ホームページメッセージ 2004・12・26 小 石
泉
一神教と多神教
最近、塩野七生さんの「ローマ人の物語」を読んでいます。これはうわさに違わず、すばらしい本です。まだ読み始めたばかりですが、非常に興味深いのは、ローマ人と日本人の共通点でした。ローマ人は多神教で、肉より魚が好きです。
さて、近頃、一神教のキリスト教とイスラム教の対立と言う図式が喧伝され、一神教の頑なさ、それに伴う残虐さが強調されています。決して相手を認めない。妥協や協調性がない。その点、多神教は相手を認め、融和する。
さて、果たしてこれは本当でしょうか。世界の歴史上、多神教の民族は、他民族に対して寛容だったでしょうか。歴史がしめすところではそんなことは決してありませんでした。数十年前でさえ日本は朝鮮、中国でどんなことをして来たでしょうか。彼らは日本人の寛容さに感謝しているでしょうか。日本人は妊婦の腹を割き、刀の切れ味を試すために多くの中国人を殺しました。朝鮮ではキリスト教の教会に信徒を入れて火をつけました。南京大虐殺は無かったにしても、それに近いことをいくらでもしてきました。もちろん一神教が多神教よりも寛容だとは言いません。どちらも変わらないと言いたいのです。
では、今、アメリカがやっていることは宗教に基づいているのでしょうか。たしかに、今度のアメリカ大統領選でブッシュ大統領を応援したのはアメリカの福音派のクリスチャンです。そしてブッシュ氏はイラクで罪もない人々を殺し続けています。また、イスラエルは不当にパレスチナ人の土地を奪っています。これをどう説明したら良いのでしょうか。
まず、本来、信仰と言うものは、個人の心の中でだけ存在すべきものです。集団、組織、国家などが宗教の故に存在してはなりません。イエス・キリストはこう言っています。
イエスは答えられた、「わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであれば、わたしに従っている者たちは、わたしをユダヤ人に渡さないように戦ったであろう。しかし事実、わたしの国はこの世のものではない」。ヨハネ18:36
では、と聞かれるでしょう。なぜ、カトリック教会はこの世の権力を握っているのですか? たしかにバチカンは一つの国です。また、イギリスとアイルランドは長い間、プロテスタントとカトリックが争っていたではないですか?
宗教戦争というのは宗教に名を借りた権益の争いです。クリスチャンは自分の信仰を守るために、武器を取ることは許されていません。そんなことは絶対にあってはならないのです。信仰と言うものは武器によって守られたり、伝えられたりすることは出来ないものです。霊的な世界と物質の世界では力の性質は違うのです。私は国を守るためには武器を取りますが、信仰を守るためには聖書と祈りしか取りません。
たとえある宗教の国と言うものがあったとしても、その国民が個人的にその宗教を信じていないと言うこともありうるのです。また、この世は神と人だけで出来ているのではありません。サタンや悪霊というものがいます。(それを神々とする場合もありますが。)
特に今日のアメリカを支配している人々はほとんどサタンに魂を売った人々です。表面では敬虔なキリスト教徒を装っていますが、陰ではサタンを礼拝しているのです。(このことはあまりにも知られていませんが、私は元サタニストでその後キリストによって救われた人々から、その内幕を聞いて知っています。)そして、一神教の弊害を煽り立てているのです。
また、よく「ユダヤ人の陰謀」とか言われるのですが、サタンは自分に役に立つときだけ宗教や民族を利用するのです。間もなくユダヤ教もサタンによって破壊的な打撃を受けるでしょう。しかし、その後に、サタンはキリストによって滅ぼされます。
今はこの世がさばかれる時である。今こそこの世の君は追い出されるであろう。ヨハネ12:31
主イエスはサタンの事を「この世の君」と呼んでいます。この世界は、今はサタンの手中にあります。この世が裁かれる時は、間もなくやってくるでしょう。その時になれば、キリストはサタンを滅ぼして御自分の手に世界を取り戻されるでしょう。
彼らは地上の広い所に上ってきて、聖徒たちの陣営と愛されていた都とを包囲した。すると、天から火が下ってきて、彼らを焼き尽した。そして、彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄との池に投げ込まれた。そこには、獣もにせ預言者もいて、彼らは世々限りなく日夜、苦しめられるのである。また見ていると、大きな白い御座があり、そこにいますかたがあった。天も地も御顔の前から逃げ去って、あとかたもなくなった。また、死んでいた者が、大いなる者も小さき者も共に、御座の前に立っているのが見えた。かずかずの書物が開かれたが、もう一つの書物が開かれた。これはいのちの書であった。死人はそのしわざに応じ、この書物に書かれていることにしたがって、さばかれた。海はその中にいる死人を出し、死も黄泉もその中にいる死人を出し、そして、おのおのそのしわざに応じて、さばきを受けた。それから、死も黄泉も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。このいのちの書に名がしるされていない者はみな、火の池に投げ込まれた。黙示録20:9〜:15
