メッセージ   2004・ 1・9      小 石  泉 

良きサマリヤ人に感謝する旅


あなたの手に善をなす力があるならば、これをなすべき人になすことをさし控えてはならない。箴言3:27(口語訳)

あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。マタイ6:3

あなたがたのうちだれかが、その人たちに、「安心して行きなさい。暖かになり、十分に食べなさい。」と言っても、もしからだに必要な物を与えないなら、何の役に立つでしょう。ヤコブ2:16


 すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスをためそうとして言った。「先生。何をしたら永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか。」イエスは言われた。「律法には、何と書いてありますか。あなたはどう読んでいますか。」すると彼は答えて言った。「『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』また『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』とあります。」イエスは言われた。「そのとおりです。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」しかし彼は、自分の正しさを示そうとしてイエスに言った。「では、私の隣人とは、だれのことですか。」イエスは答えて言われた。「ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に襲われた。強盗どもは、その人の着物をはぎとり、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。たまたま、祭司がひとり、その道を下って来たが、彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼を見てかわいそうに思い、近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやった。次の日、彼はデナリ二つを取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。』この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」:彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」ルカ10:25〜37

 この有名な言葉は、クリスチャンなら誰でも知っているでしょう。これとほぼ同じことが75年前に中国で日本人孤児に対して行われたのです。戦争に負けて日本に帰る親が捨てたり、頼んだりして中国人に預けた子供は約5000人におよびます。それまで日本は中国人を牛や馬のように扱いました。沢山の中国人が理由もなく殺されました。本当ならここで復讐の殺戮が行われたでしょう。しかし、何と中国人は日本人の子供たちを養い育てたのです。それは蒋介石総統の妻、宋美齢.が熱心なクリスチャンで復讐するものは死刑にするように夫に頼んだからだと先日、韓国の牧師から聞きました。しかし、それにしても実際に憎むべき敵の子供を育てるということは日本人だったら決してしなかったでしょう。私はそのドキュメント番組を見て、矢も盾もたまらずに中国に向かったのです。それを以下のような文にまとめました。ちょっと変わったメッセージになりました。

中国残留日本人孤児の養父母を訪ねて
 昨年12月初旬、NHKが中国に残留した日本人孤児とその養父母のドキュメンタリー番組を放送しました。日本に帰ってきた孤児たちは、言語も満足ではなく、ほとんど生活保護で生活しています。そのために仕送りはもちろん、帰って病気がちな養父母を見舞うこともままなりません。
 そんな養父母のために長春に私財を投げ打って「中日友好楼」というアパートを建てた笠貫尚章と言う日本人がいます。そこには最初39世帯が入っていましたが、今は6人だけとなっているということでした。孤児の一人春山さんという女性が借金をして帰ってきて老母を見舞うところがその番組の主要なテーマでした。そんな中で、笠貫さんも今は亡く、長春市から取り立てられる家賃が払えず「待ってください」というある老母を見たとき、私はたまらなくなりました。
 そこで新川先生に連絡して少しでもお助けできないだろうかと相談しました。先生は喜んで同意して下さり、私も幾人かの方々に連絡して10万円の献金を用意し、1月3日長春に向かいました。長春に向かう飛行機から見下ろす大地は白く凍て付いて、地平線まで見渡す限り畑が広がり、無数の集落がありました。長春空港に着くと、まだボーデイング・ブリッジもなく、タラップから降りてそのままターミナルまで歩いて行かされました。気温は零下15度、それでもここ数日は暖かいのだそうです。初めて経験する寒さでした。
 私たちはまず市役所を訪れて、「中日友好楼」の場所を聞きました。古色蒼然たる市役所の秘書室で若くて体格のいいハンサムな秘書さんが「その件な
あの番組を担当したこちら側の人間を紹介します」と教えてくれました。
 翌日、約束の場所にいくと、何とそれは共産党委員会のビルでした。こちらは御影石の美しい近代的なビルで、中は日本と変わりないモダンなオフイスでした。担当者は新聞部の部長の方で、これまた快活な男性でした。いろいろと連絡を取ってくださり「全員には会えないかもしれないが幾人かには会えるでしょう」と連れて行ってくださいました。       
 中日友好楼は古いが立派な建物でした。NHKの番組では、養母さんたちは6人で、孤独に、日本に帰った子供たちの帰りを待ちわびているということでしたが、実際には一組のご夫婦がおられ、8家族9人でした。そしてそれぞれに中国人の子供さんたちがおられて世話を焼いていました。中には身よりもなく、会社も倒産して年金も受け取れない方もいると言うことでした。娘さんの一人が皆さんをまとめておられ、一軒一軒、案内してくださいました。私たちが行くと、まるでわが子が帰ってきたように喜んで、手を握ってくださり、良くはるばると訪ねてくださったとお礼を言われました。私たちも、何だか本当の子供であるかのように感じました。皆さん優しくて、いかにも中国の老人と言ったおおらかな方々でした。

←中日友好楼

 私たちは終戦の混乱の中で、ひどい仕打ちをした敵の国の子供たちを育ててくださったことのお礼を述べて、一家族に1000元(約13000円)をお渡ししました。13000円と言っても、あちらの貨幣価値から言ってその10倍の価値はあります。
 部長さんの話では、家賃は無料で、番組の中で家賃と言われていたのは実は暖房費のことでした。あの寒さでは確かに相当の暖房費は掛かるでしょう。年間1500〜2000元かかるということでした。私たちの献金はその一部にはなるでしょう。
 実は養父母の皆さんと会っているとき、私たちは不思議な気持ちになりました。それはクリスチャンを訪問したときの暖かな心の交流に似たものを感じたからです。一人の方が「ハレルヤ」と言ったようにも聞こえました。しかし、聞くことも出来ませんでした。
 ただ感謝を表すための訪問が、何か特別な意味を持って受け取られると困ると思ったのですが、あとで部長さんはこの訪問をひどく感激しておられ、その後、長春市の共産党の最高幹部に報告されたところやはり感動されたと言うことで、良かったと思いました。大変、感謝な旅でした。

 下の写真は養父母の方々です。