メッセージ    2004・ 12・19          小 石  泉 

メシヤの選抜試験


そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。ルカ2:1〜7

 皇帝アウグスト(ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタヴィアヌス)はローマの初代皇帝です。その前にジュリアス・シーザー(ユリウス・カエサル)という偉大な人物がいましたが、ローマはまだ共和制で、彼は皇帝にはならず元老院によって殺されてしまいました。「ブルータスよ、お前もか」と言う言葉は有名ですがこれは後世の創作だとか。アウグストはカエサルの養子でしたが、カエサルの後に皇帝になりました。
 さて、主イエスの両親のヨセフとマリヤはイスラエルの北の町ナザレに住んでいました。ですからもし何事もなければベツレヘムに来ることは無かったのです。それも臨月のマリヤを連れてはるばると旅をすることはかなり大変なことでした。しかし、強大な権力のローマ皇帝アウグストの命令で、移動しなければならなかったのです。ところがそれは旧約聖書の預言者の「預言の成就」、約束が実現するため、言い換えればメシヤとしての必要条件を満たすための非常に厳しい関門を通るためでした。イエス様の移動はメシヤの選抜試験のようなものです。これらの全ての条件を満たすことはほとんど不可能でした。なぜなら生まれる場所を自分で決めることは誰にも出来ないし、ヨセフやマリヤはメシヤを生み出そうなどという野心とは遠くかけ離れた、単純素朴な若者に過ぎなかったからです。

ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。ミカ5:2

 ユダヤ人たちはメシヤがベツレヘムで生まれると知っていました。それはミカという預言者が明確に書き残していたからです。ベツレヘムとはヤングのコンコーダンスによれば place of food 食べ物のあるところ。あるいは「パンの家」と言う意味です。ここに言うエフラタとは「肥沃な」と言う意味です。ここにはラケルの墓があり、ボアズの畑があり、ダビデが生まれました。ベツレヘムはダビデの子孫ヨセフにとっては言わば本籍地だったのです。人口調査とは税金を集めるための大事業でした。国中で人々が右往左往し、その騒動の中に二人のか弱いカップルがいました。
 もし、この時、ローマにアウグストと言う偉大な皇帝が生まれなかったら、イエス様はナザレで生まれていたでしょう。しかし、預言者の言葉を成就し、メシヤの資格を確定するために神様はあえてヨセフとマリヤにこのような旅行をさせたのでした。
 それから、羊飼いがやってきて、東の国から博士たちがやってきました。そして、

彼らが帰って行ったとき、見よ、主の使いが夢でヨセフに現われて言った。「立って、幼子とその母を連れ、エジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。ヘロデがこの幼子を捜し出して殺そうとしています。」そこで、ヨセフは立って、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに立ちのき、ヘロデが死ぬまでそこにいた。これは、主が預言者を通して、「わたしはエジプトから、わたしの子を呼び出した。」と言われた事が成就するためであった。2:13 〜15

 東の国、恐らくペルシャから来たという博士たちは、ギリシャ語でマゴスとあり、占星術師、昔の天文学者でした。この人々が何人だったかはわかりません。貢物が三種類だったことから三人となっているだけです。恐らく従者も含めて数十人の集団だったと思われます。そのころヨセフとマリヤがベツレヘムの旅館の馬小屋にいたのか、あるいは、小さな家を借りて住んでいたのかはわかりませんが、まだ生まれて間もない赤子のイエスさまを移動することが出来る時期、3〜4ヶ月が経っていたでしょう。
 博士たちの訪問は、当時の話題になったことでしょう。小さなベツレヘムの村に外国人の立派な(これらの人々は王家に近い貴族階級か祭司階級だったと思われます)人々が突然やってきて、貧しい家の若い夫婦の子供にうやうやしく礼拝を捧げたのですから。
 この後、天使の指示によってヨセフとマリヤはエジプトに逃れます。それはヘロデ王が博士たちの王が生まれたと言う言葉に恐れて、ベツレヘム一帯の二歳以下の子供を皆殺しにする命令を出すことが判っていたからです。こうしてまたも当時の権力者によって、聖書の預言が実現します。これも実現が極めて困難な関門でした。