ここでは神あるいは真理を巡って人間同士が優劣を決めることの愚かさがわかります。神が最終的な決定をされると言うのが一神教の考え方です。多神教にはこのような神の裁き、最終的な清算という考え方はないことでしょう。一神教には時間的な制約があります。ある時がくると清算されると言うのですから、言い換えればその時まで待てば、全ては氷解するはずです。しかし、そんな時は来ない、未来永劫に時間は続き、世界も宇宙も存在し続け、神々がそれぞれのフィールドで戯れると考えるのが多神教であるわけです。
もともと神が沢山いると言う考えと、神が唯一であると言う考えは“神の能力”に対する考え方の違いです。神が全能、すなわち何でも出来る、不可能はないという考え方に立てば、神は唯一です。全能者が二人以上いたら、お互いは不可侵ですからそこに不可能が生じ、全能ではなくなるからです。一方、多神教の神々はそれぞれ分散した能力を持っているわけです。水の神、火の神、風の神、空の神、地の神・・・・延々と果てしなく、神々がいることになります。
結局、多神教とは人間の心の反映に過ぎません。こうあってほしい。ああでないのかな。そんな希望が、好みに任せていくらでも神々を創造して行きます。しかし、それだけではありません、その陰にはこの世の君、サタンと悪霊の働きがあるのです。
彼らの場合、この世の神が不信の者たちの思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光の福音の輝きを、見えなくしているのである。Uコリント4:4
すると、なんと言ったらよいか。偶像にささげる供え物は、何か意味があるのか。また、偶像は何かほんとうにあるものか。そうではない。人々が供える物は、悪霊ども、すなわち、神ならぬ者に供えるのである。わたしは、あなたがたが悪霊の仲間になることを望まない。1コリント10:19〜:20
聖書で偶像と言う場合、必ずしも像だけを指していません。いわゆる多神教を意味しています。そして聖書はこれらの神々の背後にはサタンとその手下の悪霊がいると明確に告げています。
偶像への供え物を食べることについては、わたしたちは、偶像なるものは、実際は世に存在しないこと、また、唯一の神のほかには神がないことを、知っている。Tコリント8:4
偶像は空しいものだと聖書は言います。それは神ではなく、人に依存して存在している空虚な張りぼてです。
それにしても現在行われているイスラエルによるパレスチナの侵略、アメリカのイラクへの攻撃などは正当化されるものでしょうか。この背景には一神教の傲慢な意図があるのではないでしょうか。たしかに一面、そういわれても仕方がないでしょう。イスラエルがパレスチナを自分たちのホームランドだと主張するのは彼らの宗教からくるものです。
旧約聖書において神がイスラエル民族の先祖アブラハムにパレスチナの土地を与えた時、
わたしはあなたに多くの子孫を得させ、国々の民をあなたから起そう。また、王たちもあなたから出るであろう。わたしはあなた及び後の代々の子孫と契約を立てて、永遠の契約とし、あなたと後の子孫との神となるであろう。 わたしはあなたと後の子孫とにあなたの宿っているこの地、すなわちカナンの全地を永久の所有として与える。そしてわたしは彼らの神となるであろう」。創世記17:6〜:8
と言われました。しかし、その前に次のような言葉があります。
四代目になって彼らはここに帰って来るでしょう。アモリびとの悪がまだ満ちないからです」。15:16
ある民族、集団、国家があまりにも悪に染まると、神はその人々を許し続けることができなくなります。それを聖書は「地を汚す」と言っています。ソドム、ゴモラ、ポンペイなど、ある地方が放蕩と汚濁にまみれたとき神は裁かれて、その地を滅ぼし、場合によっては他の民族にとって代えさせます。(これについては全く別の理由もありますが、それは、今はまだ一般のキリスト教会には認知されていません。私の新刊書CDに書いてあります。)
しかし、現在のパレスチナの場合はどうだったでしょうか。いまでこそパレスチナ国家、民族というものがあるように思われていますが、第二次世界大戦前後にはパレスチナには明確な国家はなく、列強に分断された土地と、遊牧民がいたのです。そこに最初はユダヤ人がお金を払って入植したのです。その後、パレスチナ国家の希望が生まれ、対立が激化してきました。その背後にはいろいろな思惑がありました。たとえばアラファト議長は莫大な富を持っていましたが、それをパレスチナの人々のためには使わず、欧米に投資して儲けていました。何が真実かは、まだ判りません。
一方、ベトナム、アフガニスタン、ユーゴスラビア、イラクなどへのアメリカの介入はどう考えても正当化されません。これはアメリカの指導層に巣食った、サタニストの強欲と世界統一のための遠大な計画があるのです。そのためにはキリスト教、イスラム教、ユダヤ教を互いに対立させ、滅ぼそうという計画もあります。これについては長くなるので別の機会にお話します。
自己の宗教に頑なな一神教。他人に寛容な多神教。そんな単純な色分けは危険です。
聖書は永遠の真理を語っています。
神は唯一であり、神と人との間の仲保者もただひとりであって、それは人なるキリスト・イエスである。Tテモテ2:5