ホームページメッセージ 2004・ 10・24        小 石  泉 

災害に学ぶこと


 今年は台風が多かったですが、今回の23号は格別にひどいものでした。水没した町々をテレビで見ながら、つくづく人間の思い上がりを木っ端微塵に打ち砕く大自然の猛威を思いました。日本人は長い間、それほどひどい災害に会わずに来たので、いつの間にか自分たちには何も怖いものがないと思い込んでいなかったでしょうか。私自身、こうして神を宣べ伝えながら、心に何かの油断があったように思います。
 長年かけて築いた美しい我が家、丹精込めた花や庭木、最新型のプラズマテレビ、色々な機能を備えた高級車、高級ブランドのバッグ、洋服などなど、それら全てが水につかり巨大なごみの山となっています。あの誇りに満ち、便利で楽しかった生活は何だったのか。
 同じことがこれまでにも何度も人間に襲い掛かりました。ソドムとゴモラ、サントリン島、ポンペイ、浅間山の大噴火、関東大震災、伊勢湾台風、多くのハリケーン。そのつど人間は自分たちの無力さ、矮小さを思い知らされたのに、すぐまた忘れて、自分が最高の存在のように振舞います。しかし、人間は無力で小さな者なのです。
 今から約4000年前、現在のイスラエルの南部地帯にある死海のほとりにあったソドムとゴモラの町々が大噴火によって滅びました。

ロトが目を上げてヨルダンの低地をあまねく見わたすと、主がソドムとゴモラを滅ぼされる前であったから、ゾアルまで主の園のように、またエジプトの地のように、すみずみまでよく潤っていた。創世記13:10

 それらの町々はこのように美しく豊かで人々は華やかに生活していたのです。おそらく当時、この地帯は今で言うリゾート地、昔流に言えば風光明媚な保養地だったのでしょう。これはポンペイとよく似ています。

その人々はそこを立ってソドムの方に向かったので、アブラハムは彼らを見送って共に行った。時に主は言われた、「わたしのしようとする事をアブラハムに隠してよいであろうか。アブラハムは必ず大きな強い国民となって、地のすべての民がみな、彼によって祝福を受けるのではないか。わたしは彼が後の子らと家族とに命じて主の道を守らせ、正義と公道とを行わせるために彼を知ったのである。これは主がかつてアブラハムについて言った事を彼の上に臨ませるためである」。主はまた言われた、「ソドムとゴモラの叫びは大きく、またその罪は非常に重いので、わたしはいま下って、わたしに届いた叫びのとおりに、すべて彼らがおこなっているかどうかを見て、それを知ろう」。その人々はそこから身を巡らしてソドムの方に行ったが、アブラハムはなお、主の前に立っていた。18:16〜:22

 主(肉体を取る前のイエス・キリスト)はこの地の堕落と罪を裁くために2人の天使とともにこの地の近くに住んでいた神の僕アブラハムを訪れました。「わたしのしようとする事をアブラハムに隠してよいであろうか。」神に信頼されている人間に神はこのように対面します。神はこの地を滅ぼそうと決めていました。
 災害の全てがこのように罪と堕落の結果とは言えませんが、ソドムとゴモラはポンペイと同様にひどい状態でした。今のアメリカも似ています。ちなみに同性愛を表す英語のSodomy(ソドミー)という言葉の語源はこのソドムです。

主はアブラハムと語り終り、去って行かれた。アブラハムは自分の所に帰った。アブラハムは朝早く起き、さきに主の前に立った所に行って、ソドムとゴモラの方、および低地の全面をながめると、その地の煙が、かまどの煙のように立ちのぼっていた。こうして神が低地の町々をこぼたれた時、すなわちロトの住んでいた町々を滅ぼされた時、神はアブラハムを覚えて、その滅びの中からロトを救い出された。18:33 〜19:29

 美しい山野と町々は噴出する火と土砂と蒸気によって灰燼に帰しました。この地域はアフリカから続く大地溝帯の延長上にあり、この大地溝帯では時々、地下のマグマが噴出することが知られています。私はかなり前にアフリカの地溝帯の湖がやはり地下の噴気の噴出により真紅に染まり、何かの結晶によって美しい模様が描かれていた航空写真を見たことがあります。クリスチャンの考古学者であったロン・ワイアットさんは死海の、この地域を発掘し多くの証拠を発見しています。http://www.wyattmuseum.com/index.htm
 さて日本の台風による災害地がこのような罪と堕落に覆われていたとは決して思いませんが、荒廃のすさまじさにこの話を思い出したのです。人間はこのような環境に立つとき己の小ささ、空しさ、はかなさに気がつき、へりくだることが出来るはずです。

うじのような人、虫のような人の子はなおさらである」。ヨブ25:6

主は言われる、「虫にひとしいヤコブよ、イスラエルの人々よ、恐れてはならない。わたしはあなたを助ける。あなたをあがなう者はイスラエルの聖者である。イザヤ41:14


 こういう表現にカチンと来る人は多いと思います。しかし、現実にこのような大自然の猛威に会うと自分を謙虚に評価することが出来るでしょう。
 私は自分が本当に虫にひとしいものだと思います。何の価値も無い者です。神の前ではむしろ存在そのものが無益有害であるとさえ思います。事実、神の前に人は皆、罪人であり、無益有害なのです。しかし、そんなものを神は愛してくださって、

わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。イザヤ43:4(新改訳)

と言ってくださるのです。そして次のような御言葉もあります。

神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助けである。このゆえに、たとい地は変り、山は海の真中に移るとも、われらは恐れない。たといその水は鳴りとどろき、あわだつとも、そのさわぎによって山は震え動くとも、われらは恐れない。詩篇46:1〜3

これなど今回の水害にぴったりですね。
 しかし、現実に災害に会われた教会、クリスチャンの家もあることでしょう。そのような時にはヨブの言葉が慰めになるでしょう。

そこでヨブは主に答えて言った、「わたしは知ります、あなたはすべての事をなすことができ、またいかなるおぼしめしでも、あなたにできないことはないことを。『無知をもって神の計りごとをおおうこの者はだれか』。それゆえ、わたしはみずから悟らない事を言い、みずから知らない、測り難い事を述べました。『聞け、わたしは語ろう、わたしはあなたに尋ねる、わたしに答えよ』。わたしはあなたの事を耳で聞いていましたが、今はわたしの目であなたを拝見いたします。それでわたしはみずから恨み、ちり灰の中で悔います」。ヨブ42:1〜6

 今は、私たちに判らない大きな神の御心の中に、万事は益となります。

神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。ローマ8:28

 阪神淡路大震災のとき、多くの教会が会堂を人々のために提供したり、ボランテア活動をしたり、近所の人々のためにお世話をしたりして非常に地域社会に感謝されたということを聞きました。こんな口先だけの慰めでは申し訳ありませんが、私たちも何かのお手伝いをしたいものです。もし、何らかの援助を差し伸べたいと思う方は、あなたの出来る限りのことをしてください。人は困難の中でこそ本当のお付き合いが出来るものですから。