メッセージ 2005・1・1 小 石 泉
百人隊長の信仰に学ぶ
イエスがカペナウムにはいられると、ひとりの百人隊長がみもとに来て、懇願して、言った。「主よ。私のしもべが中風やみで、家に寝ていて、ひどく苦しんでおります。」イエスは彼に言われた。「行って、直してあげよう。」しかし、百人隊長は答えて言った。「主よ。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばをいただかせてください。そうすれば、私のしもべは直りますから。と申しますのは、私も権威の下にある者ですが、私自身の下にも兵士たちがいまして、そのひとりに『行け。』と言えば行きますし、別の者に『来い。』と言えば来ます。また、しもべに『これをせよ。』と言えば、そのとおりにいたします。」イエスは、これを聞いて驚かれ、ついて来た人たちにこう言われた。「まことに、あなたがたに告げます。わたしはイスラエルのうちのだれにも、このような信仰を見たことがありません。あなたがたに言いますが、たくさんの人が東からも西からも来て、天の御国で、アブラハム、イサク、ヤコブといっしょに食卓に着きます。しかし、御国の子らは外の暗やみに放り出され、そこで泣いて歯ぎしりするのです。」
それから、イエスは百人隊長に言われた。「さあ行きなさい。あなたの信じたとおりになるように。」すると、ちょうどその時、そのしもべはいやされた。マタイ8:5〜13
塩野七生さんの「ローマ人の物語」を読むと、この聖書の箇所が、特別に意味深く理解できます。ローマの百人隊長はローマ軍の中核でした。彼らがローマ軍そのものと言っていいでしょう。ローマは実に不思議な国でした。占領した国々を虐げることはしないで、ほとんど友人のように扱いました。2800年も前に民主制に近い、共和制を取り、民衆や貧民に対しても公正な政治をしようと心がけました。最高政治機関は元老院で、毎年そこから執政官が2人選ばれました。この執政官は同時に軍隊の長でした。彼らは常に戦場の最前線に行きました。真紅のマントをひるがえし、12本の旗竿を持った侍従を従えて颯爽と戦場を突進しました。そのために執政官が犠牲になる機会も多かったのです。執政官の後に大隊長、中隊長といましたが小隊長に当たる百人隊長こそローマ軍の本当の実力でした。しかし、戦争に次ぐ戦争でほとんど毎年のように故郷を後にして戦っていました。
ローマは勝利した相手の国を虐待したり殺戮したりしませんでした、自分たちと同じ市民権を与えたり、自治権を与えたりするという、当時としては非常に珍しい、寛容でおおらかな政策を行いました。それが、ローマが世界帝国となったゆえんでした。そのローマでも非常に占領にてこずったのがイスラエル・ユダヤでした。
この物語は、いかにもローマの兵士の姿を表しています。兵士にとって一番大切なことは上官の命令に従うことです。優秀な百人隊長には従順な部下がいました。
「ただ、おことばをいただかせてください。そうすれば、私のしもべは直りますから。と申しますのは、私も権威の下にある者ですが、私自身の下にも兵士たちがいまして、そのひとりに『行け。』と言えば行きますし、別の者に『来い。』と言えば来ます。また、しもべに『これをせよ。』と言えば、そのとおりにいたします。」
この百人隊長にとってそれは当たり前のことでした。そして彼にとってイエスという霊の世界の執政官の権威ある命令も同じように忠実に伝達されると信じていました。このような単純明快、明朗な信仰にイエス様は感銘を受けたのです。彼は理屈ばかりこねまわすユダヤの民よりももっと神様の御心に近づく方法を知っていたのです。イエス様に対して、ユダヤ人たちが驚いたのは「権威ある者のように」語られたことでした。実際、悪霊たちはその権威を恐れおののいています。しかし、権威を認めないものにとっては、それは思い上がった愚かな姿に見えたことでしょう。
戦後の日本では権威と言うものは見たくてもありません。それが信仰の世界にまで広がっています。本当は、教会は神の権威の現れるところです。しかし、しばしば、それが指導者の人間的な権威、思い上がり、自己満足、虚栄となってしまいます。それは教会と言うよりカルトと言っていいほどの場合すらあります。信仰の世界は、極端から極端に流れやすいものです。権威をふりかざす誤り、権威を認めない誤り。私たちは賢明にこの中間を歩みたいものです。
さらにもう一人の百人隊長を学びましょう。長い引用になりますが一つの物語なので切りようがありません。
さて、カイザリヤにコルネリオという名の人がいた。イタリヤ隊と呼ばれた部隊の百卒長で、信心深く、家族一同と共に神を敬い、民に数々の施しをなし、絶えず神に祈をしていた。ある日の午後三時ごろ、神の使が彼のところにきて、「コルネリオよ」と呼ぶのを、幻ではっきり見た。彼は御使を見つめていたが、恐ろしくなって、「主よ、なんでございますか」と言った。すると御使が言った、「あなたの祈や施しは神のみ前にとどいて、おぼえられている。ついては今、ヨッパに人をやって、ペテロと呼ばれるシモンという人を招きなさい。この人は、海べに家をもつ皮なめしシモンという者の客となっている」。このお告げをした御使が立ち去ったのち、コルネリオは、僕ふたりと、部下の中で信心深い兵卒ひとりとを呼び、いっさいの事を説明して聞かせ、ヨッパへ送り出した。