ホームページ・メッセージ    2004・7・4    小 石  泉

天の川を見たことがありますか?


もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす。この日は言葉をかの日につたえ、この夜は知識をかの夜につげる。話すことなく、語ることなく、その声も聞えないのに、その響きは全地にあまねく、その言葉は世界のはてにまで及ぶ。詩篇19:1〜:4

 私たちの子供のころ、夜、外に出ればほとんど天の川が見えました。ちょっと星に関心がある子供なら、天の川のどこが狭く、どこが広く、どこにどの星があるかも知っていました。私たちにとってそれはあまりにも当たり前で、改めて天の川を考えることもありませんでした。ところが気がついてみると、今の子供たちは天の川を知らないのです。いや40代ぐらいの人でも知らない人が多いことに驚かされます。もしかすると、都会の子供は昔から知らなかったのかもしれません。それに気がついてから、私は夏のキャンプなどの折にできるだけ子供たちを、夜、外に連れ出して、天の川を見るように勧めます。
 人類の歴史が正確にはどれぐらいあるかは知りませんが、聖書によれば約6000年です。そしてこの内の5900年以上は、人類は天の川を知っていたのです。電気が出来て夜が明るくなるまでは夜空は人類にとって神を知る手掛かりでした。アブラハムもヨセフもダビデも夜空を見ながら神を知ったのです。しかし、今の星々はあまりにもかすかで貧弱なので子供たちは全く関心を持ちません。
 若いころ穂高連峰に登りました。夜、祈ろうと、一人で山小屋を出て、夜空を見上げると何と、いつも見ている星の数倍の明るさで星々が輝いていました。私のそのすごさに圧倒されて、恐ろしくなり早々と山小屋に逃げ帰ったことがあります。
 「天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす。」とあるように昔の人々は夜空を見るときに、そこに神の御力を知ったのです。昔、星座の名前は今のようなギリシャ神話的なものではなくもっと聖書的なものだったという本を読んだことがありますが、もし、そうだとすると神さまは夜空にご自身の御旨と創造の御業を書いて置かれたのかもしれません。
 「この日は言葉をかの日につたえ、この夜は知識をかの夜につげる。話すことなく、語ることなく、その声も聞えないのに、その響きは全地にあまねく、その言葉は世界のはてにまで及ぶ。」この御言葉も謎めいています。神さまは何も語らないけれども、宇宙の神秘を通して語っておられるのです。それに静寂も神を知る重要な要素です。前にも書いたことがありますが、先年、清里の温泉を出て一人で駐車場に行くとき、あまりの静けさと暗闇に唖然としたことがあります。それは手で触れることが出来るほどの闇であり、自分の鼓動が聞こえるほどの静寂でした。私は瞬間的に神を思いました。そこは天国に直通のエレベーターのようでした。
 今の青年たちを見ていると、いつも音に囲まれていなければ落ち着かないようです。勉強しているときも、歩いているときも、電車の中でも、いつも音楽を聴いています。静寂の中に自分を置いてみたり、自然を見つめたり、永遠を想うというようなことは、およそありそうもないのです。

静まって、わたしこそ神であることを知れ。わたしはもろもろの国民のうちにあがめられ、全地にあがめられる。詩篇46:10

神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。伝道の書3:11


 天の川は私たちの住む銀河系を横から見たものだと聞いたことがありますが、それにしては輪郭がはっきりしているのはなぜでしょうか。それともあれは小惑星帯なのでしょうか。私には判りませんが、とにかく天の川は宇宙の神秘を垣間見ることができます。星空を見れば、神の天地創造を感じるはずなのです。

そのとき、明けの星々が共に喜び歌い、神の子たちはみな喜び叫んだ。ヨブ38:7(新改訳)

 文明に囲まれた生活。CD、DVD、テレビ、ラジオ。町を歩けば電車や車の音、人の音、パチンコ屋の騒音、買い物に店に入れば絶え間ない音楽や店の名前の歌。時々、耳をふさいで逃げ出したくなります。
「静まって、わたしこそ神であることを知れ。」これが、今、本当に必要なことではないのでしょうか。そしてこの夏、もし海や山に行ったら、ぜひ夜空に天の川を見つけてください。

                       




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