その後約40年間ローマ、すなわち当時の全世界に君臨します。