翌日、この三人が旅をつづけて町の近くにきたころ、ペテロは祈をするため屋上にのぼった。時は昼の十二時ごろであった。彼は空腹をおぼえて、何か食べたいと思った。そして、人々が食事の用意をしている間に、夢心地になった。すると、天が開け、大きな布のような入れ物が、四すみをつるされて、地上に降りて来るのを見た。その中には、地上の四つ足や這うもの、また空の鳥など、各種の生きものがはいっていた。そして声が彼に聞えてきた、「ペテロよ。立って、それらをほふって食べなさい」。ペテロは言った、「主よ、それはできません。わたしは今までに、清くないもの、汚れたものは、何一つ食べたことがありません」。すると、声が二度目にかかってきた、「神がきよめたものを、清くないなどと言ってはならない」。こんなことが三度もあってから、その入れ物はすぐ天に引き上げられた。ペテロが、いま見た幻はなんの事だろうかと、ひとり思案にくれていると、ちょうどその時、コルネリオから送られた人たちが、シモンの家を尋ね当てて、その門口に立っていた。そして声をかけて、「ペテロと呼ばれるシモンというかたが、こちらにお泊まりではございませんか」と尋ねた。ペテロはなおも幻について、思いめぐらしていると、御霊が言った、「ごらんなさい、三人の人たちが、あなたを尋ねてきている。さあ、立って下に降り、ためらわないで、彼らと一緒に出かけるがよい。わたしが彼らをよこしたのである」。そこでペテロは、その人たちのところに降りて行って言った、「わたしがお尋ねのペテロです。どんなご用でおいでになったのですか」。彼らは答えた、「正しい人で、神を敬い、ユダヤの全国民に好感を持たれている百卒長コルネリオが、あなたを家に招いてお話を伺うようにとのお告げを、聖なる御使から受けましたので、参りました」。そこで、ペテロは、彼らを迎えて泊まらせた。翌日、ペテロは立って、彼らと連れだって出発した。ヨッパの兄弟たち数人も一緒に行った。使徒10:1〜23
長い話を短くすると、ここはペテロが初めて異邦人(ユダヤ人以外の全ての人)に福音を伝え、クリスチャンと認めた箇所です。それまでキリスト教会はユダヤ教として歩んでいました。ユダヤ人にとって異邦人が自分たちと信仰を共にするということは絶対に考えられないことでした。これは宗教的な閉鎖性とか不寛容とかいう問題ではなく、神の選民と言う絶対的な信仰からは考え付かないことだったのです。それを認めればユダヤ人はユダヤ人でなくなります。しかし、キリストが始めた宗教は全く違ったものでした。そこには、何の差別もなかったのです。
しかし今や、神の義が、律法とは別に、しかも律法と預言者とによってあかしされて、現された。それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えられるものである。そこにはなんらの差別もない。ローマ3:21〜22
しかし、これをペテロたち使徒と初代教会が理解するには相当のことがなければなりませんでした。そこに登場したのがローマの百人隊長コルネリオでした。
コルネリオ(コーネリアス)はその名前からローマの貴族の中でも名門中の名門コーネリアス家の若者だったと考えられます。こういう名前を自由につけることはなかったと思われるのです。彼は若くして百人隊長の訓練を受け、いずれは元老院議員の資格を得て、場合によっては、あのハンニバルを破った先祖のスキピオ・アフリカヌスのように執政官にも選ばれる人だったかもしれません。ローマの貴族階級は、人格は高潔で、戦場では大胆、そのために平民よりも犠牲者が多く出たと言われています。いわゆるノブレス・オブライジ(高貴な者が持つ義務)の始まりでした。
このコルネリオへの賞賛の言葉「信心深く、家族一同と共に神を敬い、民に数々の施しをなし、絶えず神に祈をしていた。・・・・正しい人で、神を敬い、ユダヤの全国民に好感を持たれている百卒長コルネリオ」から彼の人となりが見えてきますが、それは彼の固有の性格だけでなくローマ市民としての良い面での特質もあったと思われます。すっきり、さわやか、という言葉で表せるような人物です。
このような人を神は喜ばれ、それをペテロに教えるために、幻を見せ、ユダヤ初代教会の目を覚まさせようとされたのでした。
ペテロがこれらの言葉をまだ語り終えないうちに、それを聞いていたみんなの人たちに、聖霊がくだった。割礼を受けている信者で、ペテロについてきた人たちは、異邦人たちにも聖霊の賜物が注がれたのを見て、驚いた。それは、彼らが異言を語って神をさんびしているのを聞いたからである。そこで、ペテロが言い出した、「この人たちがわたしたちと同じように聖霊を受けたからには、彼らに水でバプテスマを授けるのを、だれがこばみ得ようか」。 こう言って、ペテロはその人々に命じて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けさせた。それから、彼らはペテロに願って、なお数日のあいだ滞在してもらった。10:44〜48
こうして福音は異邦人に流れていきました。ペテロはその後、ちょっと後戻りしましたが、パウロがしっかりと受け継ぎました。いずれにしてもイエス様に喜ばれたあの名前も知られない百人隊長やコルネリオの美しい信仰を私たちも学びたいものです。