ホームページ・メッセージ 2004・9・12 小 石 泉
不 正 の 富
イエスはまた、弟子たちに言われた、「ある金持のところにひとりの家令がいたが、彼は主人の財産を浪費していると、告げ口をする者があった。そこで主人は彼を呼んで言った、『あなたについて聞いていることがあるが、あれはどうなのか。あなたの会計報告を出しなさい。もう家令をさせて置くわけにはいかないから』。この家令は心の中で思った、『どうしようか。主人がわたしの職を取り上げようとしている。土を掘るには力がないし、物ごいするのは恥ずかしい。そうだ、わかった。こうしておけば、職をやめさせられる場合、人々がわたしをその家に迎えてくれるだろう』。それから彼は、主人の負債者をひとりびとり呼び出して、初めの人に、『あなたは、わたしの主人にどれだけ負債がありますか』と尋ねた。『油百樽です』と答えた。そこで家令が言った、『ここにあなたの証書がある。すぐそこにすわって、五十樽と書き変えなさい』。次に、もうひとりに、『あなたの負債はどれだけですか』と尋ねると、『麦百石です』と答えた。これに対して、『ここに、あなたの証書があるが、八十石と書き変えなさい』と言った。ところが主人は、この不正な家令の利口なやり方をほめた。この世の子らはその時代に対しては、光の子らよりも利口である。またあなたがたに言うが、不正の富を用いてでも、自分のために友だちをつくるがよい。そうすれば、富が無くなった場合、あなたがたを永遠のすまいに迎えてくれるであろう。小事に忠実な人は、大事にも忠実である。そして、小事に不忠実な人は大事にも不忠実である。ルカ16:1〜10
先日のことです。9年前に私の本を読んでキリストを信じるようになった方からメールをいただきました。彼は最近になって教会に集うようになったそうです。「本なり、ネットなりで、説教を通して聖書の勉強はできますが、礼拝、賛美、使徒(信徒?)との交わり、証し等はさすがに教会へ足を運ばないと経験できませんでした。教会につながることで、ささやかですが祝福を得ることができました。それというのも9年前の“誰も書けなかった悪魔の秘密組織”という本との出会いのおかげで、小石先生には本当に感謝です。」と書いてくださって、私は大変喜びました。
しかし、彼はどうしても判らないことがあるのですというのです。それは冒頭の御言葉のことでした。「どうしてキリストは不正の富を許容するのでしょう。また、このようなずるい家令を誉めるのでしょうか。」
なるほど本当ですね。この箇所は確かに聖書とキリストの言葉としてはふさわしくないと思われるところです。それで私なりの解釈を書き送りましたが、この方の疑問は、案外多くのクリスチャンの疑問であり、つまづきであるかもしれないのでここでお話しようと思います。
まず不正の富という言葉ですが、一般的には「この世の富」と考えられているようです。聖書はその書かれた時代背景を考えないと判らないことが多くあります。当時のイスラエルはローマに占領されていました。そこで使われていた貨幣はローマの貨幣でした。その貨幣には皇帝の像が刻まれていました。これはユダヤ人にとって非常な屈辱だったと考えられます。まず「神の選民」が異邦人の支配を受けていたということ。そして皇帝の像が刻まれた貨幣は偶像崇拝につながります。
実際に当時のローマ皇帝は “生ける神の子キリスト”と呼ばれていたのです。
イエスがピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、弟子たちに尋ねて言われた、「人々は人の子をだれと言っているか」。彼らは言った、「ある人々はバプテスマのヨハネだと言っています。しかし、ほかの人たちは、エリヤだと言い、また、エレミヤあるいは預言者のひとりだ、と言っている者もあります」。そこでイエスは彼らに言われた、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。シモン・ペテロが答えて言った、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」。マタイ16:13〜19
