ホームページ・メッセージ   2004・8・8      小 石  泉

行き先を知っていますか


 私事ながら子供のころ失った鼓膜の再生手術のために、入院しました。手術の方は問題なく終わったのですが、糖尿病と高血圧が病院側のチェックに引っかかり大いに問題にされました。病院側の目的は何とかして長生きさせたいというもののようです。しかし、私はあと7年も生きて70歳ぐらいまで生きれば十分と考えているので、どうもしっくりしないのです。もちろん寝付いてしまって、周りの迷惑になるのはいやなのですが、ただ長生きするだけならごめんこうむりたいのです。
 私は周りの人々を見ていると本当に気の毒だと思います。点滴のハンガーを引きずりながら、必死の形相で歩く老人などを見ると、私のような行き先を知らないからだろうかと考えます。不安なんだろうなと。
 かなり前に有名なポルノ作家が癌になり死ぬ直前に書いた本の名前が「死にたくない」でした。死の先の命、永遠の命を知らないと死ぬことはどんなに不安でしょうか。多くの人々は普段は永遠の命なんてあるものかと笑っていますが、いざ、本当に死を目の前にすると心細いのでしょう。
 私の場合、死の先の命を確信していますから、死はむしろ好ましく喜ばしいのです。そうかと言って自殺することは許されません。命は神が創造されて与えられるもので、人間が作り出したものではないのですから、自分で失わせる権利はありません。
 もちろんそんな消極的な生き方で生きようとしているわけではないのです。出来ることなら何でもやってみたい。教会をもっと成長させたい。老人ホームを作りたい。ギニア高地に行ってみたい。オリエンタル急行の特等席で旅行して見たい? しかし、どんなことをしていても心はここにあらずの状態であるのは確かです。もっとすばらしい、もっと価値のある行き先を知っているからです。

これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。そう言いあらわすことによって、彼らがふるさとを求めていることを示している。へブル11:13〜14

 会社にいたころ、ある豊かな家のご令嬢が私の隣の席で仕事をしていました。その家は開かずの間がいくつもあるような家で、今から40年も前に彼女は自分の車を持っていました。いろいろとお話をしたのですが、ある時、ふと「空しい」とつぶやいたのです。その言葉が忘れられません。空しい。それこそ全ての人の人生ではないでしょうか。何をすれば空しくない人生を送れるでしょうか。政治ですか? 奉仕ですか? スポーツですか? 芸術ですか? しかし、結局は永遠に続くものでない限り空しいのです。

伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。日の下で人が労するすべての労苦は、その身になんの益があるか。伝道1:2〜3

 こう言ったのは世界の歴史上最も贅沢を極めたとされるソロモン王です。彼は全ての快楽の果てにこういう結論を得ました。そして、言います、

事の帰する所は、すべて言われた。すなわち、神を恐れ、その命令を守れ。これはすべての人の本分である。神はすべてのわざ、ならびにすべての隠れた事を善悪ともにさばかれるからである。12:13〜14

 神を信じない人生なんて、私には考えられません。それは本当に空しい、何の意味もない、悲しく、無価値な人生です。私は神を知っています。ですからいつも神の国を思い描いて歩いています。

しかし、わたしたちの国籍は天にある。そこから、救主、主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる。ピリピ3:20

 私のこのような考えが、負け惜しみと思われるかも知れませんので、私の知っているある宣教師のお話をしましょう。
 私たちの教団の日本の支部の創立者である、ハイル先生は日本での伝道中に奥様が交通事故に出会い、背骨を損傷されました。当時の日本の医療では十分な治療が出来なかったのでご夫妻はアメリカに帰られました。そしてアメリカで事業を起こし、株の仕事で大変成功されました。彼らはそのお金を惜しげもなく世界宣教に捧げたのです。そしてしばしばいろいろな大会や旅行などに招待されたといいます。あるときには豪華客船のスイートルームでエーゲ海のクルーズを楽しみました。しかし、ミセス・ハイルは私たちに言いました、私にとってそんな船旅もイエス様を知っている喜びに比べれば何の価値もありませんでした。私は教会の皆さんと賛美を歌い、日本の皆さんとお会いするほうが数百倍も楽しいことです。
 この夏、どんなレジャーを楽しまれましたか? 楽しむことは決して悪いことではありません。それも神様が人間に下さった賜物です。でもどうぞ考えてください。何者にも勝る、永遠の命の満ち溢れる価値があるのだということを。あなたはどこに行くかご存知ですか。知らないで、人生の終わりに「ああ、空しかった」と言わないために。