イスラエルが幼いころ、わたしは彼を愛し、わたしの子をエジプトから呼び出した。ホセア11:1

 ヨセフとマリヤがエジプトのどこに住んでいたかは判りません。ただ、モーセによる出エジプトの話とこの話は緊密にリンクするので、恐らくイスラエルがかつて住んでいたゴセンの地、ナイル川の河口近くだったと思われます。

ヘロデが死ぬと、見よ、主の使いが、夢でエジプトにいるヨセフに現われて、言った。「立って、幼子とその母を連れて、イスラエルの地に行きなさい。幼子のいのちをつけねらっていた人たちは死にました。」そこで、彼は立って、幼子とその母を連れて、イスラエルの地にはいった。しかし、アケラオが父ヘロデに代わってユダヤを治めていると聞いたので、そこに行ってとどまることを恐れた。そして、夢で戒めを受けたので、ガリラヤ地方に立ちのいた。そして、ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちを通して「この方はナザレ人と呼ばれる。」と言われた事が成就するためであった。マタイ2:19〜23

 猜疑心が異常に強く、自分の子供まで殺したヘロデもさすがに人の寿命には勝てませんでした。彼は死に、ヨセフとマリヤはエジプトから帰ることにしましたが、ヘロデの息子の一人であるアケラオが南部のユダヤを治めているので、北部のナザレに住みました。これは彼らにとって故郷でもありました。しかし、これも預言の成就でした。この「この方はナザレ人と呼ばれる。」というのはイザヤ書の預言です。

エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。 その上に、主の霊がとどまる。それは知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である。この方は主を恐れることを喜び、その目の見るところによってさばかず、その耳の聞くところによって判決を下さず、正義をもって寄るべのない者をさばき、公正をもって国の貧しい者のために判決を下し、口のむちで国を打ち、くちびるの息で悪者を殺す。正義はその腰の帯となり、真実はその胴の帯となる。狼は子羊とともに宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子どもがこれを追っていく。雌牛と熊とは共に草を食べ、その子らは共に伏し、獅子も牛のようにわらを食う。 乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子はまむしの子に手を伸べる。 わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない。主を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからである。その日、エッサイの根は、国々の民の旗として立ち、国々は彼を求め、彼のいこう所は栄光に輝く。イザヤ11:1〜10

 しかし、ここにはナザレという言葉は出てきません。実はヘブル語で「Netser」と言う言葉、すなわち「若枝」と書かれている言葉がそれに当たるのです。ですからナザレは正確に発音するならナツールと言うのかもしれません。
 こうしてイエス様はもう一つの関門を通り抜けられたのです。
1. その子はベツレヘムで生まれ。
2. エジプトから呼び出され。
3. ナザレ人と呼ばれる。
 若枝というのは実はメシアの別名と言っていいほど特別な意味があります。「ダビデの若枝」と言えばメシヤだとユダヤ人には判ったのです。

彼にこう言え。『万軍の主はこう仰せられる。見よ。ひとりの人がいる。その名は若枝。彼のいる所から芽を出し、主の神殿を建て直す。ゼカリヤ6:12

その日、その時、わたしはダビデのために正義の若枝を芽生えさせる。彼はこの国に公義と正義を行なう。エレミヤ33:15


 メシヤの誕生と成長に関して、出身地だけでもこれだけの条件をクリアーしなければなりませんでした。ヨセフとマリヤは時代の最高権力者によって翻弄されて、今のように飛行機や車の無い時代に長距離の旅行を強いられました。しかし、それはメシヤがメシヤであることを証明するためには、絶対に不可欠だったのです。ですからこの出身地を聞いただけでも、注意深いユダヤ人なら、イエスがキリスト、ヨシュアがメシヤだったと判るはずなのです。クリスマスは実に興味深い話に満ちていますね。
 
蛇足*アウグストは養父のジュリアス・シーザー、ユリウス・カイザルが7月を自分の月と定め、July ジュライと呼ばせて31日にしたことにちなみ、8月を自分の月と定め、August オーガスト(アウグスト)と呼ばせ、本来なら30日であるべきなのに、養父に劣るのはいやだと2月から1日を持ってきて31日にしました。それが何と2000年後の今でも使われているというのは驚きですね。