この箇所で見落としてならないことは地名です。ピリポ・カイザリヤ(注1)はヘロデの子ピリポが皇帝(カイザル)テベリウスに捧げた町です。地中海沿岸のカイザリヤと区別するためにこう呼ばれました。カイザリヤには皇帝の神殿が建てられていました。そこには「生ける神の子キリスト」と書かれていたのです。この前を通る人は一礼することを要求されていたとも言われています。イエス様の質問に対して、ペテロが答えた「あなたこそ生ける神の子キリストです」という言葉は皇帝への反逆罪に当たるものでした。このように皇帝は神とされていたのです。ですからローマの貨幣はユダヤ人にとって二重の意味で、正に「不正の富」だったのです。
余談になりますが、このような敵国のために自国民から税金を取り立てる、収税人のマタイやザアカイは全く良心を失った裏切り者、売国奴のやくざ者だったわけです。その彼らイエス様は暖かく迎え人生を一変させたのです。
「それにしても」とこの方は質問を続けます。「不正の富はわかりました。そこでなのですが、この家令を褒めたイエス様の真意は何なのでしょうか? 私には利口なやり方だと褒める理由がわかりません。イエス様に直接聞かないとわからないのでしょうか?」。
なるほど本当におかしいです。イエス様はこの家令のずるいやり方をほめています。なぜでしょうか。これは一部のクリスチャンホームの子供なら判るのです・・・。
私の父は立派なクリスチャンでした。生涯を清く正しく生きました。ただ子供の私に言わせるとこの世で生きるには清すぎた人でした。そういう親の子供は苦労します。特に金銭的に。クリスチャンの中にはこの世をさげすみ、清く生きることを求め、この世とは隔絶した生き方をしようとする場合があります。極端な場合は修道院となり、アーミッシュ(注2)となります。修道院は本人だけの問題ですから良いのですが、アーミッシュとなると家族がいますから問題です。私はアーミッシュにいた友人を通して、その理想と現実を知っています。表面のきれい事ではこの世は生きられません。
イエス様はここで賢明なアドバイスをしておられるのです。人間が極端から極端に走りやすいものであることを知っておられるのです。イエス様はクリスチャンがこの世で生きることを求めておられます。あのタラントのたとえの中で、銀行に預けて利息を得ることを奨励しています! この世の小事にも忠実でありなさいと。
お分かりでしょうか。神様はクリスチャンがこの世で、世の光、地の塩として生きることを求めて居られます。それはこの世にあって活動的で有益なものとして生きることを期待しておられるのであって、この世を離れ、隠遁者のように生きることを求めて居られないのです。私はクリスチャンがこの世のあらゆる分野で立派な働きをすべきだと考えます。政治家、経済人、技術家、芸術家、医者、科学者、文学者など至る所で活躍して欲しいと思います。あの「家令の利口なやり方」とはそのような、賢明でダイナミックな生き方を示唆したものでしょう。
注1:ピリポ・カイザリヤ カイザリヤはヘロデが皇帝アウグストに捧げた町。ピリポ・カイザリヤも元々はヘロデがアウグストに捧げたものをピリポが改築してテベリウスに捧げた。今はバニアスと言い美しいところ。イスラエルの北端にありヘルモン山の伏流水が岩の間から吹き出しヨルダン川の源流となっている。ここでイエス様が「わたしを信じるものはその腹から生ける水が川々となって流れ出るであろう」と言われた意味が良く判る。先年、私も訪れたのでこの情景が思い出される。
注2:アーミッシュとは 1690年代、ヤーコブ・アマンの改革で始まったプロテスタントの再洗礼派(幼児洗礼に反対し、大人になってからもう一度洗礼を受けた人々)の一派。その厳しい信条ゆえに激しい迫害を受け、ヨーロッパを追われて自由の国アメリカにゆきつく。彼らは「従順」「謙虚」「質素」を自らの生き方の基本とし、その生活には電気も水道もテレビも電話も自動車もなく、質素な服装をするなど、厳しい規律を守って一種独特の文化を形成している。今世紀初めには5000人だったアーミッシュも現在では125,000人になり、ペンシルベニア州のランカスターを中心にアメリカとカナダ、南米・中米にも20ほどのグループが存在している