ホームページメッセージ 2004・8・15 小 石 泉
食 事
またまた私事で恐縮ですが、何しろとても珍しい経験で多くのことを学んだので話させていただきます。入院したとき私は糖尿病食を頼みました。(もっとも病院はとっくにそう決めていたようです。)最初の夜、出された食事を見て唖然としました。幼稚園の子供の食事より少ない! 特にショックだったのはデザートのバナナが4分の1に切ってあったことです!子供のころ、まだバナナがものすごく高価だったころ、母が一本のバナナをみんなに切って出してくれた切ない思い出がよみがえりました。翌日の早朝、空腹と吐き気で目が覚めました、看護師さんに血糖値を量っていただくと60でした。看護師さんがあわててジュースを買ってきてくれました。毎食、毎食、出て来る食事に驚きあきれました。
聖書にこんな言葉があります。
またわたしに言われた、「人の子よ、見よ、わたしはエルサレムで人のつえとするパンを打ち砕く。彼らはパンを量って、恐れながら食べ、また水を量って驚きながら飲む。」エゼキエル4:16
これは神の裁きがイスラエルに臨み、食料が不足してみんなで少しづつ分け合う状況を示しています。今の私も神の裁きに会っているのか?もっとも私は過食と美食?でこんな状態になったのですが、食料と言うものは面白いものだと思いました。同じ地球の上の同じ時間に一方では過食と美食におぼれ、一方では飢餓に苦しんでいる。金持ちで何でもおいしいものを食べられるのが幸せかと言うと、実はいろいろな病気を背負ってしまう、質素で貧しいと言われた食事が実は最も健康食だった。何と言う皮肉でしょう。江戸時代の庶民の貧しい食卓が、今省みると案外健康食だったなんてこともあるようです。もっとも当時の平均寿命は今よりはるかに短いですからもう少し脂肪やたんぱく質が必要だったかもしれません。多すぎても少なすぎてもいけない。食事とは本当に難しいものです。
さて、この世で最も健康な食事を与えられたのは恐らくエジプトを出てアラビヤ(シナイ)の砂漠を40年間も放浪したイスラエル民族でしょう。彼らは種を蒔かず、刈り入れもせず、脱穀もしませんでした。毎朝、天からマナが降ってきました。
イスラエルの家はその物の名をマナと呼んだ。それはコエンドロの実のようで白く、その味は蜜を入れたせんべいのようであった。出エジプト16:31
驚くべきことに、神様はまるで栄養士のように一人一人の一日のマナの摂取量を決めています。これは何とすばらしい健康法でしょう。
主が命じられるのはこうである、『あなたがたは、おのおのその食べるところに従ってそれを集め、あなたがたの人数に従って、ひとり一オメルずつ、おのおのその天幕におるもののためにそれを取りなさい』と」。イスラエルの人々はそのようにして、ある者は多く、ある者は少なく集めた。しかし、オメルでそれを計ってみると、多く集めた者にも余らず、少なく集めた者にも不足しなかった。おのおのその食べるところに従って集めていた。16:16〜21
マナは多く集めると腐ってしまいました。当時のイスラエル人には肥満とか糖尿の人は居なかったのではないでしょうか。何しろ神様が健康管理されておられたのです。
それにしてもモーセと言う人はずいぶん困難な決断を迫られたのですね。なにしろ、300万もの人口に一切の食料計画がないままで40年間砂漠を放浪したのです。普通なら数週間で死に絶えていたでしょう。今、日本は食料自給率が40%だということです。それは一旦何か異変が起こって食料の供給が絶たれるとたちまち60%は食料が無くなる事を意味します。今の日本の政治的な指導者はその点はお考えなのでしょうか。
私は犬を30年も飼っていますが、食事に関して一つのポリシーを守っています。それは小さいときからいつも食器にドッグフードを山盛りにしておくのです。すると彼らは必要なだけ食べて決して過食はしません。いつも賢いものだと思います。ですからわが愛犬はすごくスタイルがいいのです。飼い主もお犬様に見習うべきなのですが・・・。テレビでもグルメ番組とダイエット番組が花盛りです。人間は食事に関しては犬より賢くないなと思います。
空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。マタイ6:26
本当にこんな境地に人間はなれるものでしょうか。信仰を持って40数年、とてもそんな平静な心を持ったことはありません。イエス様という方の心の静けさがしのばれます。そう言えば肥満のすずめなんて見たことありませんねえ。
興味深いことにイエス様はしばしば食事の席で大切な教えをなさっています。食事は人間にとってとても大切なことだとわかって居られるのです。それどころか、御国でも食事をする約束をされているのです!
見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。黙示録3:20
これはイエス様がすでに昇天なさった後の話です。ですから御国と言っても間違いではないでしょう。一番おいしく、安全な食事はイエス様が同じテーブルに座っておられる食事でしょうね。そういえばそれは何も御国に行くまでもなく、今日の食事からでも出来ることでしょうね。