ホームページ・メッセージ      2004・11・ 7     小 石 泉
 
神に喜ばれる者


 主よ、あなたがわたしを欺かれたので、わたしはその欺きに従いました。あなたはわたしよりも強いので、わたしを説き伏せられたのです。わたしは一日中、物笑いとなり、人はみなわたしをあざけります。それは、わたしが語り、呼ばわるごとに、「暴虐、滅亡」と叫ぶからです。
 主の言葉が一日中、わが身のはずかしめと、あざけりになるからです。もしわたしが、「主のことは、重ねて言わない、このうえその名によって語る事はしない」と言えば、主の言葉がわたしの心にあって、燃える火のわが骨のうちに閉じこめられているようで、それを押えるのに疲れはてて、耐えることができません。多くの人のささやくのを聞くからです。恐れが四方にあります。「告発せよ。さあ、彼を告発しよう」と言って、わが親しい友は皆わたしのつまずくのを、うかがっています。また、「彼は欺かれるだろう。そのとき、われわれは彼に勝って、あだを返すことができる」と言います。しかし主は強い勇士のようにわたしと共におられる。それゆえ、わたしに迫りくる者はつまずき、わたしに打ち勝つことはできない。彼らは、なし遂げることができなくて、大いに恥をかく。その恥は、いつまでも忘れられることはない。
  正しき者を試み、人の心と思いを見られる万軍の主よ、あなたが彼らに、あだを返されるのを見せてください。わたしはあなたにわたしの訴えをお任せしたからです。主に向かって歌い、主をほめたたえよ。主は貧しい者の命を、悪人の手から救われたからである。
  わたしの生れた日はのろわれよ。母がわたしを産んだ日は祝福を受けるな。 わたしの父に「男の子が、生れました」と告げて、彼を大いに喜ばせた人は、のろわれよ。 その人は、主のあわれみを受けることなく、滅ぼされた町のようになれ。朝には、彼に叫びを聞かせ、昼には戦いの声を聞かせよ。 彼がわたしを胎内で殺さず、わが母をわたしの墓場となさず、その胎をいつまでも大きくしなかったからである。なにゆえにわたしは胎内を出てきて、悩みと悲しみに会い、恥を受けて一生を過ごすのか。エレミヤ 20:7〜18


 これはエレミヤの言葉です。今では偉大な預言者と言われるエレミヤも、その生涯の大半は物笑いとあざけりの中にありました。彼はあまりのことに神の御言葉を語ることをやめたいと思いました。しかし、それは出来ませんでした。
「主のことは、重ねて言わない、このうえその名によって語る事はしない」と言えば、主の言葉がわたしの心にあって、燃える火のわが骨のうちに閉じこめられているようで、それを押えるのに疲れはてて、耐えることができません。」
 親しい友も、親類縁者も、王から乞食までがエレミヤを非国民、裏切り者とののしり、彼をあざ笑う歌を子供たちが歌っていると別の箇所で嘆いています。彼はついには、自分は生まれてこなかったら良かったとさえ嘆いています。珍しい箇所ですね。それほど彼は、この世においては受け入れられなかったのです。これが本当の神の預言者の姿です。
 今、我々は有名な伝道者が大統領や国王や映画俳優のパーティに迎えられ、名誉と賞賛を受けているのを見ます。それはそうです、彼らはその人々の罪や誤りを決して指摘しないからです。イエス様はこう言っておられます。

 そこで彼らにむかって言われた、「あなたがたは、人々の前で自分を正しいとする人たちである。しかし、神はあなたがたの心をご存じである。人々の間で尊ばれるものは、神のみまえでは忌みきらわれる。」ルカ16:15

 またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての人に憎まれるであろう。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。マタイ10:22

 人が皆あなたがたをほめるときは、あなたがたはわざわいだ。彼らの祖先も、にせ預言者たちに対して同じことをしたのである。ルカ6:26


 人々に尊ばれることが常に間違っているわけではありません。しかし、しばしば、私たちは人間の賞賛を、神からの賞賛と取り違えることがあります。私たちの名誉心、賞賛への渇望は非常に激しいものです。私たちはキリストの御名の故に「すべての人に憎まれるであろう」と言われているのに、本当に憎まれることを望んではいません。間違えないでください。誤った行動や言葉の故に憎まれることと、本当に神の御名の故に辱めを受けることとを混同しないでいただきたいのです。私は自分よがりな、自己満足な信仰を言っているのではありません。
 特に面白いと思うのは「人が皆あなたがたをほめるときは、あなたがたはわざわいだ。」とあることです。これは一般には全く逆に考えられています。多くの人から賞賛を受けることは誉れであり幸いなことと思われています。これは最善のクリスチャンと言われる人々でさえ陥りがちな誤りです。

 そしてわたしは、わたしのふたりの証人に、荒布を着て、千二百六十日のあいだ預言することを許そう」。彼らは、全地の主のみまえに立っている二本のオリブの木、また、二つの燭台である。もし彼らに害を加えようとする者があれば、彼らの口から火が出て、その敵を滅ぼすであろう。もし彼らに害を加えようとする者があれば、その者はこのように殺されねばならない。
 預言をしている期間、彼らは、天を閉じて雨を降らせないようにする力を持っている。さらにまた、水を血に変え何度でも思うままに、あらゆる災害で地を打つ力を持っている。  
 そして、彼らがそのあかしを終えると、底知れぬ所からのぼって来る獣が、彼らと戦って打ち勝ち、彼らを殺す。彼らの死体はソドムや、エジプトにたとえられている大いなる都の大通りにさらされる。彼らの主も、この都で十字架につけられたのである。いろいろな民族、部族、国語、国民に属する人々が、三日半の間、彼らの死体をながめるが、その死体を墓に納めることは許さない。
 地に住む人々は、彼らのことで喜び楽しみ、互に贈り物をしあう。このふたりの預言者は、地に住む者たちを悩ましたからである。三日半の後、いのちの息が、神から出て彼らの中にはいり、そして、彼らが立ち上がったので、それを見た人々は非常な恐怖に襲われた。その時、天から大きな声がして、「ここに上ってきなさい」と言うのを、彼らは聞いた。そして、彼らは雲に乗って天に上った。彼らの敵はそれを見た。黙示録11:3〜12


 ここは間もなく世界にやってくる神の預言者のことと思われています。彼らは「全地の主のみまえに立っている二本のオリブの木、また、二つの燭台である」とあることから、ゼカリヤ書4章の二人の神の人、モーセとエリヤ、またはその霊を受けた人、と考えられます。彼らは恐るべき力を持ち、偉大な福音の伝道をします。しかし、彼らは世界中から憎まれます。おそらく、ほとんどのキリスト教会も彼らを受け入れないでしょう!
 彼らがその使命を終えて死ぬと、何と世界中の人々が「彼らのことで喜び楽しみ、互に贈り物をしあう」のです!
 この世の偉大な説教者は、世界中から賞賛を受け、大統領も王様も映画俳優も歌手も一緒に手を取り合って世界平和のために歌うのではないのですか? 多くの有名な大学から博士号が送られ、ノーベル平和賞が贈られるのではないのですか?
 「このふたりの預言者は、地に住む者たちを悩ましたからである。」おやおや、彼らは神の器なのに、この世の人々を悩ましたのですか? どんな気に入らないことを言ったのでしょう? 人々は彼らの死を悼むのではないのですか? 世界中が喜んだ???
 兄弟姉妹よ、これが本当の神の預言者の姿です。間違えないでください。この世の賞賛ではなく、真実は神の御前に行かなければ明らかにはなりません。
 あなたは、ただ神のみを見上げて歩いてください。